サッカー日本代表の愚行を擁護するメディアへの佐野波布一のコメント

  • 2018.06.30 Saturday
  • 14:54

 サッカー日本代表の愚行を擁護するメディアへの

 佐野波布一のコメント

 

 

 

   W杯グループリーグ最終戦での「他力本願」を監督の苦渋の決断と持ち上げる欺瞞

 

 

僕はスポーツを見るのは好きですが、ネットでそれについて書きたいとは思いません。

ただ、今回の日本人の自己欺瞞があまりに耐え難いために発信させていただきます。

 

僕のサッカーとの付き合い方は変わっているので、周囲からは「変人」と思われています。

僕は10代の時にテレビでワールドカップを見ていたとき、日本が出ていなかったため、

応援する母国がほしいと思って、コロンビアを母国にしようと決意しました。

それ以来、サッカー国籍はコロンビアだと公言しています。

(ヨーロッパ偏重の権威主義的なサッカーファンに対する反感もあったかもしれません)

それからずっと僕はコロンビア人として、ワールドカップ予選は南米予選だけをチェックしてきましたし、

チャンピオンズリーグよりもリベルタドーレスを見てきました。

コロンビアを応援するために94年のアメリカ大会にも行きました。

(日本代表の試合は国内すら一度も行ったことがありません)

僕はサッカーマニアではありませんが、日本代表の選手よりコロンビア代表の選手の方が断然詳しいと思います。

 

今大会でコロンビアが日本に負けたのは僕にとって悪夢でした。

日本中が喜んでいるのかと思うと、どうしようもなく気持ちが沈んだものですが、

コロンビア人と受難をともにしたことで、自らのサッカーアイデンティティの強固さを感じたものです。

 

そのため、僕はグループリーグ最終戦ではコロンビア対セネガルの試合をリアルタイムで見ていました。

日本戦には1秒たりともチャンネルを合わせなかったので、日本戦で何が行われていたのかは翌日のニュースで初めて知りました。

終了近い時間帯に日本が負けているのにもかかわらず、パス回しで時間稼ぎをしていたと知って、僕はびっくりしました。

コロンビアがセネガルに1点リードしていることから、西野監督はコロンビアの勝利に期待して、

1点差負けで決勝トーナメント進出を手に入れようと考えたようなのです。

 

僕が驚いたのは、このようなギャンブルに全く合理性がなかったということです。

コロンビアとセネガルの試合をずっと見ていればわかることですが、ハッキリとセネガル優勢の試合でした。

僕はコロンビアの分の悪さを悟って、ハーフタイムで妻にも厳しい状況であることを話しました。

チャンスもセネガルの方が多く、日本がポーランドに先制され、こちらが引き分ければ決勝に行けると知った後も、

引き分けること自体が至難の技だと感じて喜びもしませんでした。

 

しかし、セットプレーというものは一撃があります。

リーベル移籍後にかつての輝きを取り戻しつつあるキンテーロからのコーナーキックに、

バルサでくすぶっているジェリー・ミナが頭で合わせて先制したのです。

僕の実感では運良く先制点をゲットしたというところでした。

その後は当然セネガルが攻勢に出て、コロンビアは何度も窮地に立たされました。

最後の笛が鳴るまで、ものすごく時間が長く感じられましたし、いつ点が入っても不思議でない展開でした。

 

こういうことはリアルタイムの実感でないとわからないので、日本戦を見ていた日本人にはわからないと思います。

そのため、僕のような自称コロンビア人が語ることに意味があると思って書いています。

要するに、コロンビア人から見ると、薄氷を踏むような先のわからない展開の中で、

試合を捨ててまでコロンビアの勝利に賭けるという西野監督の采配は、たまたまうまくいっただけでクレイジーだと思えるのです。

 

たとえばネットにある読売新聞の記事に、浅井武という人が書い文章がありましたが、

彼は「かなり危ない橋を渡った」と「他力本願」に否定的な評価をしているのですが、

「セネガルにスーパーゴールが生まれたり、コロンビアに致命的なミスが出たりして」

などと書いているように、どうも日本人はコロンビアが優勢に試合をしていたと思い込んでいる節があります。

まずはその認識が間違っていることを共有してから、今回の采配について評価をするべきだと思います。

 

それなのに、日本でニュースなどを見ると、セネガルが追いついたら批判されるであろうことを、

「あえて」決断した西野監督を讃えるようなコメントが繰り返されていて、呆れ果てました。

世界から日本の行為は散々に批判されていますが、客観的に見れば当然批判される行為でしかありません。

なにしろ、自力で勝ち進めない自らの力不足を自覚をして、

結果を他のチームの頑張りに丸投げしていながら、

決勝トーナメントにだけは進出したい、という浅ましさだけを表に出してしまったのですから。

 

このような「浅ましい」行為を後ろめたく思う日本人も少なくないことを僕は確認していますが、

サッカー協会への批判がタブーとなっている日本メディアは、あろうことか西野が立派な「決断」をしたかのような欺瞞言説を垂れ流しています。

僕にはそれが正当な評価とは思えません。

 

