『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう──レフト3.0の政治経済学』 (亜紀書房) ブレイディ みかこ/松尾 匡/北田 暁大 著

  • 2018.07.03 Tuesday
  • 22:03

『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう──レフト3.0の政治経済学』 (亜紀書房)

 ブレイディ みかこ/松尾 匡/北田 暁大 著

   ⭐⭐⭐

   レフト3.0宣言の内容は反緊縮経済?

 

 

本書は3人の鼎談形式で構成されています。

イギリス在住でアナーキー志向のコラムニストのブレイディみかこ、

立命館大学経済学部教授でケインズやマルクスの経済学に明るい松尾匡、

東京大学大学院情報学環教授で社会学専攻の北田暁大の面々なのですが、

彼らは日本の左派の不甲斐なさに不満をつのらせている点で意見が一致しているらしく、

内容の大部分は、イギリス労働党の党首ジェレミー・コービンなどのヨーロッパの左派を手本として、

緊縮財政を訴えている日本の左派はダメだという話になっています。

 

松尾は量的緩和(本書では金融緩和)をするべきだと主張しているために、

アベノミクスを肯定し、左派を叩いていると誤解されると本書のあとがきで嘆いていますが、

正直、虚心に本書を読んでみて、そう受け止める人がいるのは仕方ないように僕には思えました。

実際に3人は日本の左派をダメだダメだと言っていますし、それに比べると安倍政権への批判は抑えめです。

たとえば松尾は安倍政権下での実質賃金の下降について、民主党政権の後半から始まっていたと語り、

量的緩和を擁護するために安倍の経済政策の問題点はあまり強調できていません。

 

アベノミクスは実際には量的緩和以外にほとんど効果を示していないので、

量的緩和を肯定するとアベノミクス支持と受け止められても不思議はありません。

つまり、松尾は安倍の右翼的政策には反対ではあっても、経済政策そのものにはそれほど反対していないわけです。

どんなにケインズやマルクスを持ち出しても、結論が量的緩和であるならアベノミクスでいいではないか、

と経済の素人は思ってしまうのではないでしょうか。

(その意味で、松尾の提言を野党が受け入れないのは当然だとしか僕には思えません)

 

もちろん松尾の語っていることが間違っているとは僕も思わないのですが、

政治的な視点からすれば、松尾の語る経済政策で左派のアップデートができる気はしませんでした。

 

そもそも、日本人が経済政策にそれほど関心もなければ理解も乏しいということはどう考えているのでしょうか。

世界一の豊かさを誇った日本経済が「失われた30年」などと言われるほど停滞したのはなぜなのか、

僕は多くの経済関係の本を読んできましたが、そのあたりの共通認識も立ち上げられてないような気がします。

不良債権処理でつまづいたのか、デフレが問題なのか、借金が問題なのか、

中国の製造業の台頭が問題なのか、金融グローバル化が問題なのか、少子化が問題なのか、

人によって問題にしていることが違うという印象があります。

(そのすべてが問題ということもありそうですけれども)

この本では緊縮財政が諸悪の根源であるような「わかりやすい論点」が示され、

3人が意見を合わせて反緊縮だ反緊縮だと言っているのですが、

前述したように、それならアベノミクスでいいではないか、と思わなくもありません。

 

松尾は量的緩和によって完全雇用が実現する前に福祉や教育の分野へお金が回るようにすべきだと言いますが、

むしろ、そうなるためにはどうすればいいのかを考えていただきたかったです。

現在のグローバル金融資本主義に適応することを優先したら、そんなお金の回り方はありえないと思うだけに、

量的緩和の主張に重点があるような鼎談はあまり意味がなく退屈でした。

 

それから3人は最後の方で左派の根本は階級闘争であるということを語り出します。

これにはまったくその通りだと僕も同意したいところです。

「左派による下部構造の忘却がはじまってしまった」と北田も発言しています。

90年代の左派の主流となったマイノリティの権利などのアイデンティティ・ポリティクスがマルクスを忘却したのはその通りで、

僕も〈フランス現代思想〉からアントニオ・ネグリへと至る左派アカデミズムは時代遅れだとずっと批判しています。

北田は「どれだけ泥臭くなれるか」がレフト3.0の課題だとした上で、これまでの左派が口だけの「草の根」だったことを批判します。

 

北田 レフト1.0のまずさをよくわかっているから、みんな草の根だと自認し、宣伝するんですよね。ポストモダンブームの時のキーワードは「リゾーム(根茎)」でしたし、最近ではネグリたちの「マルチチュード(ラテン語で「多数」「民衆」の意味)」です。こうした概念は、先行世代の左派批判にはその都度使いやすいのだと思いますが、社会学的には根拠が見当たりません。正直わたしは単なる高学歴者の流行思想なんじゃないかと思います。

 

左派の本質にエリート主義があるという北田の指摘は非常に重要ですが、

松尾も北田も自分自身が大学教授であるという事実をどう考えているのかが僕には気になるところです。

ただ、北田のポストモダンに対する分析そのものは正しいと言えます。

日本の左派インテリがフランスの流行思想に飛び乗ることに自己満足してきたことは、もっともっと批判されるべきだと思います。

 

読んでいて最も違和感があったのは、次のことです。

そんなに下部構造が大事だと言うのなら、日本共産党や小沢一郎の「国民の生活が第一」などはどうなのでしょうか。

共産党もエリート主義ではあると思いますが、建前上は下部構造重視を貫いていると思います。

どこまで本気かわかりませんが、小沢の掲げる建前も同様です。

彼らが共産党や小沢をどう考えるのかに興味があったのですが、僕が見たところ、本書でこれらに触れたことは一度もなかったように思います。

自民党と公明党、民主党と社民党は批判されたりするのですが、共産党は存在しないかのようなのです。

もちろん、共産党が量的緩和に賛成するとは思えないわけですが、

下部構造を重視しているはずの党の支持がそれほど上がっていないことを彼らがどう処理するのか、

という僕の興味は巧妙にスルーされてしまった気がしています。

 

それから、僕個人としては日本の経済を語るなら、最優先で地方経済のことを考える必要があると思っています。

本書では松尾単独のあとがきで少し触れているだけで、鼎談の中ではほとんど語られていませんでした。

大上段で「〈経済〉を語ろう」と言ったわりに、正直内容は乏しすぎたような気がします。

これでは、もっとダメな左派を叩くだけの印象しか残らないのも仕方がないのではないでしょうか。

 

 

 

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