千葉雅也の陰口ツイートへの佐野波布一反論コメント

  • 2018.04.25 Wednesday
  • 09:43

 千葉雅也の陰口ツイートへの

 佐野波布一反論コメント

 

 

   批判言論に対してパワハラで応じる人間をチヤホヤする堕落した日本言論界

 

 

本の評価を決めるのは、ページを開いた読者なのでしょうか?

それとも著者本人なのでしょうか?

みなさんの常識では当然読者が評価を決めるという答になるでしょうが、

立命館大学准教授の千葉雅也はそうは考えていません。

自分の書いた本の評価はあくまで自分自身で決めるべきものだと思っているのです。

 

千葉雅也というフランス現代思想の学者は、

自分の著作に対する僕の批判的なレビューが「参考になった」投票を集めると、

それに我慢ができなくなってツイッターで僕を含んだ批判的なAmazonレビュアーを「基本アホ」とツイッターで侮辱しました。

今回の『メイキング・オブ・勉強の哲学』のAmazonレビューに関しては、

自分が大勢のフォロワーを抱える著名人であるのを良いことに、

ツイッターに僕のレビューの悪口を連投し、フォロワーに僕のレビューの違反報告やアンチ投票をするように仕向けました。

僕のレビューはAmazonのガイドラインでは誹謗・中傷に当たるとは判断されていなかったにもかかわらず、

千葉自身とその先兵となった読解力のないファンの違反通告によって何度か消去されました。

 

いくら辛辣な揶揄であろうと、言論は言論なのですから、

反論などの対抗的な言論行為で応じるのが知識人の在り方だと思います。

しかし、千葉は言論による論争に勝つ自信がないためか、

書かれている内容が真実でしかないためか、

ファンを頼みにした数の暴力や、弁護士を持ち出した強迫によって、

僕の表現の自由を弾圧することを選びました。

 

著作の評価を読者が決めることを受け入れることができない人が大学准教授であることも問題ですが、

それが主体批判を信条とし、「作者の死」を当然のごとく主張してきた(フランス現代思想〉の研究者であるのですから、

自分の研究対象である学問に対する背信行為でもあるわけです。

 

日本の〈フランス現代思想〉研究者は、メタな位置に逃げ込んで無責任な立場から世の中を侮って見ることが哲学的だと勘違いをしています。

その集大成が千葉雅也という人物です。

著作上の記述を取り上げた批評的言論に対して論理的な反論をひとつもしないで、

書いた人間に対する感情的な文句だけをツイートすることが、大学に籍をおく者として正しい行為なのでしょうか?

そもそも言論に価値を認めずに、権威の力を行使したがる人間がどうして大学准教授をしているのでしょうか?

(まあ、千葉本人はアーチストのつもりらしいですけどね)

 

この程度の人物にツイッターで好き勝手言われるのは不愉快なので、不本意ながら反論をさせていただきます。

Amazonは誹謗中傷と判断されればレビューが非掲載になるので、いつも批判が不自由で苦労していますが、

ツイッターは自分本位で好き勝手言えていいですよね。

(僕は文章が自己基準にならないようにAmazonのガイドラインという枷を自らはめています)

今回は自分のブログなので少々乱暴な言葉遣いになるかもしれませんが、見苦しいところがないように気をつけます。

 

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中

@masayachiba

 

それにしても、Amazonレビューで手前勝手な毒舌を振るっている佐野波布一という人は、いつまで僕の本や関係する本を、出るたびに粘着的に攻撃し続けるのだろうか。レビューなど放っておけばいいとよく言われるわけだが、個人へのヘイトですらあるあの書きぶりに対し、悪質である、と言っておく。

午後7:23 · 2018年4月16日

 

批判的な内容だからといって「攻撃」と言うのはおかしいです。

どうして無名な一レビュアーでしかない僕の文章が、「攻撃」なんて上等な効果を及ぼせるものでしょうか。

僕と千葉の言論界における立場は圧倒的に非対称的であるはずです。

なぜ立場が圧倒的に優位な千葉が被害者のような顔をするのでしょうか?

