『現代思想講義──人間の終焉と近未来社会のゆくえ』 (ちくま新書) 船木 亨 著

  • 2018.06.25 Monday
  • 00:37

『現代思想講義──人間の終焉と近未来社会のゆくえ』 (ちくま新書)

  船木 亨 著

   ⭐

   権威主義的なドゥルーズ学者を調子に乗せる出版界の腐敗

 

 

日本の出版界には「現代思想=フランス構造主義の系譜」という硬直した発想が根強くあります。

そのため、ドイツ人でF・シェリングを専門とする思想家マルクス・ガブリエルが来日すると、

ドイツ思想の研究者でもない國分功一郎や千葉雅也というG・ドゥルーズ研究者を対談相手にしてしまったりします。

ドイツとフランスの区別もできない西洋思想後進国にはガブリエルも苦笑するしかないところですが、

このようなドゥルーズを持ち上げていれば安全というような、一元的な価値を日本の現代思想は30年以上も守ってきています。

 

本書の著者の船木もドゥルーズ学者ですが、あまりに短絡的で教条主義的な〈フランス現代思想〉の「受け売り」にウンザリしました。

何の思想を研究するにしても、対象を無条件で信奉してしまったら、それは思想とは言えないでしょう。

 

簡単に〈フランス現代思想〉の特徴を整理すれば、ポストモダン的な近代批判であり、

反人間主義に基づいた理性批判、主体批判になります。

本書を読みはじめると、船木は理性や主体を近代的な悪と決めつけて自説を展開するばかりで、

読む前からゴールのわかっている本でしかないという印象でした。

 

僕は完読主義でどんな本も最後まで読むのがマナーだと思っているのですが、

本書は130ページまで読んだところで断念しました。

思想好きの人でないとなかなか読んでいないであろう思想家の著作を、たいした説明もなく持ち出すわりに、

説明が親切ではないので、それだけで挫折する人もいると思います。

しかし、それらを読んでいて内容もある程度知っている僕が読んでも、

それほど思想的に感心することが書いてあるわけではありません。

わかりやすくズバリ言ってしまえば、本書は500ページ以上にわたって船木の自己満足が綴られているため、

読み手にまで届くものがほとんどない恐怖の本だと感じました。

そういえば、誰一人として生徒が耳を傾けていない授業を平気でしている大学教授っていますよね。

 

僕は前々から、〈フランス現代思想〉学者が、その特色である相対主義を偉そうに主張しながら、

自分の依存対象である〈フランス現代思想〉をまったく相対化できないことにガッカリさせられています。

本書を断念するキッカケとなった僕が最も許せなかった記述は、

ヒトラーを支持した「権威主義者」を批判したエーリッヒ・フロムが間違っているというところです。

船木はフロムが「権威主義者」である大衆を非理性的な存在として批判したと述べたあと、

理性は悪だと思い込んでいるためか、

「権威主義者が普通の人間であり、理性的主体の方が変人なのである」などと主張しているのです。

 

船木はそのあと、権威主義者が「一定の比率で出現するのが社会なのだと考えるべきではないだろうか」などと述べるのですが、

本当に「一定の比率」でしかなかったら社会全体の体制に影響するはずがありませんので、

説得力のない論理で権威主義者を擁護しているようにしか受け取れません。

このように単純に理性を否定する人物が、どうして理性的エリートがなる大学教授などというポストにいるのでしょうか。

まさか彼はドゥルーズ=ガタリ的な無意識の欲望によって論文を書いたとでも言うのでしょうか。

僕には船木自身がフロムの言う「権威主義的パーソナリティ」を体現した人物であるため、

「わたしこそが普通の人間なのだ」と主張したいがためにフロムを批判しているようにしか感じられませんでした。

 

今、ペラペラと先の方をめくってみたら、163ページにこんな文もありました。

 

昇華された暴力が理性なのである。生活条件の満たされたメジャーなひとびとにとって抑圧されるべきものがあり、これを抑圧する暴力が理性と呼ばれているものなのだ。

 

パラ見なので文脈はよくわかりませんが、やっぱり教条的に理性を悪だと考えているとしか思えません。

そして最後の方を開いて確認してみましたが、僕の予想通りの結論が展開されていました。

「近代の一時期は、理性主義的な少数エリートが強力だったという点で、ちょっと特別だった」

などと述べて、やっぱり船木は理性と近代をひっつけて「近代主義」などと批判するのです。

 

ちょっとでも歴史の知識があれば、中国の科挙制度などの官僚制度に基づく社会はいつの時代であろうと理性的エリートが主導した社会です。

まさか船木は律令国家も近代主義だとでも言うのでしょうか。

正直に言えば、僕は〈フランス現代思想〉を単純に権威化して、このような暴論を書く人間に怒りを感じています。

そもそも大学教授こそが理性的エリートであり、それが官僚的エリートになっていく人材を選別し教育しているのです。

自分のことは棚にあげ、何か批判をしているつもりで、無意味に長大な本を書く、

こんなことを許す筑摩書房という出版社はどうかしていると思います。

 

そして理性を批判した船木が最後にたどりついた結論は、「情動」が大事だということでした。

 

情動は、複数の身体のあいだで起こる感情のことです。性衝動などがいい例なのですが、それ以外にも、悪くいえば、まさに群衆心理的なもの、横並び的な集団主義的なものを惹き起こすさざ波のようなもののことです。

 

幼稚園児の一人が泣くとみんなに伝播して集団で泣き出すような情動が大事だという結論です。

この幼児性(性衝動というなら「萌え」のようなもの?)が現代思想の結論だとしたら、どれだけ虚しいことでしょう。

船木の言う「横並びの集団主義」が日本的な価値観であることは強調しておく必要があります。

日本流の〈俗流フランス現代思想〉が西洋思想の顔をしながら、実は日本人のナルシシズムを高めるだけでしかないことは、

僕が繰り返し指摘していることですが、船木の結論はまさにそれをなぞるものでしかありませんでした。

(だいたいドゥルーズは群集心理が大事だなんて言ってませんよね)

思った通り、ゴールの決まった本であったことがパラ見でも確認できるわけです。

 

盲目的に〈フランス現代思想〉の権威をありがたがれる人にだけ本書をオススメします。

そうでない方は本の上にレモンを置いて立ち去るのが良いでしょう。

 

 

 

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