『なぜ世界は存在しないのか』 (講談社選書メチエ) マルクス・ガブリエル 著

  • 2018.03.04 Sunday
  • 10:01

なぜ世界は存在しないのか』  (講談社選書メチエ)

 マルクス・ガブリエル 著/清水 一浩 訳

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   哲学をわれわれの手に取り戻すことこそが倫理だ

 

 

本書はドイツの若き哲学者が自らの思想である「新しい実在論」を、

一般の人にもわかるように平易なスタイルで書いて、本国でベストセラーになったものです。

本書について書かれたものを読むと、文章が平易で理解しやすいわりに、

ガブリエルの意図を適切に把握していない人が多くて驚きます。

彼は「世界が存在しない」ことを語りたいのではありません。

「世界が存在しない」のは「なぜ」なのかを問うているのです。

 

ガブリエルはまず「対象領域」について語り始めます。

対象領域というのは哲学的にもあまり聞きなれない用語です。

ガブリエルは次のように説明します。

 

対象領域とは、特定の種類の諸対象を包摂する領域のことです。

 

政治なら政治の対象領域があって、そこには有権者、税金、ベーシックインカム、日韓関係など関連する多くのものが属しています。

自然数という対象領域には5とか7とかが属していて、居間という対象領域にはテレビ、カーテン、コーヒー染みなどが属します。

 

ガブリエルが対象領域を導入することで意図していることは、

実在する存在は「意味」によって棲み分けがなされるということです。

それを明確にするため、ガブリエルは対象領域から「意味の場」へと自説を展開します。

ガブリエルは対象領域と数学的な集合概念とを重ねることを、論理学の誤りと批判したうえで、

フレーゲの「意味と意義」を範にして、集合にも対象領域にも当てはまらない「意味の場」の重要性へと読者を導きます。

ガブリエルが意味を存在の基礎に置こうとしていることを指摘しなくては、本書を読んだとは言えないでしょう。

 

意味の場の外部には、対象も事実も存在しません。存在するものは、すべて何らかの意味の場のなかに現象します。

 

存在するものは、すべて意味の場に現象します。存在とは、意味の場の性質にほかなりません。つまり、その意味の場に何かが現象しているということです。わたしが主張しているのは、存在とは、世界や意味の場のなかにある対象の性質ではなく、むしろ意味の場の性質にほかならないということ、つまり、その意味の場に何かが現象しているということにほかならないということです。

 

以上の引用文を読んでわかるとおり、

ガブリエルは「意味の場」に現象するものを存在と呼んでいます。

(それが人間の経験とは関わりがないことに注意を促しています)

そして、これらの「意味の場」をすべてひっくるめるような全体としての「世界」は存在しないというのです。

いや、世界が存在しないからこそ、意味の場が存在の根拠になるというのが彼の主張です。

 

存在の意味、つまり「存在」という表現によって指し示されているものとは、意味それ自体にほかなりません。このことは、世界は存在しないということのうちに示されています。世界が存在しないことが、意味の炸裂を惹き起こすからです。

 

このようにガブリエルは諸々の意味を超える全体としての「世界」など存在しないと力説します。

「わたしたちは、意味から逃れることはできません」と述べたあと、

人間だけでなく存在する一切のものにとって意味こそが運命だと言うのです。

絃呂妊ブリエルは自然科学とニューロン構築主義を批判するのですが、

注意深く読めば、彼が〈フランス現代思想〉とその延長にある思弁的実在論をも批判していることがわかるはずです。

〈フランス現代思想〉は人間と意味をないがしろにした思想ですし、

思弁的実在論に至っては人間不在の世界を思考対象にしようと懸命です。

 

これだけガブリエルが意味を強調しているにもかかわらず、

日本の読者がそれを読み損ねて、世界の不在ばかりに注目してしまうのは、

ガブリエルが批判している思弁的実在論のような、人間を置き去りにして「世界」を語るメタ的な欲望に、

暗黙理に毒されているからではないでしょうか。

物分かりの悪い人のために証拠の文を引用しましょう。

 

哲学は、古代ギリシアでも、古代インドや古代中国でも、そもそも人間とは何かということを当の人間が自問することから始まりました。哲学は、わたしたちが何であるのかを認識しようとするものです。つまり哲学は、自己認識の欲求に発しているのであって、世界を記述する公式から人間を抹消したいという欲求に発しているのではありません。

 

このあと、ガブリエルは世界は存在しないという洞察によって、

「人間をテーマにすることができるようになります」と述べています。

彼は明らかに哲学を人間に引き戻そうと考えています。

要するに本書は〈フランス現代思想〉などの意味を排除した反人間主義への異議申し立てなのです。

 