僕がたった一人で、それも言論を用いて挑んでいるのにもかかわらず、

千葉は論理不在のツイートでフォロワーを動員して僕へのアンチ投票を激増させました。

こういう数の暴力こそ「攻撃」(もしくは「イジメ」)と言うべきではないでしょうか。

 

そもそも、千葉はデビュー作『動きすぎてはいけない』に僕がちょっと批判的なレビューを載せたくらいで、

何万人のフォロワーに僕の悪口をツイートしたのです。

その後も僕が彼の著作をレビューするたびに同様のツイートを粘着質に繰り返しておきながら、

どうして自分ばかりが被害者のような面をするのでしょうか。

僕の方から見れば千葉の行為こそが「悪質」です。

こうやって自分の行為を免罪して、同様の他人の行為だけを責めるのがナルシストのやり方です。

 

「いつまで」と問うなら答えは簡単です。

千葉が自分のツイートについて謝罪し、批判されるような内容の本を書かなくなるまでです。

僕は著書の内容に基づいて虚心で読むように努めています。

僕のレビューをよく読めば、『勉強の哲学』は文章において評価をしているため星を一つ増やしていますし、

「現代思想」の記事に対しても「能力を感じる」と書いた部分はあったはずです。

それをただ「ヘイト」だとしか思えないのは、むしろ千葉が僕のことをただただ嫌っているからです。

こちらは論理で挑んでいるのですから、好き嫌いの感情的問題に還元する幼稚な態度はやめていただきたいものです。

 

また、「手前勝手な毒舌」であるならば本文引用など必要ありません。

こちらが本を一通り読んでいるのが明らかにもかかわらず、

まるで読んでないかのように書くのは、千葉が「他者」を不当に低く扱う非フランス思想的人間であることの証明でしかありません。

 

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@masayachiba

 

『メイキング・オブ・勉強の哲学』に対する佐野波布一氏の長々しいレビューは、またいつものことかと思ったが、それにしても、侮辱したくてしょうがないという感じで、本当にひどい。

午後7:29 · 2018年4月16日

 

「侮辱したくて」の意味がわかりません。

誤解を恐れずに言えば、僕は千葉の教養やオタク的知性などたいしたことがないと思っています。

つまり、事実を書けば事足りるので、わざわざ「侮辱」をする必要のある相手とは見なしていません。

こちらの感覚ではせいぜい「揶揄」という認識です。

「侮辱」と言うなら、具体的な文章を示すようにコメント欄で千葉に問いかけたところ、

そのような文章を示してこなかったので、これが「言いがかり」であることはハッキリしています。

 

具体的な「侮辱」にあたる箇所がないにもかかわらず、

僕の批判を「侮辱」だと騒ぎ立てるのは、千葉が僕より上の地位にいると思っているからでしかありません。

「ボクのような上位の人間を、下位のネット民が批判するなんて侮辱だ!」という感情で、

文章の内容が問題ではないのです。

僕は地位ではなく知性のレベルで人間をはかっているので、

より論理を用いる僕が論理不在のお猿さんを批判したところで「侮辱」になるという感覚がまったく理解できません。

 

何度も言いますが、千葉は僕に文句があるなら反論すればいいのです。

論理に対して論理で応じることなく、地位や人気をかさに着て「見えない権力」で圧力をかける、

これはパワハラの図式と何も変わりません。

(実は千葉に限らず、アカデミックな地位にある人間にはこのタイプが少なくありません)

こういう封建的発想に基づいた非言論的態度をとる人間を、僕はポストモダンどころか前近代的ムラビトだとしか思いません。

 

