「現代思想 特集=保守とリベラル」2018年2月号 (青土社)

  • 2018.05.03 Thursday
  • 13:08

「現代思想  特集=保守とリベラル」2018年2月号  (青土社)

 

 

   ⭐⭐

   日本にイデオロギー対立はあるのか?

 

 

最近、政治の場面では右翼vs左翼という対立軸に変わって、

保守vsリベラルという立場が持ち出されたりしています。

 

そのわりに、「保守」や「リベラル」の定義すらハッキリしていません。

リベラルは理性を盲信するが、保守は理性を疑うのだ、などという

保守マンセーのための大嘘を著書やテレビで平気で振り回せる世の中になっています。

(じゃあフランス革命に共感したカントは保守思想家かよ)

このような不確かな言葉を「シニフィエなきシニフィアン」として「言霊化」してしまうのが日本人なのですが、

「ねじれる対立軸」という副題をつけても、結局は対立軸として採用してしまう本誌の知性も怪しまれます。

 

本誌の執筆者の多くも保守とリベラルという対立軸への疑念をあらわにしています。

北田暁大は「保守/革新」と欧州型「リベラル/ソーシャル」の対立がごちゃまぜになって成立した「日本型リベラル」を分析しています。

北田は「リベラル」とは「革新」から社会主義色を薄くしたものではないか、と書いていますが、

社会主義体制の崩壊によって、左派のモデルがアメリカ型になったという見方には首肯できます。

 

「日本型保守」の効果的な分析が見当たらなかったのが残念ですが、

右派の国家主義的な面をマイルドにするための表現だと僕は考えています。

つまり、右派も左派も共にイデオロギーを脱色していった結果、保守とリベラルという語に落ち着いたのでしょう。

その意味では便宜的に成立した語でしかないので、

大澤真幸が宇野重規との対談で引き出そうとしている日本の保守の逆説的なねじれ、

つまり、本来の保守とは似ても似つかないことを示すことにはあまり意義は感じません。

 

僕は日本の右派と左派の対立というのは、

保守やリベラルという身にまとうイデオロギー自体はただのファッションでしかなく、

思想的な内容を欠いた対立だと感じています。

だから、保守やリベラルという思想(イデオロギー)を考察することにほとんど意味はありません。

本誌の特集がレビューがひとつもつかないほどコケているのは、そのためです。

保守の嘘、リベラルの嘘、とどっちも嘘だらけなのも当然です。

だって中身なんてないのですから。

 

森政稔がリベラル左派は安倍政権を批判しても北朝鮮の人権問題をスルーしてきたことを批判していますが、

これもイデオロギーを基盤として行動しているわけではないからだと考えれば何も不思議ではありません。

右派も全く同じで、彼らは愛国とか言いながらアメリカ従属の売国奴であっても平気なのです。

日本の右左の対立が思想やイデオロギーとは無関係に成立していることを、そろそろ知識人も気づいたらいいと思うのですが、

思想の雑誌だから思想の問題という前提を崩すわけにはいかないのでしょうか。

 

どこかでまとめて文章にしようと思ってはいますが、ざっと語ると、

自己充足的な日本人の行動原理は本質的に外圧しかありません。

そのくせ物事の基準が自己本位の「甘え」でしかないため、

その外圧が自分にとって同情的か敵対的か、自分を好きか嫌いかという判断へと収斂します。

日本の対立軸など本質を言えば「甘え」を許容するかしないか、これしかありません。

右派は「甘え」を許容してほしい人々、左派は「甘え」に批判的な人々ということです。

そのため右派は権力にすりよる人々、左派は権力に対して闘争的な人々になります。

(その左派が権力側になると、今度は自分たちの「甘え」を許容する右派へとひっくり返るのです)

 

要するに自分の「甘え」を許容する味方か批判する敵かという対立であって、イデオロギーは方便でしかないのです。

批判する側も身内の問題には味方だからと目をつむり、「甘え」を許してしまうので、

現在の利害による対立でしかなく本質的に中身はどちらも一緒なのです。

僕に言わせれば、どっちも日本人でしかないということです。

 

本気でこの問題を考察したければ、このような日本人の本質を考察しなければいけないのですが、

そのあたりにわずかにでも届いている論考は、岡野八代「フェミニズムとリベラリズムの不幸な再婚?」くらいでした。

岡野は日本軍性奴隷の問題を中心において、保守とリベラルという虚構の対立図式を批判しています。

 

あたかも日本に「リベラルと保守」といった政治的な対抗図式があるかのように装われることで、国家主義的な反動にすぎない勢力が、なんらかの政治的理念をもって活動しているかのように喧伝されてしまう状況について、批判的に描き出してみたい。

 

岡野は自分の論考の意図をこう説明していますが、

「なんらかの政治的理念をもって活動しているかのよう」な勢力は、保守陣営だけでなくリベラル陣営も同様なのです。

外圧の源泉である外的権力をどこに置くかというスタンスが違うだけで、

両者はともに外圧を参照するだけの、内発的思想のない連中であることに変わりはありません。

 

僕は前々から左派スタンスの〈フランス現代思想〉などのポストモダン的価値観の隆盛によって、

日本が右派スタンスの保守化を進めてきたという逆説を唱えていますが、

そのようなことが起こるのも、両者が根本で同じ行動原理を有しているからにほかなりません。

 

僕は日本人が歴史的に維持してきた行動原理を変えられるとは思っていませんので、

このようなことを指摘することにシラけた思いを抱いています。

ただ真実は真実として存在しているものなので、僕が言わなければいいというものではないことをご理解ください。

 

それから、荻上チキと立岩真也と岸政彦の討議は、

自分たちの仕事上の悩みを語り合う内輪的な内容すぎて、

自分たちの仕事の宣伝でなければ、まったく掲載する意味がわかりませんでした。

 

 

 

評価:
大澤真幸,宇野重規,岸政彦,立岩真也,荻上チキ,北原みのり,武田砂鉄,北田暁大,杉田敦,中北浩爾,樫村愛子,岡野八代,森政稔,明戸隆浩
青土社
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