僕の見るところ、日本で〈フランス現代思想〉を公然と批判している人は、僕以外にあまり見かけたことはありません。

疑問があるのに反対せずに黙っておくという処世術は、外部なき全体化(つまりはムラ社会化)を強めるだけに思えます。

外部なきオタク村の人々にかかると、〈フランス現代思想〉の批判者まで〈フランス現代思想〉の「仲間」として処理されてしまうから驚きです。

日本人が弁証法(二大政党制)となじめないのは、カーリング娘のお菓子をみんなで買いあさるような村落的全体化の欲望が手放せないからだと痛感します。

だから日本では現代思想がいつまでも外来のファッションでしかなく、真っ当な思想になれないのです。

 

そんなオタク的〈俗流フランス現代思想〉に、本書を出版した講談社が毒されていることは指摘しておかなくてはなりません。

本書の裏表紙ではこんな文でガブリエルを紹介しています。

「カンタン・メイヤスーらの潮流とも連携しつつ活躍する」

ガブリエルがメイヤスーや思弁的実在論の批判者に当たることは、

本書だけでなく、S・ジジェクとの共著『神話・狂気・哄笑』を見ても明らかなのに、

どうしてメイヤスーと「連携し」などと仲間扱いした表現ができるのでしょうか。

(「連携」と言うなら、ジジェクやマウリツィオ・フェラーリスでしょうに)

 

そういう講談社の外部なき発想が、思弁的実在論に肩入れしまくっている千葉雅也に本書の帯文を依頼したことに現れています。

ガブリエルの批判対象に当たる千葉キュンがなぜ本書の帯文にふさわしいのでしょうか。

自分と真逆の立場の本に「推薦」の帯を書く軽快なフットワークも商売人ならではというところでしょうが、

日本の現代思想市場はこういうセールスしか頭にない人々によって支えられているのです。

 

実を言うと僕はすでにガブリエルの『神話・狂気・哄笑』のレビューで、このような事態を危惧していました。

 

門外漢の読者である我々は、これらドイツ系の思想の「日本的受容」に用心する必要があります。既得権を持つフランス思想関係者はマルクス・ガブリエルを自らを脅かすことのない思想へと読み替えるにちがいないからです。

 

こう書いたのですが、残念ながら予想は的中したようです。

 

本書の意図が人間存在と意味の復権であることは明らかなのに、

多くの人がそう読んでいないのは、現代思想=〈フランス現代思想〉という現代思想市場(既得権)の発想によるミスリードに影響され、

意味を軽視することを自明視していたからではないか、と疑います。

 

ガブリエルは江呂能ゞ気髻↓詐呂之歃僂魄靴辰討い泙垢、

ここも意味という視点で読まなければ理解がおぼつかないでしょう。

フェティシズム的でない宗教は、「無限なもののなかに意味の痕跡を探求する営み」だと述べていますし、

芸術についてもこのように述べています。

 

芸術作品において、わたしたちは対象だけを見るのではありません。ひとつの対象であれ、複数の対象であれ、つねに自らの意味とともに現象する対象を見るのです。およそ芸術作品は、反省的な意味の場にほかなりません。

 

〈俗流フランス現代思想〉のせいで芸術に意味が必要ないなどという勘違いが蔓延しています。

詩は物質だけで人間がいないからすばらしい、などと文学から人間と意味を排除したがっている人が、

本書を「推薦」すること自体、ガブリエルに対して失礼な行為だと講談社は思わないのでしょうか。

メイヤスーの代弁者が自分の本を推薦したと彼が知ったら苦笑するのは間違いありません。

僕は平気で矛盾したふるまいをする商魂カメレオン学者を野放しにしておくことには絶対に反対です。

 

くり返しますが本書は人間存在と意味の復権を意図したものです。

これによりガブリエルはわれわれの生活から遠くに行きすぎた哲学を、

もう一度われわれの近くに引き戻そうと考えています。

彼はメタ的な「世界」像を断念することによってそれが可能になると考えています。

 

人生の意味とは、生きるということにほかなりません。つまり、尽きることのない意味に参与することが、わたしたちには許されています。(中略)これに続くべき次の一歩は、すべてを包摂する基本構造なるものを断念すること、(以下略)

 

「世界は存在しない」という命題は、メタ的な「すべてを包摂する基本構造なるものを断念すること」を表しているのです。

(もちろん無について語っているわけではありません)

僕は「現代思想」のロマン主義的なメタ化への欲望を何度も批判してきましたが、

僕のような無名人以外にも同様の批判を行う人がいることを、偏狭な日本の現代思想オタクたちにも知っていただきたいものです。

(まあ、本書の意図も理解できない方々に期待はできませんが)

 

ガブリエルの主張は平易に書かれているため、凡庸な鏡には凡庸に映るかもしれませんが、

哲学本来のあり方を模索した非常に重要な提言だと思います。

思弁的実在論のような人間と関わりのない思想が仮に成り立つとして、いったいそんなものに誰が責任をとるのでしょう?

哲学がふたたび倫理と関係を取り結ぶためには、どうしても反人間主義の見直しが必要ですし、

そのために意味の重要性を再確認することは当然の道筋です。

思想や哲学を、知的ぶりたいだけのファッション野郎たちの道具にするべきではありません。

僕は地に足をつけて考えることにも大いなる価値があると信じています。

 

 

 

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