こういう言論の内容より社会的地位を頼みにする人間が思想を語っているかのように誤解しているから、

日本の言論界はいつまでもほんとうの言論界として成熟できないのです。

僕のレビューに自分では反論ひとつしないくせに、

意趣返しとばかりに千葉のリツイートを垂れ流す関悦史や田島健一などの陰口俳人も、

このような千葉のパワハラ的言論弾圧を支持した人間として、

己に表現者の資格がないことを自ら証明したことをよく自覚しておいて下さい。

関も田島も千葉と一蓮托生の道を選ぶなんて、ずいぶんと勇気ある決断をしたものだと感心します。

 

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@masayachiba

 

検索してみたら、福田若之『自生地』に対する佐野波布一のレビューを見つけたのだが、これがまた本当にひどい。福田さんの作品をラノベ的感性によるナルシシズムの発露と決めつけている。なんでもナルシシズムだと断罪すれば批判できたつもりなんだろう。

午後7:36 · 2018年4月16日

 

僕は200以上もレビューを書いているのに、

自分以外のレビューを一つ挙げただけで「なんでもナルシシズムだと断罪」と書くのは図々しいにもほどがあります。

千葉のような「他者」不在の世界に生きているナルシストの好きな作品が、

同様にナルシシズムを発露した作品でしかないだけのことで、

僕は他の著者のレビューでは(福田の類友を除いて)ほとんどそんなことは言っていません。

こういう根拠のない悪口のことを「中傷」とか「言いがかり」とか言うのです。

 

それから福田の『自生地』の散文がラノベと類似しているいう指摘は、

福田を褒めた青木亮人という学者もしています。

他の人も指摘していることを僕が「決めつけている」と表現するのは不適切と言えるでしょう。

たいして俳句を勉強したとも思えないのに、恥をかきによく出てくるな、とあきれます。

僕から見て千葉の知性がオタクレベルとしか思えないのも仕方ないのではないでしょうか。

 

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@masayachiba

 

Amazonレビューって、やろうと思えば、話題の本をレビューしてつなぐことで「俺の批評空間」を構築し、他者の話題性に乗っかって自分の書き物を多くの人の目に触れさせることができる。それは、出版機会の不平等に対するゲリラ的な抵抗運動でもあるから、複雑な気持ちになる。

午後7:40 · 2018年4月16日

 

僕は多くの人に自分の書いたものを読んでもらおうなどと思っていませんので、

これは千葉が一般論として書いているのかもしれませんが、

千葉の「出版している人間はエライ」的発想が田舎者丸出しすぎて赤面してしまいます。

父も祖父も曾祖父も本を出版していますので、僕は出版がそれほど特別な行為だと思ったことがありません。

そのため、たかが出版行為くらいで選民意識を持つ人というのはどこの野蛮人かと思います。

本だろうがAmazonレビューだろうが、良いものは良いし、悪いものは悪いのです。

 

「他者の話題性に乗っかって」というのはドゥルーズやメイヤスーに乗っかってるだけの千葉自身のことでもあります。

この人はすぐに自分をメタに置いて免罪してしまうのですが、オマエは「僕の批評空間」すら構築できてないじゃん、と言いたいところです。

先輩の引いたレールの上を走っているだけの自動運転列車のわりに、警笛だけは大きいので困ります。

 

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@masayachiba

 

「ポストモダン嫌い」という姿勢をベースにしてネット上で罵詈雑言を言う人って、「ネトウヨ」みたいに何か名前をつけたほうがいいんじゃないかな。

午後7:56 · 2018年4月16日

 

人が何を嫌おうが好き嫌いなら自由なはずです。

ネトウヨはイデオロギーですが、人の好き嫌いを抑圧するなんてコイツは独裁者か何かなのでしょうか。

おまけに「罵詈雑言」とは何のことでしょうか。

僕が書いたのは著作に基づくレビューなのに、どこに罵詈雑言などあったと言うのでしょうか。

これはツイートの流れ上、まちがいなく僕のことでしかないので、この発言に関しては千葉に謝罪と訂正を要求します。

学者のはずなのに根拠のない中傷をよくもしてくれるものです。

 

