『後醍醐天皇』 (岩波新書) 兵頭 裕己 著

  • 2018.05.06 Sunday
  • 10:05

『後醍醐天皇』  (岩波新書)

  兵頭 裕己 著

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   建武の中興から「国体」の問題まで浮かび上がらせる知的興奮に満ちた一冊

 

 

本書を読み始めてすぐに、わずかな違和感を感じました。

歴史学者らしくない書き方だな、と思って著者略歴を確認すると、

兵頭は『太平記』の校注を担当した文学畑の学者でした。

ちょっとだけ心配しましたが、厄介な歴史的事実が過剰に記されることもなく、読みやすいと感じました。

その上、先行研究もしっかりと紹介してくれるので、おそらく歴史マニアから見ても不満のない内容だと思います。

 

兵頭も何度か触れていますが、

『太平記』は法勝寺の円観恵鎮が足利直義のところに持ち込み、そこで修正が加えられて成立しているため、

室町幕府寄りの記述になっていて、後醍醐天皇側には批判的です。

(たしか『梅松論』も幕府寄りの内容だったはずです)

 

さすがに専門家だけあって、兵頭が『太平記』と史実との違いを明らかにしていくところは読み応えがあります。

たとえば、後醍醐天皇が中宮禧子のお産の祈禱を行なったことについて、

『太平記』ではお産は隠れ蓑で、実は幕府の調伏を狙っていたことにされています。

その影響で幕府執権の金沢貞顕の書状の解釈が正反対になってしまう論があったりするのですが、

その代表が網野善彦『異形の王権』です。

兵頭は後醍醐天皇が重用した真言僧の文観弘真を、網野が邪教の祖としていることにも反論します。

『太平記』で文観が悪く描かれているのは、その後任で足利尊氏に仕えた三宝院賢俊を持ち上げたい事情があったからだと述べています。

『太平記』の成立事情を考慮しないと誤った解釈が生まれることを指摘した部分は、

まさに兵頭の本領発揮という感じがしました。

 

本書を読むと、後醍醐天皇がいかに宋学に通じたインテリであったかがよくわかります。

『太平記』にも宋学で根本経典とされた『孟子』の語句が多用されているのですが、

この時代に宋学など儒教の影響力があったという兵頭の指摘は、

文学畑の発想ということでは片付けられない真実味があります。

この後醍醐天皇の宋学教養が「新政」に失敗をもたらしたと兵頭は見ているのですが、

日本人が海外の権威を単純反映して失敗することは、確かによくあることに思えます。

 

ちなみに後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕を考えたのは、持明院統と大覚寺統との天皇交代制という「慣習」から、

中継ぎ天皇として一代での退位を余儀なくされていたため、

その世話役をしている鎌倉幕府を倒して自分の天皇の地位を盤石にしたいと考えたからのようです。

 

また『太平記』本文で「楠」正成と表記されているものが、現在「楠木」正成となっているのは、

明治に官選国史の編纂をした川田剛がそれまでの記述をひっくり返したことによるそうです。

兵頭は川田説を支持していないため、記述を「楠」で統一しています。

 

このように、本書の読みどころはいろいろあるのですが、

僕が最も感心したのは、建武の新政の考察から天皇の直接統治である「国体」の持つ意味を掘り下げたことです。

 

兵頭は後醍醐天皇が「無礼講」という官位や家柄の上下関係を無視した場を設けたことを重視しています。

後醍醐天皇は天皇に権力を集中させる「新政」(天皇親政)を行うために、

既存の序列(ヒエラルキー)を無視した抜擢人事を行いました。

宋学に通じた日野資朝や日野俊基がその代表ですが、

楠正成はもちろん足利尊氏よりだいぶ格下の新田義貞もそれに含まれています。

兵頭は後醍醐天皇の「新政」が失敗に終わった原因が、

宋学イデオロギーによる既存のヒエラルキーの破壊にあるとしています。

現代までさほど変わらないことですが、多くの日本人は閉鎖的な世界をこよなく愛しているため、

中国的な実力主義にはなじめず、門閥、家柄などの縁故主義を強く維持しようとするのです。

 

興味深いのは、後醍醐天皇の天皇親政のあり方が後世の「国体」に影響したという兵頭の考察です。

建武の中興において、天皇親政は「無礼講」に見られるような既存の権力序列を無化することを意味しました。

そのため、後世に天皇親政による身分社会の解体という「幻想」が育まれるようになったと言うのです。

 

政治思想史のうえでは、後醍醐天皇の「新政」の企ては、出自や家柄、門閥に根ざした身分制社会にたいするアンチテーゼとして、この列島の社会における「王政」への幻想を醸成することになる。

 

既存の身分社会や世俗の序列を解体し、神の前で万人が等しく平等であるように、

天皇がすべての民に等しく君臨する統治形態が「革命のメタファー」となったという兵頭の考察は、

すべて納得できるわけではありませんが、非常に面白い説ではあると思います。

 

天皇の絶対的権威に基づく国家を表す「国体」という言葉は水戸学のキーワードなのですが、

兵頭は「足利時代以降に失われた「国体」を回復する思想運動が、水戸学の尊王攘夷論である」として、

「国体」という観念が武家社会の序列を無化する力を持ちえたことに、

後醍醐天皇の建武の中興が影響しているとするのです。

 

縁遠いことを持ち出すようですが、

最近出版された白井聡『国体論』で、白井は国体の批判を展開しています。

天皇の権威に依存した体制を批判するのに、なぜか白井は冒頭とラストで今上天皇の「お言葉」を持ち出します。

僕にはこのような矛盾が不思議でしたが、

今でも既存体制の変革を訴える時に天皇が必要になってしまうのは、

兵頭が指摘する天皇についての日本人の根深い「幻想」が、今でも生き続けている証拠と言えるでしょう。

白井聡にも本書を読むことをお勧めしたいものです。

 

 

 

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