『お金2.0』 (幻冬社) 佐藤 航陽 著

  • 2018.02.27 Tuesday
  • 11:54

『お金2.0』 (幻冬社)

  佐藤 航陽 著

 

   ⭐⭐

   よくあるIT長者のIT万能論

 

 

佐藤は早稲田大学在学中に起業し、オンライン決算事業で年商100億円以上を実現した若きIT長者です。

経済のプラットフォームの変化に乗って、起業家として成功したのは立派ですが、

本書の内容にはそれほど感心するところはありません。

インターネット技術が社会の構造に大きな変化をもたらすという、今までにも何度も目にしたものでした。

 

本書の主眼は第2章の題名にある通り、

「テクノロジーが変えるお金のカタチ」にあります。

インターネットに代表されるネットワーク・メディアが、貨幣を物質から電子データに変えるというのです。

 

佐藤はビットコインなどのブロックチェーンで流通するトークン・エコノミーによって、

国定通貨のように国の中央管理を必要とすることなく、

企業や個人が手軽にトークンを発行して独自の経済ネットワークを形成できるとします。

 

今後、シェアリングエコノミーやトークンエコノミーも進化していくと、中央に一切の管理者が不在で自動的に回り、拡大し続ける有機的なシステムとして存在するようになることが予想されます。

 

佐藤はネットワーク・メディアによる「分散化」は経済の民主化をもたらす、と述べます。

佐藤は若いのでご存知ないのでしょうが、草創期というのは、いつもそういう気分になるんですよ。

ネットが一般化し始めたころ、同じような言説がたくさんありました。

ネットで自由な言論が生まれる、とか、より民主化が進む一般意志2.0だとか、数えきれません。

しかし、それらはすべて草創期の夢でした。

既得権を持つ者にただ技術革新だけで対抗できるはずがないのです。

(当然彼らの方がその技術革新を利用して自らの利益を拡大するからです)

 

ビットコインが国家管理を脅かしかねない広がりを見せたら、

必ず国家が規制に乗り出します。

そのとき佐藤が国家権力と貨幣の民主化を求める戦いを繰り広げるかといえば、どうせ簡単に屈するに決まってます。

国家による中央管理が自然となくなるという発想は夢物語だと感じます。

 

佐藤の言う「分散化」が起こるとしたら、それは中央管理をしのぐかたちで「拡大し続ける有機的なシステム」という擬似一神教ではなく、

ローカルな領域に多数形成される多神教的なシステムでなければ話が合いません。

一神教的なシステムと中央管理は絶対に切り離せません。

つまり、ビットコインのようなものが国定通貨を脅かすためには、

ある程度以上に拡大しないローカルなトークンが、複数並立して存在する必要があるのです。

 

佐藤の言う「分散化」とは特定の管理者が存在せず、ネットワーク内で自律的に運用されることのようですが、

問題なのは「全体性」を志向することを手放していないことです。

佐藤は「自律分散」ということを説明するところでこう言っています。

 

「自律分散」とはあまり聞き慣れない言葉ですが、全体を統合する中枢機能を持たず、自律的に行動する各要素の相互作用によって全体として機能する仕組みと定義されています。

 

このように、「全体として機能する」ことが目指されているのです。

これでは分散化されているのは権力の在処でしかありません。

僕には株主資本主義とあまり変わりがない仕組みに思えます。

 

しかし、思い出してください。

権力を特定の一者ではなく、多くの同志によって分散化する仕組みって何か思い当たりませんか?

そう、ソヴィエトです。

ソヴィエトは特定の一者に権力を集中せずに、労働者議会のメンバーによる共同統治を目指し、権力の分散化を目指しました。

その結果どうなったでしょうか。

村ソヴィエトが拡大し、最高ソヴィエトとして国家権力へと移行して、

官僚制をベースとしたスターリンという独裁者を生んだわけです。

権力を分散化しても、全体化を手放さない限り、中央集権として機能するのは歴史が証明しています。

(佐藤のギロチンが市民の娯楽として用意されたという記述を読んでも、彼が世界史の教養に乏しいことはよくわかりますが)

 

第3章で佐藤は資本主義から「価値主義」へと社会が転換するとか書いています。

こんなことを書くくらいなら、先に『資本論』を読んで勉強した方がいいと思いました。

貨幣こそが価値を創造し可視化してきたものですよ。

佐藤の主張していることは資本主義の乗り越えでは全然なく、

貨幣を不可視化して「価値」そのものを焦点化する「資本主義1.2」でしかありません。

お金にカタチがなくなるだけで、お金が必要なくなる社会になる話ではないのです。

 

佐藤は内面的価値がこれから重要になる、などと言うのですが、

結局その価値とは多くの人に共有されるものであることが大前提です。

たくさんのフォロワー、たくさんの「いいね」のことを価値と言っているだけです。

そんなものはその人の商品価値が高いというだけです。

佐藤は「他者からの注目」が貨幣換算が難しい価値だと書いていますが、

むしろ、そういう「社会的」な要素を価値として可視化したのが貨幣なのです。

佐藤は価値によって多くの人に影響を与えることが、お金をたくさん持っているより良い、という論法でくるのですが、

多くの人にネットで影響を与える人はたいていお金も持っているはずだと思うのですが、違うのでしょうか?

誰にも共有されない内面的価値が金になりますか?

佐藤は「価値」という言葉でその裏側をごまかし続けています。

 

この本はIT長者をさらに長者にするための本です。

(僕も貢献してしまいました)

読んだあなたは中身のない甘い言葉に酔って、「これから新しい時代が来るんだ」といい気分になる以外に得るものはありません。

 

本書でひとつだけ良いことを書いていると思ったところがあります。

 

内面的な価値が経済を動かすようになると、そこでの成功ルールはこれまでとは全く違うものになり得ます。金銭的なリターンを第一に考えるほど儲からなくなり、何かに熱中している人ほど結果的に利益を得られるようになります。つまり、これまでと真逆のことが起こります。

 

金銭のリターンを動機にしていると支持されず、そのものを追求する方が評価され、

「結果的に」利益が得られるというのは真理です。

ただ、これは「これまでと真逆」では全然なく、これまでもそういう人や会社が成功してきました。

これは新しいルールではなく、資本主義の基本ルールなのです。

ただ、不況下になると、このような基本ルールを守れない会社が増えてくるだけのことです。

 

まあ、佐藤の認識はともかくとして、この部分の内容に限ってはそのとおりだと思いますので、

金銭的リターンばかりを考えている企業がどんどんと淘汰される社会を僕も望んでいます。

 

 

 

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