『折口信夫 - 日本の保守主義者』 (中公新書) 植村 和秀 著

  • 2017.11.07 Tuesday
  • 22:08

『折口信夫 - 日本の保守主義者』 (中公新書)

  植村 和秀 著 

 

   ⭐⭐⭐⭐

   ナショナリズム研究者による折口論

 

 

折口信夫は多面的な顔を持っています。
國學院大と慶應大で教鞭を取った国文学者であり、
釈迢空という歌人であり、柳田國男に師事した民俗学者であり、
『死者の書』という難解な古代小説も残しています。

本書は「マレビト論」などの折口思想に踏み込むのではなく、
植村がナショナリズムなど政治思想史の専門家であることから、
折口の生涯を追いつつ、折口の社会に対する視線を取り出していくという試みをしています。

本書の副題に「日本の保守主義者」とあるように、
植村は本書で折口を保守主義者としているのですが、
これまであまり折口を保守主義の枠にはめ込むような見方をした人はいなかった気がしますし、
本書で植村は「近代日本の保守主義にはわかりにくさが生じた」と述べるだけで、
「保守主義」をしっかり定義したと思われる部分も見当たらなかったので、
少なからず違和感を感じずにはいられませんでした。
帯文の背には「真の保守主義とは何か」と書いてあります。
どうやら「保守」と書けば本のセールスが上がる世の中になっているようです。

しかし、よくよく考えると、「真の保守主義」とあることから考えると、
「真ではない保守主義」が存在しているということになります。
そういえば最近は権力におもねることを「保守」と勘違いする人が増えている気がします。
彼らは反体制的な異物を「左翼」として「排除」することで、自らを「保守」と位置づけています。
そのような人には権力と排除対象の両方に依存する「甘え」の心理機制が見られます。
一見、保守とか左翼とか政治的イデオロギー的な言説を弄しているように見えますが、
彼らの目的は、権力と同一化して批判分子を「排除」することで、
自分のナルシシズム(メタ的全能感=甘え)を維持することにあります。
要するに、日本で見慣れたイジメの構図です。
(この構図を隠すため、彼らは「大手マスコミはみんな左翼だ」「低評価レビューを書く人は基本アホだ」などという虚言を弄して、
自分が少数派や反権力であるかのように偽装することになります)

ハッキリと書くことを避けていますが、植村は本書でそんな〈権力代弁保守〉を批判したいのだと思います。
そのことは折口が二・二六事件や戦時体制への批判を描く筆致に現れています。
植村は折口が政治的なものから距離をとって文学に集中し、
社会生活や人間の心情に関心を注いだ、としてこう述べます。

 折口にとって社会とは、全体を抽象的に考えるべきものではなく、
 あくまでも、一人ひとりの人間が集まって成り立つものであった。
 政治よりも社会を重視し、抽象性よりも具体性を重視する折口は、
 人間と人間との心のふれあいによって、社会の維新を実現していこ
 うと考えたのである。

植村は折口が「一人ひとり」の共感を重視したとするのですが、
ここで批判されているのは、「左翼」とか「非国民」という抽象性に寄りかかり、
具体的な対面関係を厭う「人間嫌い」の精神の権力化です。

また、折口が戦後に神道と天皇との距離をあえて広げようとし、天皇の人間宣言を支持したことについて、
植村は「みこともち」を利用した下克上を問題視したためだと述べます。
折口は天皇の役割を神の言葉(みこと)を伝達する「みこともち」とするのですが、
天皇に仕える者が天皇に近い代弁者とふるまう下克上を「悪化せる日本本来の思想」と戦時中に批判しているのです。
これはまさに〈権力代弁保守〉と同じ構造です。
植村が折口を「真の保守主義者」と呼びたいのは、
〈権力代弁保守〉のような「真でない保守主義者」を批判する意図があってのことだと考えると納得がいきます。

折口が保守主義者だという断言への違和感を除けば、
植村が描こうとする折口像は、一面的すぎるきらいはありますが、
それほど悪くないと感じました。
「折口は、民族性から文学が生じるのではなく、民族の生活から文学が生じてくると力説する」
と述べる植村は、折口が文学の基盤を「生活」に置いていることを強調します。
折口は文学と社会との関係を強烈に意識し、社会を支えるのが文学の使命だと考えました。
文学の目的は美ではなく、生活の形をつかむことだ主張するのも、そのような考えの現れなのですが、
折口の文学や民俗学に欠かせない古来の生活への関心には、日本社会の存続に対する危機意識があると植村は言います。

しかし、文学の発生を異界からの声に由来するとする「まれびと」論に代表される、
「外部からの言葉」による「社会の活性化」をめざす折口の思想を、「保守」と定義するのは妥当なのでしょうか。
植村が自分の専門である政治思想史に引きつけて折口を理解しようとしたことで、
大きな歪みが生じているのではないでしょうか。
「あらゆるものが政治化していく時代に、折口は政治化していかない」と、
植村自身で折口の非政治性を強調しておきながら、
政治的な視点から折口を語るのはどこか矛盾しているように感じます。
そのため、「真の保守主義」を考える素材として、
文学人である折口がふさわしいのだろうか、という疑問が残りました。

 

 

 

評価:
植村 和秀
中央公論新社
¥ 886
(2017-10-18)
コメント:『折口信夫 - 日本の保守主義者』 (中公新書) 植村 和秀 著

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