他人の問題行為に乗っかって言論弾圧に加担するクサレ俳人への佐野波布一コメント
- 2018.05.10 Thursday
- 23:39
他人の問題行為に乗っかって言論弾圧に加担する
クサレ俳人への佐野波布一コメント
集団で悪口をリツイートするのは「イジメ」の構造そのもの
去る4月16日に立命館大学の准教授でフランス現代思想の研究者である千葉雅也が、
彼の著書『メイキング・オブ・勉強の哲学』に対する僕が書いたAmazonレビューに対して、
ツイッターで「侮辱」だ「中傷」だと騒ぎ立て、自分のフォロワーを僕への批判投票に駆り立てただけでなく、
自らAmazonに毎日毎日違反通告をして、僕のレビューを6回も消去させました。
そのツイッターの文面とそれに対する僕の反論は4月25日のブログに載せてあります。
そこでも書いていますが、Amazonレビューにはガイドラインがあり、誹謗中傷や扇動と見られるレビューは非掲載となります。
繰り返し掲載できるということは、アマゾンの判断ではガイドラインには抵触していない、誹謗中傷ではないということです。
つまり、千葉は自分にとって不都合なレビューを、「侮辱」「中傷」と難癖をつけて消去しようとしたのです。
こういう態度は不都合な内容を書き換えてしまう財務官僚と同様のものと言えると思います。
さらに問題をはっきりさせておきたいのですが、
僕のような自分の文章から1円たりとて収入を得ていないアマチュアの書くものを、
プロであるはずの人物がAmazon上から排除しようと必死になるのはなぜなのか、ということです。
所詮はアマチュアの言っていることなのですから、放っておけばいいはずなのです。
それなのになぜ千葉はファンを動員するパワハラを行ってまで、執拗に僕を攻撃するのでしょうか?
それはおそらく、僕のレビューに好意的な投票をした人が相当数いるからです。
変な人が勝手なことを言っているだけなら、自然淘汰されるのがAmazonレビューです。
僕の書いた千葉の著書のレビューはいつも上位に位置していました。
このように批判者が可視化されることに、千葉は我慢がならないのだと思います。
賛同者が一定数いるのに、千葉は僕のことを「悪質」だのなんだのと文句を言い、
果ては「弁護士が中傷と判断している」などと僕のレビューのコメント欄に貼り付けて、
まるで僕が違法行為でもしているかのように印象操作を行いました。
千葉が有名であることを利用して言論弾圧をしていると僕は感じました。
あまりに不愉快だったので、
僕は千葉雅也を雇っている立命館大学に、このような千葉の行為が教育者としてふさわしいと考えているのか、
メールで問い合わせました。
無責任な教育機関である立命館大学は返答をよこしませんが、
それ以後、千葉が僕を名指しで悪く言うツイートはなくなりました。
何があったかは、推して知るべし、というところです。
つまり、千葉の僕に対するツイートはあらゆる角度から考えても不適切なものだったわけです。
千葉自身が悪口ツイートと違反通報を控えたことに、彼のツイートの不適切さがハッキリと現れています。
さて、ここからが本論です。
このような千葉雅也の恥知らずな言論弾圧ツイートの尻馬に乗って、
それをリツイートして世間にばらまいた卑怯な俳人たちがいるのです。
これらの俳人は宣伝塔として積極的に僕の言論を弾圧する行為の片棒を担いだわけですが、
集団で同時多発的に事実に基づかない不適切ツイートを拡散させることが、
僕に対する「イジメ」(もしくはネットリンチ)に当たるのは明らかです。
この俳人たちが自分の著書への批判レビューを「根に持っていた」ことは想像できますが、
自分自身では僕に反論もしなかったのに、
あろうことか大学から戒められるような千葉の行為を利用して、
寄ってたかってリツイートで言論弾圧行為に加担するという汚いやり方で、自分の復讐心を満足させたのです。
なんて程度の低い人間たちなのでしょうか。
リツイート程度の行為に罪がないということはありません。
たとえばマット上の人間に上から大勢が覆いかぶさって圧死させたとして、
1人目には罪があり、7人目には罪がないなんてことがあるでしょうか。
「中傷」に乗っかって裏から言論を弾圧する人間が、いっぱしの表現者の顔をしていることが僕には許せません。
コイツらが僕に伝わるように謝罪しないならば、
(どうせそんな勇気があるわけはないでしょうが)
僕がコイツらを「クサレ言論弾圧俳人」と呼んでも誹謗にも中傷にも当たらないことを先にことわっておきます。
では、僕がつきとめた性根の腐った弾圧俳人どもを発表しましょう。
関悦史、鴇田智哉、田島健一、宮崎莉々香、大塚凱の面々です。
本当にクズですね。
あとで証拠のスクリーンショットを貼っておきますが、
コイツらは俳句素人の千葉による的外れの文句を、
お仲間の福田若之『自生地』を擁護したいから(もしくは僕への意趣返し)という理由でリツイートしています。
そのツイートの一つがこれです。
検索してみたら、福田若之『自生地』に対する佐野波布一のレビューを見つけたのだが、これがまた本当にひどい。福田さんの作品をラノベ的感性によるナルシシズムの発露と決めつけている。なんでもナルシシズムだと断罪すれば批判できたつもりなんだろう。
福田の『自生地』の散文が雑誌「ファウスト」経由のラノベと類似していることについては、
福田を褒めた青木亮人という学者も同様のことを書いています。