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@masayachiba

 

佐野波布一氏のレビューって、あれこれ読むと、基本線があるみたいね。ポストモダン嫌い。軽薄そうに見える作品が嫌いで、価値観が古典的なものに寄っている。売れてる感が嫌い。まあ、いますよねこういう人。ある種の典型性を表していると思う。

午後8:08 · 2018年4月16日

 

こういう何でも「好き嫌い」に還元する論理不在の幼稚な態度が、言論界の空洞化を象徴しています。

僕が「ある種の典型」なら、どうして僕個人の名前を挙げて執拗に悪口を言うのでしょうか。

すでに千葉のやっていることが矛盾しています。

 

僕のレビューのコメント欄で、僕に批判的に絡んできた人たちは、

論理で僕に勝てないために、ほぼ全員メタに立つことで優位な位置を確保しようとします。

「いますよねこういう人」とメタな視点から僕を相対化したような顔をする千葉のやり方こそが、

典型的な論理弱者のネット民のやり方でしかありません。

論理で批判ができず、猿用のボタンを押して相手を否定した気分になっている連中もそうですが、

メタに立つことで優越感を募らせ、相手を侮りバカにする態度こそが典型的なネット民もしくはネトウヨの在り方であり、

千葉はそういう連中の生き仏、等身大の存在として支持されているのでしょう。

ザコなメンタリティであることを売りにしているくせに、

自分が何様かであるかのような「臆病な自尊心」を振り回すところが、千葉の醜さであると指摘しておきます。

 

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中

@masayachiba

 

『メイキング・オブ・勉強の哲学』に対する佐野波布一氏のAmazonレビューがいったん削除された後、すぐに再掲載されました。本レビューには著者への中傷が含まれるという認識により、著者は現在、弁護士に相談中です。弁護士は、本レビューは中傷の域に達するものであると判断しています。

午後10:32 · 2018年4月18日

 

世間知らずの千葉は知らないのかもしれませんが、弁護士は裁判官ではありません。

依頼者に同調した判断をするのは特に不思議なことではありません。

それをさも正義の判断のように権威だと盲信し、僕のレビューのコメント欄に貼り付けて、

僕が違法行為でもしているかのように印象操作をするやり方は、もはやクズとしか言いようがありません。

勝手に弁護士に相談すればいいですし、訴えたければ裁判でもなんでもすればいいのです。

それなのに、ただ弁護士に相談したことをレビューのコメント欄に繰り返し貼り付けるとは、

権威的パラノイアのやり口そのものではないでしょうか。

 

自分が権威的パラノイアでしかないくせに、何がフランス現代思想で、何がドゥルーズで、何がスキゾなのでしょう?

こんな人物のインチキもわからない人は、自分自身で思考する力がないのですから、

知性に欠けたただの思想的人間ぶりたい権威主義者でしかありません。

千葉は自身でわからないならば、浅田彰や國分功一郎に自分の行為がパラノイアのそれでないのか尋ねてみたらいいと思います。

(その答をぜひツイートしてくださいね)

 

また『勉強の哲学』ではユーモアとか言っていたはずですが、

弁護士を持ち出すようなやり口のどこにユーモアがあるのでしょう?

千葉の著書がいかに口だけの嘘で構成されたものか証明されたと言えるのではないでしょうか。

 

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@masayachiba

 

俳句の人たちも佐野波布一氏のレビューには抗議した方がいいと思う。

午後10:32 · 2018年4月18日

 

愚かな俳人はすでに文句を言ったりしていますよ。

僕が撃退しているだけです。

 

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@masayachiba

 

自分の本はもちろんのこと、Amazonで本を調べていて中傷するレビューを見かけたら、積極的に違反報告しています。

午後10:50 · 2018年4月18日

 

僕は積極的に「批判言論狩り」をしていますという内容を、誇らしげにツイートする人にあなたは知性を感じますか?

