『サミュエル・ベケット』 (白水Uブックス) 高橋 康也 著

  • 2018.03.18 Sunday
  • 08:25

『サミュエル・ベケット』 (白水Uブックス)

  高橋 康也 著

 

   ⭐⭐⭐⭐

   「道化」というキーワードでベケットを読む

 

 

『ゴドーを待ちながら』などサミュエル・ベケットの作品を多く翻訳している高橋康也が、

ベケットの半生と主な作品を時系列に沿って網羅的に解説した本です。

作品読解から文学的テーマに踏み込む凝縮された内容のわりに、平易で読みやすく書かれています。

1971年出版の本を底本としていますので、本文は約半世紀前に書かれていたものです。

加えて高橋によるベケット追悼文、詩人の吉岡実のエッセイ、G・ドゥルーズ翻訳者の宇野邦一の解説が収録されています。

 

代表作『ゴドーを待ちながら』は「不条理演劇」などと言われたりしますが、

高橋はベケットを「道化」と位置付けて、不条理の表現としてのおかしさと笑いに注目しています。

「道化芝居とはいえぬ道化芝居、道化とはいえぬ道化」というベケット的な名辞矛盾を用いて、

通常言われる道化とはかけ離れたところで、かえって道化性があらわになるベケットの主人公たちを理解しようと努めています。

(道化といっても太宰治のようなコンプレックスの反映とは全く違う次元の話なのでご注意を)

 

本書では若きベケットとその師であるJ・ジョイスとの関係について詳しく語られています。

2人ともアイルランド出身でありながら、祖国に背を向けた亡命者です。

ジョイスの饒舌、ベケットの寡黙と表現の方向性としては真逆にあたる両者ですが、

高橋は両者がともに自らの世界を「終わりなき煉獄」と捉えていたことを指摘します。

ベケットはジョイスの描く「煉獄」を「絶対者の絶対的不在」による善悪などの対立関係の混濁と見ているのですが、

このような相対化の極北であるポストモダン的状況を、多くの日本人が苦悩することもなくスノッブに享楽できてしまうことを、

僕は無視することができないのです。

 

「煉獄」を「煉獄」であると自覚するには、「絶対者」の存在の痕跡を感じることができなくてはなりません。

しかし「絶対者の不在」が歴史的に常態化している国では、それのどこが問題なのか、ということにしかなりません。

実際に生きている場所が「煉獄」であったとしても、外の世界を知らなければそこを天国と錯覚することは可能です。

つまり、ドゥルーズがしたようにベケットをポストモダン的な文学として扱ったとしても、

ポストモダニズムを消費資本主義的享楽としてしか受容しなかった日本人にとって、大した文学的意義はないということです。

 

日本人を相手にベケットを「道化」として語ることは、

「煉獄」が「煉獄」であることもわからない享楽主義者たちの誤解を深める結果になるのではないかと危惧します。

高橋が本稿を執筆した時代はおそらくそうではなかったのでしょうが、現代では「道化」という表現が適切なのか難しいところだと感じました。

(そのため「道化とはいえぬ道化」という表現を引用したのです)

 

僕がベケットを「道化」と表現することに抵抗を感じる理由はもうひとつあります。

高橋はベケットをデカルト的二元論において把握し、肉体の唾棄と精神の解放を目指していることを説明しています。

その説明に異論はありませんが、「道化」とはなにより身体的な存在でなければいけない気がするのです。

身体を捨てた純粋精神とは、観念的存在であって、地上に居場所はありません。

いったい地上を離れたところに存在する「道化」など想像できるものでしょうか?

高橋が選んだ「道化」という言葉はまだまだ地上的です。

しかし、ベケットは地上から離れた「聖なるもの」への野望を抱いていたのではないでしょうか。

「ベケットの最も深い意味における宗教性、彼の道化の逆説的な聖性をぼくは疑うことができない」

と高橋も本書で述べています。

その「聖なるもの」への志向が、ドゥルーズ的な観念論によって安直なメタ化へと変換され、

あの〈フランス現代思想〉という、資本主義と共謀した単なるメタゲームへと堕落していったのです。

当然そこにあるのは聖なる神の残滓ではなく、運動そのものを自己目的化した資本の運動(メタに立つためだけにメタに立つ運動)だけです。

 

