『四方対象: オブジェクト指向存在論入門』 (人文書院) グレアム・ハーマン 著

  • 2017.12.25 Monday
  • 21:37

『四方対象: オブジェクト指向存在論入門』 (人文書院)

  グレアム・ハーマン 著/岡嶋 隆佑、山下 智弘 他訳

 

   ⭐

   理論のゲームとなった哲学は退屈

 

 

本書はオブジェクト指向存在論(OOO)の中心人物であるグレアム・ハーマンの著書です。

語り口が理解しやすく内容が圧縮されているので、邦訳で「入門」とつけているのだと思いますが、

特に入門書という意図で書かれたものではないと思います。

 

ハーマンはアメリカの学者ですが、大陸哲学を扱っているので日本の「フランス現代思想」信仰者たちに「新潮流」とありがたがられています。

ただ、実際にアメリカ本国の思想界でハーマンが高い評価を受けているのかはよくわかりません。

 

ハーマンはとにかく「対象」(とその実在)にこだわっています。

カンタン・メイヤスーと同じくカントを仮想敵として、人間のアクセスできないところに対象を位置づけることに執心しているようです。

素朴な疑問なのですが、僕たち東洋人にとってはハーマンの思想を実在論と受け止めるのは難しいのではないでしょうか。

東洋は素朴実在論が基本ですので、人間にアクセスできないものが実在的な対象であると言われても、

どこが「実在」的なのかピンとこないと思うのです。

ハーマンはカントを批判しているのですが、僕にはむしろカント的な「物自体」に依拠しているように見えてしまいます。

雑誌「現代思想」などは大陸哲学の流行だから、と盲目的に賛美していますが、

ただ流行に接続するのが目的なら、それは哲学の顔をしたファッションでしかないと思いますし、

思想の社会的無意味化(ただの趣味化)の証拠といえるでしょう。

 

しかし、単なる思想的読み物と考えても、本書は退屈極まりないものでした。

まずハーマンは第一章で、これまで対象を批判してきた思想のやり方を、

解体と埋却というキーワードで整理します。

唯物論にいたっては解体と同時に埋却するとか言って批判するのですが、

そんなに簡単に切って捨てていいのか? と疑問の嵐です。

このあとのハイデガー思想の扱い方もそうなのですが、議論がメタ的というかゲーム的というか、かなり自己都合的なのです。

 

ハーマンは対象を現象学に依拠しつつ感覚的対象と実在的対象に分けています。

経験のうちにだけ存在するのが感覚的対象で、

あらゆる経験から「退隠」するのが実在的対象だとします。

さらにそれぞれの諸性質を示す感覚的性質と実在的性質を加えて「四方対象」として図式化します。

 

ハーマンはこれをやたらハイデガーの四方界と重ねようとしますが、

後期ハイデガーの四方界は言語を中心とした思考なので、ハーマンの四方対象との関連性はあまり感じられません。

ハーマンはハイデガーが放棄した1919年頃の初期の四方界の方が自説と近いとした上で、

後期のハイデガーが退化したとか書いているのですが、

ハイデガーの思想において「退化」といえるだけの論証をするわけでもないので、

たいした根拠もなく自己都合で言っているだけだとわかります。

 

特にハーマンのハイデガー思想の乱用に関しては、不愉快きわまりないレベルでした。

これが学説としてまともに評価されるとは門外漢の僕でも正直信じられません。

ハーマンはハイデガーの道具分析だけを利用しています。

ハイデガー哲学は手許性と手前性の二元論に「ほぼ全て」が解消されてしまう、と乱暴としか言いようがない整理をします。

その結果、「私はハイデガーが時間の哲学者であるという考えにも反対したいと思う」などと言い出します。

ハイデガーの時間性とは瞬間を現在、過去、未来に三重化したもので、単に現在にのみ関わる孤立的瞬間の哲学者としてしまうのです。

 

正直、普通にハイデガー研究者が聞いたら不勉強だと笑われるのではないでしょうか。

そもそも、ハイデガーは道具分析を肯定的に捉えていないと思います。

むしろそのような有用と無用の二元論を超えることに興味があったと思いますし、

そこで導入されるのが時間だったのではないでしょうか。

ハーマンの読みからすると、ハイデガーの「時熟」の概念はどうなるのでしょうか。

ハイデガーの思想の意図などを無視して、単に自分の都合のいい部分を取り出してきているだけという印象を受けました。

論の全体性を無視した断片的な引用や流用をハイデガー自身はものすごく嫌っていたことも付け加えておきます。

 

ハーマンの四方対象ですが、その四分割された対象それぞれのつながりについては、

びっくりするくらい適当な説明しかされていません。

別の本で詳しくなされる可能性はあるのですが、僕はあまり信用していません。

トランプのスートを持ち出して解説するあたり、いかにもゲーム的で辻褄合わせという印象を受けます。

「人間がアクセスできない」という補助線を引いてしまえば、僕らの実感になんら訴えかけない説でも、理論の辻褄が合えば大丈夫ということなのでしょう。

 

この本を読んでいて、僕は素粒子論の本を読んでいる気分と近いことに思い当たりました。

重力と電磁力、大きい力と小さい力の4つの力がどのような関わりを持っているのかとか、

クォークの種類が理論的にはあといくつかあるはずとか、

人間が直接アクセスできない領域の科学は、ほとんど理論的ゲームに近いと僕は思っています。

そこでは実証が語られますが、それも人間が理解できる範囲のことでしかありません。

ハーマンの理論は出来の悪いSF程度のものに思えます。

 

対象に理解不能な神を宿すハーマンの試みを汎神論的と理解することもできますが、

ただ対象は退隠している、というお題目を唱えるだけでは誰も神など感じることはないでしょう。

本当にこの程度の理論が哲学の新潮流であるとしたら、哲学もいよいよ科学の前に御役御免ということになるのかもしれません。

早く哲学も大学から救い出さないとロクなことにならないと感じました。

 

 

 

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