『京都学派』 (講談社現代新書) 菅原 潤 著

  • 2018.03.02 Friday
  • 14:57

『京都学派』  (講談社現代新書)

  菅原 潤 著

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   京都学派を包括的にとらえた名著

 

 

本書カバーの経歴には、菅原の専門が日本哲学史と書いてあるのですが、

「あとがき」を読むとどうやら専門はF・シェリング研究であるようです。

専門の仕事でない本の出版に葛藤があった菅原が、

「胸を張って堂々と本書を世に問いたい」と言うほどに、充実した内容になっています。

正直に言って、久々におもしろいと感じながら思想関係の本を読んだ気がします。

 

ただ、本書に登場する学者の本をある程度読んだことがある僕には興味深くても、

そうでない方にはマニアックな専門書と感じられるかもしれません。

たとえば菅原は東北大の出身ですが、東北大の雄である高橋里美に対する記述はかなり厚めです。

西田幾多郎や田辺元を批判した高橋の存在を僕が知ったのは、実は数年前でしかなく、

まだ存命だった父に高橋のことを尋ねた記憶があるのですが、

父の書庫にも高橋関連の著作はひとつもありませんでした。

そんな高橋の包弁証法についての解説がされていたことは、通り一遍の京都学派の本よりも魅力的に思えました。

 

菅原は戦後の京都学派の流れまで追いかけているので、

戦中の京都学派の戦争協力が、戦後にどのような問題意識で受け継がれたかも理解できるのですが、

そこで菅原は人間魚雷「回天」(一種の特攻隊)の搭乗員だった上山春平に高い評価を与えています。

菅原は仏教に興味があり、上山の『仏教の思想』シリーズによって京都学派を意識したらしいのですが、

僕もこのシリーズは文庫版ですが四五冊持っています。

ただ、上山がプラグマティズムの創始者C・パースの研究者だったことや、 彼の「アブダクションの理論」についてはよく知りませんでした。

 

京都学派がヘーゲル弁証法と深い関係があるのはもちろんですが、

菅原は京都学派とプラグマティズムの関係にも注意を促しています。

西田とW・ジェームズの関係は「純粋経験」においてよく知られていますが、

高山岩男のJ・デューイに対する評価や、前述の上山とパースの関係など、

最近のフランスからアメリカへの哲学の流れを先取りしている、と菅原は評価します。

 

日本の西洋哲学研究の草創期についての概説も興味深いものでした。

東大哲学科発足時にいた井上哲次郎がキリスト教を嫌悪していたことが、

西田幾多郎の東洋への志向を後押ししたのではないかとする説や、

「種の論理」を書いた田辺が実は弁証法を嫌っていたなど、

思わず「へえ〜」とつぶやきたくなる情報も多くありました。

 

興味深い論点が多すぎて語りきれないのですが、

京都学派の巨人である西田や田辺だけに興味がある人にとっては、

本書は扱っている範囲が広すぎるので、焦点が拡散する印象になるかもしれません。

しかし、哲学史というアプローチからすれば、包括的かつバランス良く書かれていると思います。

紹介される思想の解説は簡潔なのにわかりやすく、菅原の見識の深さにも感心しました。

 

菅原は京都学派の戦争協力について、やはりナショナリズムから逃れられなかったことを問題視しています。

「わが国の知識人のなかには、方法論的に違いはあるものの、

どうにかして日本文化を中国文化から際立たせようとする傾向が根強く存在するようである」

こう述べる菅原が取り上げたのは1957年の梅棹忠夫の「文明の生態史観序説」です。

そこでは日本をイギリスと同列に扱う史観が展開され、それに便乗した竹山道雄などがナショナリスティックな反応をしたのです。

 

「自文化礼賛」に陥っていく学者は、現在でも多く存在しています。

僕は〈俗流フランス現代思想〉がそのような役割を果たしたと書き続けています。

そのため、G・ドゥルーズ学者やM・セール学者が京都学派(というか西田幾多郎)を持ち出すことに内心愉快でない思いを抱いていました。

京都学派的な「西洋派の日本回帰」には戦争協力という反省すべき点があることを考慮せず、

ポストモダン的な非歴史性を頼りにして、観念論だからと西田を再評価する態度は軽薄でしかありません。

 

西田の弟子である西谷啓治はルネサンス以後の人間中心主義と民主主義を批判し、

理性を否定するところに生の根源性である「主体的無」が見出されるとしました。

この「主体的無」が社会制度という媒介を欠いた国家への「滅私奉公」へと結び付けられます。

菅原は西谷がヒトラーを賛美した文章を引用していますが、

このような理性を否定する反人間主義は、最近の思弁的実在論の方向性に近いと感じます。

(思弁的実在論の人間不在を批判するマルクス・ガブリエルは菅原と同じシェリングの研究者です)

 

西洋近代を批判することで、日本の後進性を押し隠そうという欲望は、

このように古くからあるものです。

菅原はこの延長にネトウヨがいることを指摘していますが、まさにその通りだと思います。

バブル以後の日本の思想界は、自覚的か無自覚的かにかかわらず、いまだにその欲望に囚われています。

僕も属するバブル以後の消費享楽世代は、日本が西洋と同様の近代を達成した存在だと疑問もなく捉えて、

日本の後発近代性をめぐる戦中・戦後思想の格闘と挫折を忘却しようとしています。

(柄谷行人まで語った菅原が、ニューアカ以後に触れないのは、そこに思想史の断絶があるからでしょう)

歴史と断絶した「現代思想」を盲目的に賛美している人こそ、本書を読んで日本の思想史を学んでほしいと思いました。

 

 

 

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