『兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実』 (中公新書) 小川 剛生 著

  • 2017.12.07 Thursday
  • 16:34

『兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実』  (中公新書)

  小川 剛生 著

 

   ⭐⭐⭐

   兼好は吉田家の人ではなかった

 

 

『徒然草』の著者として知られる兼好法師は、教科書で吉田兼好や卜部兼好と記されていました。
卜部姓であることは問題ないようなのですが、どうやら「吉田」氏であることは捏造なのだそうです。
室町時代の吉田兼倶という人物が歴史を大きく歪曲したことが現在にまで影響している、
と小川は指摘しています。

歴史資料を検証する本を読んでいると、
家系図が捏造されたり、後で書き加えられた文があったり、偽書があったりと、
どれが信用に足る資料なのかを判断することは大変なようです。
小川は通説となっている安良岡康作による徒然草の二部三段階成立説に批判的ですが、
僕は安良岡の論を読んでいないので、どちらが正しいのか判断する立場にありません。
そのため、歴史関係の本は数多い説のひとつであると承知して読むようにしています。
(その意味で、本書の副題に「真実」とあるのには抵抗があります)

朝廷の神祇官に仕えた公家の卜部氏を出自として、
吉田神社の神主となりやがて出家した、というこれまでの兼好像が、
検証に耐えるしっかりしたものでないことは確かなようです。
本書は信頼できる資料をもとに、兼好の生涯にできるかぎり迫る試みをしています。

まず小川は兼好が公家の出身ではなく武家の出身だと考えています。
三浦半島付近の六浦に所領をもつ金沢流北条氏と深い関わりがあったことが、
金沢文庫の書状から確認できるのです。
京都を治める六波羅探題の職を務めた金沢貞顕の書状に兼好の名があることから、
小川は兼好が貞顕の部下であったと推察しています。
(この古文書は断片的なので推定説にすぎないとする研究者もいるようです)

ただ、六波羅探題の金沢貞顕の家来であれば兼好が京都に居を置いたことが説明しやすくなるのも確かです。
小川は六波羅という空間が、東の鎌倉武士と西の京都文士が交差する文化の創造的な場だと述べていますが、
兼好の教養がそのような空間で育まれたという視点はなるほどと思わせます。
ちなみに兼好は不動産を所有していたようです。
その土地は売却されるのですが、小川はそれで生活できるほどの金額ではないとしています。

しかし、公家ではなく武士であったとなると、
兼好が朝廷の内情に詳しいことの説明が難しくなります。
そこで小川は、兼好が朝廷と関わる侍品の職である検非違使庁の業務をしていたと考えます。
説得力があると感じるかどうかは、読む人次第かもしれません。
その後は『太平記』にも描かれているように、高師直の家に召し抱えられていた、
というのが小川の見解です。

個人的には歌人としての兼好を追った第六章を面白く読みました。
藤原定家の血筋である二条為世門下の四天王の一人として兼好は数えられています。
兼好の生涯とは直接に関係はないのですが、
小川が二条派の古典和歌について書いていることに、なるほどと膝を打ちました。
和歌には題材の限定や着想のパターンなどの束縛があり、
個人の感動をあるがままに自由に読むことは困難でした。
この一見不自由な制約が、
異なる地域や階層の人と絶望的にコミュニケーションがとれない前近代においては、
「他者」とのコミュニケーションを円滑にする役割を果たしたというのです。
異なる人々をつなぐ共有圏を作ることに古典文学の制約が働いていたのですね。

兼好といえば『徒然草』ですが、本書では第七章になるまで『徒然草』についてまとまった取り上げ方はされません。
『新版 徒然草 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫)の解説で書いているからという理由ですが、
兼好の生涯でなく『徒然草』に興味が強い方は、失望しないように内容をチェックしてください。

 

 

 

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