本書の解説を宇野邦一が書いていることでもわかるように、

高橋の読解はドゥルーズ的なポストモダニズムと呼応した内容になっています。

高橋は『ワット』を解説した部分で、ノット氏の邸宅でのワットの体験を、

「何も起きない」いや、「無であることが起きる」と書き、

それが「意味論的」崩壊の状況、認識の不可能性と解釈しています。

このようなnotつまり否定性を無意味や不可知性として前景化するのがポストモダニズムだと言えるでしょう。

「無」を持ち出せば人間的意味の外に立てる、つまり〈フランス現代思想〉とは人間のメタに立つことを目的とした「脱自」の思想なのです。

 

ドゥルーズの失敗を繰り返さないために、

そろそろベケットの偉大さを認めつつも、あえて批判的に読む必要もあるのではないでしょうか。

ベケットの主人公たちは身体を失い、自己を剥奪され、脱自的な「無」へと突き進んでいきます。

ベケット自身も母語ではない言語を用いた単純な文章によって、言語の豊かさを剥奪していきます。

高橋はノット氏やゴドーに象徴される「無」を、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』に似ているとしていますが、

ウィトゲンシュタインが自殺する運命となったのは、彼の家系だけが原因ではないと思います。

「無」へと至る自己剥奪が「聖なるもの」を実現すると考えてしまうと、

人間とは無縁な観念論へと道を開き、果ては文学の自殺へと陥ります。

ドゥルーズに代表される〈フランス現代思想〉の反人間主義の延長にある思弁的実在論が、

人間不在の世界を観念化しようと躍起になるのも、「無」へと至るまでの自己剥奪の徹底(パラノイア!)によるものです。

 

僕がベケットの人物たちに心惹かれるのは、

人間誰しも自己を生きられるわけではない、ということからきています。

自己を剥奪されて、自分が自分で無いような「よそよそしい存在」に思えたとしても、

それでも生き続けなければならないときもあるのです。

ベケットはそんな悲しくも普遍的な人間の「原型」(もしくは原罪)を、僕たちの前に提示している、と僕には思えるのです。

 

ベケットは自ら望んで自己を剥奪し、自己の外に出ようとしているのではありません。

自己を奪われた人間こそが現代の人間であることを示しているのです。

(このあたりをユダヤ的に解釈することは可能ですが、広く「現代」と考えてみるべきでしょう)

『ゴドーを待ちながら』を解説する高橋は、それを演劇的「無」を体現したものと捉え、

その「無」が人間の運命であり生の原型であるために、

作中で「何の葛藤も解決もない」必然的な結果として描かれていることを指摘してこう述べます。

 

しかしぼくたちは、このような否定的ないないづくしがその極点において肯定的な豊饒に逆転することを見失ってはならない。そこに『ゴドーを待ちながら』の奇蹟的としか言いようのない勝利があるのだから。

 

この解釈は間違っていませんが、現代においてはこの解釈自体が逆転させられる必要があります。

つまり、肯定的な逆転を考えすぎて否定的な苦しみを見失ってはならない、ということです。

ベケット自身は亡命(ディアスポラ)の苦悩においてこのような作品を書いていたわけですが、

消費資本主義的享楽を生きて母国に依存するような連中が、このような逆転をやすやすと果たしていることに目を光らせる必要があります。

(天皇陛下即位20年の愛国イベントにエグザイルという名前のグループが呼ばれたことが、日本のポストモダンを象徴しています)

ベケットを逆回転させたものが〈俗流フランス現代思想〉であり、現状のナルシス日本です。

あらゆる理想的な営みを否定的に捉え、現状を必然や運命と捉えて、「何の葛藤も解決もない」ぬるい生を望む人がいかに多いことか。

(安倍さん以外に首相をやらせる人がいない、とか日本人以外には意味不明の発言でしょう)

彼らはゴドーなど存在しないかもね、とすでに割り切っていて、

苦しんで待つだけの意味も感じられないため、ただスマホで「気散じ」をするだけの人生です。

それをこれっぽっちも「煉獄」だと感じることができません。

 

ゴドーを待つ苦悩を知らない人間にベケット作品も〈フランス現代思想〉もまったく意味がありません。

彼らは「何の葛藤も解決もない」自分の生を知的ぶって肯定するために、それを自己弁護として利用するだけなのです。

(そのために自らが迫害を受けているかのように被害者ぶるのが、日本的ポストモダニズムの成れの果てです)

 

いつまでもゴドーは現れない、

それでも僕たちはゴドーを待って苦悩するべきなのです。

一神教から遠く離れた国では、

詩的な自己剥奪など今やスマホによる暇つぶしと大差がなくなりました。

今や文学に詩は必要ありません、真の亡命者となるほどの苦悩や葛藤こそが必要なのです。

 

 

 

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< November 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM