『『快楽の園』を読む ヒエロニムス・ボスの図像学』 (講談社学術文庫) 神原 正明 著

  • 2017.09.29 Friday
  • 09:19

『『快楽の園』を読む ヒエロニムス・ボスの図像学』

  (講談社学術文庫)

  神原 正明 著

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   一枚の絵画を深読みする贅沢

 

 

本書は一枚の絵画作品を徹底的に「読む」ことにこだわった本です。
一枚の絵を扱うだけで、これだけのボリュームの本が書けるのも驚きです。
その絵とはヒエロニムス・ボスの『快楽の園』です。

ボスは現在のオランダにあるス・ヘルトへンボスで1450年頃に生まれた画家で、
ボスという名はホームタウンからとったもので本名ではありません。
『快楽の園』が1568年にスペインのアルバ公の手に移ったのち、
現在プラド美術館に所蔵されているため、ボスは現地ではスペイン名で知られているそうですが、
一般的には、ボスはネーデルラント系の画家として、その後のブリューゲルとともに語られる存在です。

僕の妻は実物を見たそうなのですが、『快楽の園』はトリプティーク(三幅対)祭壇画の構造をしています。
三面鏡や仏壇のような感じで、左右のパネルを開くと内面パネルが見えてきます。
そのため、『快楽の園』は閉じられている時の外翼パネル、左翼パネル、中央パネル、右翼パネルという4つの部分から構成されています。
本書の最初にはカラーの折込図があり、小さいですが、そのすベてが目で確認できるようになっています。

『快楽の園』は宗教的祭壇画の形式をとっていて、
メインとなる中央パネルには、裸の人々が肉体的快楽に溺れる姿が描かれているのですが、それが右翼パネルでは地獄絵図へと変わるため、
この作品が肉欲を戒める目的で描かれたとするのが伝統的な見方のようです。
しかし、全く反対に快楽を肯定する作品だとする人もいます。
神原はボスが意識的にその両極を同時に許容しうる「ダブルイメージ」を導入したと見ています。
たしかにこの作品は教訓的と言ってすませられない遊戯的な要素がありすぎます。
特に右翼パネルの地獄絵には、木と化した人間である「木男」や、鳥の頭をしたサタンなどが描かれていて、
漫画表現に慣れた僕たちにとっては親しみやすい「キャラ」に興味はわいたとしても、
肉欲の罰の恐ろしさなど到底感じられる雰囲気ではありません。

本書はボスの図像を部分ごとに取り上げ、影響を与えたと思われる他の作品と比較検討し、
それが表す意味を研究者たちが様々に読み解いている努力を、わりと客観的に書き留めています。
本書を読めば、この作品が様々なイメージのコラージュで構成されていること、
それを単一の「読み」に回収することが難しいことがよく理解できます。
ボスの『快楽の園』はまさにポストモダン時代に評価が高まる作品だと言えるでしょう。

それぞれのパネルについての「読み」を少しだけ書いてみます。
ガラス玉の中で形作られる世界を描いた外翼パネルは、天地創造の第3日目を描いている、と言われるようです。
天井のトンネルやガラス玉の世界を描いた作品がいくつか紹介され、
ボスの図像と他の作品との関連が示されていきます。
また、天地創造ではなくて、ノアの大洪水のあとの世界を描いているという説も出てきます。
左上に射す弓形の光が、地上から水が引いていく場面だとするのです。
絵の中にノアの船が描かれているわけではないので、かなり強引な解釈に思えるのですが、
この絵がいろいろな解釈を生み出し、許容することがよくわかります。

左翼パネルには主なる神とその左右にアダムとイヴが描かれています。
そのため天地創造の6日目だと言われるようですが、
その周辺には動物がたくさん描かれていて、それぞれのアトリビュートが示されます。
アトリビュートとは、画家が特定の人物の周辺に決まって描くもので、人物の特定にも用いるものなのですが、
ウサギがイヴのアトリビュートであったり、カササギがアダムのアトリビュートであったり、
魚がキリストのアトリビュートであったりといろいろです。

ここでも通説をひっくり返すような見方を主張する人が出てきます。
V・タトルはここに描かれているのはイヴではなく、肉欲の悪魔リリスだとするのです。
(なんかアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を思い出してしまいますが)
リリス伝説はユダヤの民話で親しまれていることもあり、
ボスはカトリックの団体に属していたのですが、ユダヤ伝説や習慣に親しんでいたとの指摘もあり、
ボスがヘブライ語が読めたのではないか、と研究者たちの想像が広がっています。

左翼パネルには生命の泉や中心にいるフクロウなど、触れるべき材料がまだまだありますが、
中央パネルに目を移せば、そこでは偽りの楽園が展開されています。
ここでは多数の裸の人物が描かれていて、中には黒い肌の人物も見られます。
この中にアダムがいるのではないか、この人がボスの自画像ではないか、
などの推測がなされているのですが、妊娠した女性は見られても、
子供は一人も描かれていないという神原の指摘は興味深く感じました。
中央部の円になった動物は占星術を踏まえているという説もあるようですが、
描かれた動物との対応が完全でないだけに、深読み感はぬぐえません。

この作品の構図上のおおよその中心には「卵」があります。
この「卵」の解釈もいろいろとあるようです(錬金術の象徴、睾丸と同意、割れると悪運など)が、
絵の中心に「卵」が位置していること自体はボスの意図と見てまちがいないようです。
たしかに不思議な絵だと思います。

右翼パネルでは地獄が描かれています。
木に変化した人間「木男」や鳥頭のサタンや耳から飛び出したナイフなど、その虚構性に魅了される人も少なくないと思います。
構図的に木男は左翼パネルの生命の泉と対応しているため、
神原は生命の木の枯渇が木男を生み出したと考えています。

また、木男の下には楽器に責められる者たちの姿が描かれています。
ここでは音楽と官能とが重ね合わされ、「肉欲」に対する罰という解釈が成り立ちます。
楽器が拷問具に変わるという発想はおもしろいようなおそろしいような、なんとも複雑な気分になります。

本書ではもっともっと詳細な図像の読みが展開されているのですが、
そのすべてを「深読み」として一笑に付すことも難しい気はしました。
『快楽の園』全体にわたってトリオの組み合わせが目立つこと、
ところどころに「Y」のイメージが現れることなど、
ボスがなんらかのメッセージを喚起する象徴を組み込んでいるように思えるのは妥当な気がします。
ただ、それが遊戯的な範囲を超えて全体としての宇宙をつくりあげるまでに昇華されているかといえば、
やはりコラージュの域は出ないように感じました。

 

 

 

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