(青木は舞城王太郎を想起すると書いたのですが、舞城は「ファウスト」で執筆していた元ラノベ作家です)
それから「ナルシシズムの発露」であることは、福田の文章を丁寧に読解したプロセスがあるのですから、
同意できないからって「決めつけている」と言われる理由はありません。
またナルシシズムが「ラノベ的感性による」なんて、僕はどこにも書いていません。
福田の散文にラノベの影響があると書いただけです。
千葉という男は根拠を示しているのに「中傷」と言ったり、
著書を引用して書いているのに「罵詈雑言」と言ったり、
人の書いたものをまともに読む気がない不遜きわまりない虚言モンスターなのです。
こういう病人一歩手前の人間の書いたものを、内容を確かめもせずに垂れ流す行為がいかにクズであるか、
クサレ言論弾圧俳人どもは「相手憎し」となると考えもしないわけです。
(そもそも自分で考える力自体がないのかもしれませんが)
俳人ともあろう者がこんな的外れな内容のツイートを拡散することには「悪意」しか感じません。
彼らが僕をイジメたがっているのは、僕に批判的なレビューを書かれただけでなく、
千葉の時と同じように、そのレビューに賛同の投票が相当数集まっているからです。
つまり、一定数の人が同様に感じているのが明らかにもかかわらず、
自分の作品を反省するのではなく、発信した僕を貶めればいいと考えたわけです。
こういう人間は端的に「文学自体をナメている」と断言できます。
作品が良ければ僕が悪く書こうと多くの人が賛同するはずありません。
作品の良し悪しは作品と向き合った読者が決めるものなのに、
コイツらは作品そのものよりツイッターのようなメディアに依存して生きているため、
メディアで悪い評価を発信した奴がいなければ、作品への悪い評価自体がなくなると考えているのです。
こんな勘違いは俳句自体の力を信じていないことを表明しているだけですし、単なる責任転嫁でしかありません。
他人の行為に乗っかって気に入らない奴に仕返ししてやろう、という態度がいかにくだらないか、
そんなことも自覚できなくなるからツイッターというメディアはクソなのです。
手っ取り早い自己宣伝メディアであることはわかりますが、
自分で責任を負うことなく、怪しげな内容で風評被害を巻き起こす、悪性のプロパガンダ・メディアという危険な面も持っています。
千葉のような素人の誤った意見に乗っかって悪意を垂れ流し、
自分の名前では僕の批判をしようとしないこの日和見俳人たちが、
いかに三流の表現者でしかないか、自ら思い至る必要があると思います。
彼らが少しでも自分自身に責任を持てる人間であるならば、自分の行為を反省するはずです。
それもできないで、したり顔で麻生太郎や社会問題の批判をする資格などあるはずもありません。
そもそも、自分自身で責任を負わないリツイートによる批判は、
言葉を持たない弱者のとる手段であって、表現者ヅラした人がやるべきことではありません。
個人の自由なのでダメとは言いませんが、ザコな人間であることを自ら示していることくらい自覚しておいてください。
つまり、間違ってもコイツらには表現者やアーティストの資質もなければ、覚悟すらないということです。
結果として僕の批判はやっぱり正しかったわけです。
まあ、今の腐った日本ならザコの悪事ぐらいでは目立たないで終わるのかもしれませんが。
さらに言えば、集団で風評を垂れ流すのもみっともないし、感心しません。
自分の名前で意見も言えず、人を貶める行為すら一人でやれない人たちだから、
いつまでもみんなで寄り集まって低レベルの合同句集を出すしか脳がないのです。
まずはお友達から離れて一人で言論活動をしてみてくださいな。
いつまで幼稚園のお遊戯気分なのでしょうか。
いや、ホントに、キミたちいくつでちゅか〜。
本当にクソすぎてコイツらの卑怯さに僕は自然と腹が立ってしまうのですが、
おそらく俳句界では内輪主義が普通になっているため、
彼らの言論弾圧の後押しがいかに問題行動であるかが、外部の人より見えにくくなっていると想像します。
ですが相撲界と同じく、外の社会常識を尊重することは大切です。
俳句界の外の人間だから無責任な方法で「イジメ」てもいいだろう、などと考える連中を、
俳句界が自浄できないのであれば問題です。
こういう人間を内側からちゃんと批判しないから、外部を遮断すればすむという甘い考えを持たれるのですよ。
僕は四ツ谷龍という俳人にも、彼のステマ行為を批判したことで「頭がおかしい」などとツイートされたのですが、
俳句界には倫理というものがないらしく、いつまでも謝罪をしません。
自分を批判する人間は人間扱いしなくていいとでも思っているのでしょうか。
そういう専制的な態度が、いかに外部の人間を見下す姿勢からきているかがよくわかります。
関悦史も鴇田智哉も四ツ谷龍に最高得点を入れてもらって田中裕明賞を受賞した人物ですし、
プライベートでも親しくしている関係ですので、
年配の四ツ谷がこんな態度であれば「若手」もそれに倣うのは当然なのかもしれません。
外部の人間に対する態度こそが、その人の「真の」人間性を表しているのだということを、
(本気でフランス思想に興味があるのなら)彼らは肝に銘ずるべきだと思います。
クサレ俳人たちのリツイート集
関悦史
鴇田智哉
田島健一
宮崎莉々香
大塚凱
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