佐野波布一の遺族からのコメント
- 2018.07.21 Saturday
- 21:00
佐野波布一の遺族からのコメント
殺された佐野波布一に代わって
去る7月18日の佐野波布一の死は私たちに多大な悲しみと憤りをもたらしました。
Amazonレビュアーとして生きた彼にとって、Amazonレビューが投稿できないことは水を失った魚に等しく、
死すべき運命をただ享受するよりほかに選ぶべき手段は残されていませんでした。
Amazonに問い合わせたところ、ある暴漢の中傷によることを否定しなかったので、
私たちは佐野波布一の死が、その暴漢によってもたらされたことを疑いません。
その暴漢自身がAmazonレビューに何かを書かれたわけでもないだけに、
どうしてAmazonレビューを消去させなくてはならなかったのでしょう。
この国には論理で返答できなくなると、
権力や多数派であることを背景にした「暴力」で応じて良いという「文化」があります。
普段は政権批判や弾圧批判めいたことをしている人も、身内のこういう「暴力」には知らん顔です。
私たち遺族は俳人のみなさんが佐野波布一の死について知らん顔をして過ごすような気がしています。
このような出来事に目を閉ざしておけば、佐野波布一が指摘した内輪主義の持つ排他性と向き合わなくてすむのですから。
他者に暴力で応じる人が研究者や詩人の顔をしている国を、私たちは軽蔑します。
俳句に関心のない 読者の方々も少なくないでしょう。
どなたであっても構いません、佐野波布一を悼む方がもしおられるなら、
焼香の代わりにコメント欄を開きますので、供養のコメントでもお寄せください。
(コメントには認可がありますので、不掲載希望の方はそうご記入ください)
また、犯人である暴漢とその一味についてご存知のことがある方から情報をいただければ幸いです。
こちらを知り、初めて書き込みいたします
芸術新潮の編集長か副編集長になられて、
俳句をたしなむ方は、御父上が朝日新聞に
お勤めでした
こうした理不尽な対応が通販サイトとしての都合だけで為されうるという意味で、Amazonレビューの限界を見た思いです。通販サイトは著者の申し立てに配慮する理由はあれど匿名のレビュアーに配慮する理由はなく、フェアな言論の場にはなり得ないのでしょう。
場所や形態は変容を余儀なくされると思いますが、いち読者として佐野波氏の復活を待望しております。
たとえ自分の文章であってもアマゾンにとっての著作権侵害とみなされたと思います。この点について謝罪した上で交渉されたらいかがでしょうか。
遅きに失して申し訳ありませんが、今できるのはこれくらいです。
佐野波様の書きように全く非礼な表現がなかったとも言い切れませんが、レビューが復活となるよう願っております。
レビューの場からレビューを排除するとは、当該レビューの場の自殺以外の何ものでもないでしょう。なおかつ、それが特定の恣意的に選ばれたレビューのみに向けられた排除であるとするなら、その身勝手な自殺行為を漫然と見過ごしてしまってはいけないと考えます。
こうした身勝手さは、大学教員であろうが、俳句作者であろうが、対価を得て世に出した商品に対して、その評価、批評をされることが我慢ならないという身勝手さと通じるものがあるでしょう。
お仲間達の中で互いに誉め合おうが擁護し合おうが一向に構わないのですが、その外にいる者を相手にするのであれば、お仲間達にのみ通じるコードではなく、もう少し開かれたルールの中で対処する必要があるのではないでしょうか。それが、開かれた(はずの)レビューの場でのことなら、レビューの場に相応しい論理と言葉で対するのが筋ですし、それができないのであれば沈黙するなり、無視すれば良いはず。そうではなく、レビューの場、論理と言葉の場の外で、チープな政治的方法で鬱憤を晴らそうとする行為は、暴力以外の何ものでもないでしょう。
佐野波さんは、論理と言葉の世界にいるはずであり、こうした世界の外、場外での暴力によって殺すことはできないはずです。
仮に、佐野波さんのことが気に入らないのであれば、論理と言葉の世界の中で彼に立ち向かうしかないでしょう、彼はそこにしかいないのですから。
それ故、佐野波さんは「殺され」るはずがないのです。たかがひとつのレビューの場から締め出されたとしても。
内心思っていても実際には言えないようなことを、痛快なまでにレビュー上で語っていてくださったので、今回このような事態になってしまい、俳句を詠む人間の端くれとしてひどく哀しく、そして申し訳無く思います。
レビューが消去されてしまう前から、もっと早く応援の気持ちを伝えていれば良かったと後悔しています。
もし今後、表現への気持ちが少しでも上向きましたら、別の形でも良いので書き続けて発信してくださると嬉しいです。
蕉門もホトトギスも内輪型コミュニティによって句を残したので内輪を、私は否定しません。しかし俳句が文芸である以上は波風が常態であるべきで佐野波布氏はその波風を立ててくれたひとりだと考えています。
活動再開を期待します。
「反権力」の仮面を被る権力志向、「反弾圧」を掲げながら陰惨な抑圧をおこなう「表現者」ほど、おぞましい存在はないと思います。
たまにでよいので、ブログの方で更新をつづけていただければ幸いです。
一瞬、本当に亡くなられたかと思い驚愕しました。三日後の蘇生を期待しております。
尻の穴の小さい方がいたものですね。
私は俳句関係者であるが内輪を肯定しない者の一人として、興味深く拝見しておりました。
本当に俳句関係者からの働きかけによって佐野波氏レビュー一律削除が起こったのだとすれば、考えられないことです。
俳句関係外の方が話しにくいとお感じになることは、関係者にはもっと話しにくいことなのでして、全てではないにせよ、私が言いにくいと、何を言っても無駄だと、諦めていたことを代弁してくださっていた面がありました。
恥ずかしいと同時に、真に申し訳なく思います。
本当にお疲れさまでした。ありがとう。
Amazonレビュアーとしての佐野波布一の死か、それとも実体の死か、壮大なギャグであるのか、ネットが人を死に追いやってしまった事実があるのか、私には判断がつきませんが、いずれにせよ、書き続けるのが佐野波氏の使命であると思います。あの世、あるいは、(実体が生きておられるのなら)ネット上で。書くのをやめたときこそが本当の敗北です。死んだとしても書き続けてください。