僕は千葉のツイッターにこうして反論をしますが、違反報告や裁判など考えたこともありません。

言論を操れない知的弱者が弁護士や管理者に頼るものだと思っているからです。

弁護士に相談したり、Amazonにチクったり、コイツは自分では何もできないのでしょうか。

この特高やゲシュタポを連想する行為がアーレントの言う「凡庸な悪」にほかなりません。

大学准教授であるはずなのに、言論に言論で応じるでもなく、「違反だ!」とか言って通報する、

こんな幼稚な人間が思想など語る文系アカデミズムはもう終わりです。

 

何度も言いますが、Amazonレビューでは中傷はガイドラインに抵触するので掲載されないのです。

つまり千葉は自分の気に入らないレビューを「中傷」と言って通報しているわけです。

普段はフランス思想に依拠して理性や主体性を疑問視するようなツイートをしておきながら、

結局千葉は自分自身の理性や主体性に関しては無自覚に正義だと信じ込んでいます。

こういう奴の言うことがインチキでなかったら何なのでしょう?

周囲が甘やかしていても、僕は絶対にこのようなインチキを看過しません。

 

自分はツイッターで「基本アホ」などと人を侮辱する発言を平気で垂れ流している人に、

正義面してAmazonレビューを取り締まる資格などあるはずがありません。

自分の行為を免罪するにもほどがあります。

このように千葉という人間は自己の不適切な行為には知らん顔をして、

他人だけを責めてもかまわないと思っています。

どれだけ自分のことを「特別な人間」だと思っているのでしょうか?

 

いや、千葉は自分を「特別な人間」と思っているのではないのでしょう。

おそらく「自分しかいないデジタル・ナルシス(西垣通)の世界」を生きているのです。

消費資本主義的動物、つまり消費に飼いならされた「家畜」には、

人間が不在ですし、社会的な言論も必要ありません。

ネットなどの「オススメ」を享受し、自分の「好み」ばかりを断片・選択的に享受するのが当たり前になると、

自分の好みだけの世界(フィルターバブル)を形成するようになります。

こういう人間は「好み」以外のものを無意識に(非主体的に)排除しているので、

「好き嫌い」を理由に「他者」を排除することが当然としか感じなくなります。

このような心性の延長にマイノリティや移民の排除があることは容易に想像ができることです。

思想をやるなら本来はこのような現象を考察するべきですが、

千葉は無批判に自己のフィルターバブルの価値観を振り回し、

ポストモダンの批判者はポストモダンが嫌いなんだろ、とばかりに、

「他者」の批判を内容のない「好き嫌い」へと還元するのです。

(内容を考慮する気がないから何でも「中傷」と感じるのです)

こんな低レベルな人に言論など本質的に必要あるはずがありません。

(コイツの書くものは本質的にすべて自己弁護です。

「ギャル男論」とか笑わせないでほしいものです)

 

こんな無教養な人を教育者として雇用している立命館大学はもちろん、

さも知識人であるかのように扱っている河出書房新社や文藝春秋、青土社、朝日新聞などのマスコミ各社には、

千葉の傲慢な行為を後押しした間接的な責任があると僕は思っています。

著作の帯を書いた浅田彰やゲンロンでつるんでいる東浩紀、師にあたる小泉義之、親しくしている國分功一郎なども、

千葉という人物を知りながら、社会の先輩として何も教えてこなかった責任があると思っています。

(千葉は目上の人にはヘコヘコしているんですけどね)

 

権力者が好き勝手やっている政治状況と歩調を合わせるかのように、

地位や人気を利用して勝手放題やる人など、

僕のように表立って批判をしなくても、言論人として失格だと思っている人はかなりの数にのぼることでしょう。

いずれは歴史の審判が下ります。

 

 

 

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