日本対ポーランド戦に関しては、僕が知った情報はすべて試合後のものでしかないのですが、

日本はスタメンを6人も変えて試合に臨んでいます。

過去2試合で敵ながら怖いと思った乾がスタメンでないということに驚いたのですが、

この采配が、日本が戦力を温存しても連敗中のポーランドとなら引き分けられる、

という甘い見通しによるものであったことは間違いないと思います。

コロンビア戦を一人多い状態で勝ったわりに何を勘違いしたのかわかりませんが、

ずいぶんと余裕をかましたものだな、と思います。

 

このスタメンから感じることは、日本サッカー協会と西野朗が日本の決勝トーナメント進出を楽観視していたということです。

つまり、彼らにとって日本の決勝トーナメント進出は「既定路線」となっていたのです。

(初めからコロンビアがセネガルに勝つにちがいないと思っていたのかもしれませんが)

おそらく、その「既定路線」をもとに裏ではいろいろなお金が動いていたに違いありません。

このようなナルシスティックな楽観主義はいかにも日本的だと思いますし、第二次大戦時の大日本帝国が、ナチスがイギリスを倒してくれることを期待して作戦を立てていたことが思い出されました。

 

しかし、ポーランドに先制されたことで日本に予選落ちの危機があることに今更ながら気づかされたのでしょう。

「既定路線」が「既定路線」でなくなることが最も恐ろしい人たちが取る手段は決まっています。

どんなことをしても「既定路線」を維持することです。

たとえフェアでないと言われようと、たとえ他力本願であろうと、「結果」を合わせていくことが最も大事になるのです。

それが「あられもない時間稼ぎ」という西野の采配を導いただけだと僕は考えます。

 

サッカー協会と一体化した西野にとっては、日本が決勝トーナメントに進めないこと以上に怖いことはなかったように思います。

それなのに、セネガルが同点に追いついたら批判されるとわかっていて、時間稼ぎを決断した西野はすごい、

などとメディアが垂れ流すのは、僕からするとサッカー協会とタッグを組んで情報操作をしているとしか思えません。

何もすごいことなどありはしません。

日本が失点して「自己責任」となるより、他会場の「自然」に結果を任せた方が、

西野自身が責められることは少ないと計算しただけにすぎません。

その証拠に、日本以外の国で西野の戦術を立派な決断だなどと評価しているメディアを見かけませんし、

かつてガンバ大阪で西野の下でプレイしたことがある遠藤保仁などは日刊スポーツの取材に、

「セネガルが得点したのなら、みんなの責任」などと答えて、西野の責任がスッポリ抜け落ちるような発言をしています。

(僕はこの遠藤の発言に、戦争責任は全員にあるという「一億総懺悔」を彷彿とさせられました)

 

ネットには勝てば官軍とばかりに「結果」がすべてで問題ないという「強弁」をしている「わかっていない人」がいますが、

日本のやったことは問題がないという言説は世界では通用しません。

なぜなら、他会場の結果で試合結果をコントロールすることが問題行為だと見なされているからこそ、

グループリーグの最終戦は同時刻に試合を行うようにしているのです。

つまり、FIFAが日本の採用した作戦を良いものだと評価するはずがないのです。

そのような意図もわからず、自己本位な行為をしてしまった田舎者が日本代表だということです。

 

自国内の自己満足的な視点しか持ち得ない日本人は喜んで騙されていくのかもしれませんが、

西野監督の采配を評価することは外から見たら滑稽でしかないわけです。

(残念ながら僕は純粋な外の人間ではないので、滑稽ですませられずにこのような文句を言いたくなるわけですが)

 

11人対11人の試合展開では一度も相手チームをリードしたことがなかった日本が、

他力本願の時間稼ぎをして決勝トーナメントに進出したのは明らかなのですから、

潔く「まともに戦ったら弱い僕らが決勝トーナメントに行くには、みっともなくてもあれしかなかったんだ」と言ってほしいものです。

まあ、日本人はナルシシズムを充溢させることが生き甲斐なので、そんなことが認められるわけがないんですけどね。

どうして日本は実力以上に背伸びをしていないと気がすまないのでしょうか。

バブル経済で夢を見てから、現実のショボい自己像と向き合うことを避けることが、日本人の欲望になってしまいました。

僕は主に思想界や文学界などで、実力が乏しいのに斜陽の出版業界との癒着でスター扱いされている人物を批判していますが、

このような人物が後を絶たないのは、彼らが現在の日本の自画像と一致しているからだと感じています。

その意味で彼らは現代の日本人からの共感は得られるわけですが、

さすがに長い歴史の中では、いずれ彼らの実力の乏しさが暴露され批判されることになると思います。

サッカーで実力が暴露されるのは、それに比べれば時間がかからないのではないでしょうか。

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM