『新訳 星の王子さま』 (阿部出版) A・サン=テグジュペリ 著/芹生 一 訳

  • 2018.04.17 Tuesday
  • 23:22

『新訳 星の王子さま』 (阿部出版)

  A・サン=テグジュペリ 著/芹生 一 訳

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   大人が自然に読める訳文

 

 

A・サン=テグジュペリの『星の王子さま』は多くの人の手で訳されていて、

現在Amazonで調べても10冊以上の版が並んでいます。

さらなる新訳が必要なのか疑問になるところですが、

有名な内藤濯訳を持っていたのですが、気になって購入してみました。

 

内藤訳の『星の王子さま』はこんな感じで訳しています。

 

王子さま,あなたは,はればれしない日々を送ってこられたようだが,ぼくには,そのわけが,だんだんとわかってきました。ながいこと,あなたの気が晴れるのは,しずかな入り日のころだけだったのですね。

 

同じ箇所の芹生訳はこんなふうになっています。

 

小さな王子よ。

わたしはこんなふうにして、きみの幼い人生の悲しみを、少しずつ知るようになった。きみの心が本当に休まるのは、もうずっと前から、日が沈むのを眺めているときだけだったのだね。

 

並べてみるとかなり違うものですね。

僕は原書を持っていないので、どちらが原文に近いのかはわかりませんが、

おそらく訳の正確さの問題ではなく、描きたい世界の違いが反映しているのだと思います。

 

目につく違いを挙げると、語り手の一人称を内藤訳では「ぼく」、芹生訳では「わたし」と訳しています。

芹生は「訳者あとがき」で、これまでの訳が語り手と王子を対等の関係として描いてこなかったのが不満だった、と打ち明けています。

たしかに内藤訳では「送ってこられた」という王子に対する尊敬語が用いられています。

王子とはいえ相手は子供です。

語り手が子供を対等に扱うのは、相手が「王子」という地位にあるからではなく、

語り手が子供を侮らずに大人と対等な存在として考えているためであるからです。

それを表現するために敬語を使わずに対等の友情関係として描こうという姿勢は理解できます。

同様の理由で、芹生は内藤訳にあるような「王子さま」の「さま」という敬称を省いています。

 

芹生訳は内藤訳のように子供向け童話というスタンスをあまり意識していないため、

ひらがなの多用や子供向けの表現のわずらわしさがありません。

そのため、大人が自分の感覚で読むのに適しているという印象です。

内藤訳のような横書きではなく、縦書きになっているのも読みやすさにつながっているかもしれません。

 

作品内容に関しては、説明すると味気ない感じになってしまいます。

大人はいろいろな夾雑物に邪魔されて、物事の真実がわかっていません。

真実は純粋な心が感じ取るところにあるのです。

「目で見たって、なんにも見えないんだ。心で探さなくちゃ」と小さな王子は言います。

 

最近、東大卒のエリートによる不祥事が後を絶ちません。

経歴が立派でも中身が立派な人とは限らないのですが、

われわれはつい見えている部分に依存して判断しがちです。

『星の王子さま』に照らして言えば、ボアが飲み込んだゾウを見ることができずにいるのです。

話題性などの他人の評価に左右されているだけでは大事なものを見失うばかりです。

 

今や『星の王子さま』は大人こそが読んだ方がいい本となっているのかもしれません。

 

 

 

評価:
サン=テグジュペリ
阿部出版
¥ 1,512
(2018-04-02)

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