『紀貫之』 (ちくま学芸文庫) 大岡 信 著

  • 2018.03.09 Friday
  • 12:39

紀貫之』  (ちくま学芸文庫)

 大岡 信 著

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   刺激的な考察に富む日本文化論

 

 

本書は亡き大岡信が1971年に書いた論の再文庫化です。

題名通り紀貫之の和歌について書かれているのですが、

僕がおもしろいと思ったのは、紀貫之の歌についての考察よりも、

和歌のルーツやそれを生み出した日本文化に対する考察の方でした。

 

正岡子規が貫之を「下手な歌よみ」と言ったのは、『歌よみに与ふる書』でした。

大岡はこの偶像破壊とも言える子規の革新運動を広く取り上げます。

そのため、冒頭は紀貫之というより正岡子規のことが多く書かれています。

子規が生真面目に俳句の「滑稽と諧謔」を拒絶して、松尾芭蕉の雄壮さをとりわけ評価したのに対し、

「花鳥諷詠」という天地の造化への挨拶を俳句の本質とした高浜虚子は、「滑稽と諧謔」を許容している、

などと述べ、「滑稽と諧謔」が個人のモチーフとして現れるようになったのは古今和歌集だとしています。

 

そこで大岡はあるものと別のものとを「合わす」ことに、詩的感情の成熟を見ています。

二つのものを「合わす」ところに滑稽や諧謔も挨拶もあり、そんな歌の力を古代人が重んじていた、という指摘は、

和歌と俳句という伝統詩型ついて考えるうえで欠かせない要素のように思えます。

 

大岡は第四章で、「合わす」行為、二つのものの融合を日本語の特徴から考えていきます。

そのモデルとなる貫之の歌がこれです。

 

 影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき

 

この海底を空として捉える「逆倒的な視野構成」において、水と空は互いが互いを映す鏡となっています。

「詩的言語」を詩人が自覚的に用いるようになったのは、互いに映発し合うものの発見にあり、

映像と映像とを一つに融け合わせ、暗示に富んだ小世界を作りあげる手法が、

テニヲハを駆使する膠着語という日本語の特質に由来する、と大岡は考えています。

 

さらに大岡はテニヲハなどの助詞が、漢文の訳読に用いる記号「ヲコト点」から発達したことにまで遡ります。

助詞が言語になりきっていない記号から発達したという事実はなかなか興味深いものがあります。

使われる助詞の数は万葉集に比べて、古今和歌集で著しく増大します。

 

しだいに大岡の興味は貫之一個人を超えて、日本人の自然観や文化へと逸脱していきますが、

そこが非常におもしろいのです。

 

大岡は津田左右吉や石田英一郎の言を引いて、

日本人が外来思想の影響を受けなかったことや合理主義的な世界観を拒絶したことなどを示したあと、

その原因を「距離」の尺度として説明します。

草原や砂漠を生活環境とする人は、あらゆる関係の尺度を「遠さ」に置いているが、

日本では逆に「近さ」を前提とした情緒的で省略の多い伝達様式が発達したというのです。

 

いずれにしても、人や物の空間的「近さ」という感覚に距離の尺度をもつ精神は、隔絶した絶対者にむかって絶望的な飛躍・挑戦を試みるよりは、神や人間の観念に先立つ与件としての「あめつち」、すなわち自然界ないし宇宙との、親和・融合を、ほとんど本能的に試みようとするだろう。それは自然現象のあらゆる発現、言いかえれば、「季節」そのものを、自己の生命の直接の象徴とさえ見なすに至るであろう。

 

自然への「近さ」が季節を自分の命の象徴と見なすことにつながるとするのですが、

中国も人間と隔絶した存在を絶対化する傾向が薄いと言えますし、季感を重視する詩のスタイルの元祖なので、

そのまま大岡の説を鵜呑みにすることには抵抗があるのですが、それでも傾聴に値する意見だと思います。

ただ、このあと大岡が触れる季節感の類型的な成立に関しては、たしかに日本的なものと言えると思います。

大岡は日本的な季節感が、現実の実感に密着したものではなく、

「象徴の体系を通して感じとられる 共通の文化体験」だとし、それが類型化と結びついていることを指摘しています。

季節の類型化と象徴性との関係を考えることは、非常に重要な視点だと思います。

 

僕の関心に即したため、貫之の和歌についての考察をあまり紹介できていませんが、

本書が貫之の和歌を詠むことに重きを置いていることは間違いありません。

読みどころが多くありますので、読者の多様な興味に応えられる本だと思います。

 

 

 

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