『開発空間の暴力―いじめ自殺を生む風景』(新曜社) 荻野 昌弘 著

  • 2017.09.02 Saturday
  • 23:12

『開発空間の暴力―いじめ自殺を生む風景』(新曜社)

  荻野 昌弘 著 

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   脱中心化する風景がいじめ自殺を生む

 

 

あまり本屋で見かけないのが解せないのですが、非常にすぐれた本だと思います。
著者の荻野は関西学院大教授で社会学が専門です。
荻野はいじめによる自殺の個々のケースに立ち入りながら、
その背後に開発空間=脱中心化した風景の影響を指摘します。

いじめに街の風景が関係しているという発想は慧眼だと思います。
荻野は脱中心化された空間の歴史的成立にまで立ち戻り、
それが人々にどのような影響を与えたのかを立証していくのですが、
この学者らしい専門的な手続きで本書は損をしているのかもしれません。

僕が強調しておきたいのは、本書がポストモダン的なものに対する重要な批判になっているということです。
日本では〈フランス現代思想〉などのポストモダン思想が消費資本主義に依拠して、
中心の解体やアイデンティティの揺らぎを称揚し、
場所とのつながりや身体性を削ぎ落とす主体のメタ化を暗黙に肯定したのですが、
荻野の考察はポストモダン性のはらむ問題を示すとともに、
脱中心化によるアイデンティティの揺らぎが引き起こす「悪」を直視しようとしています。
荻野自身は意識していないと思いますが、本書の問題意識はネット空間という脱中心化した風景にも適用可能だと僕は考えています。

荻野が定義する脱中心化する風景とは、
山林、農地や木造家屋、旧商店街や神社、墓地などの自然素材を用いたものと、
公共施設、住宅団地や工場、ロードサイド店舗などの合成素材を用いたものに、
空き地が共存したものと考えられています。
高層ビルやターミナルなどの大都市には中心の代替物があるため、脱中心化する風景にはなじみません。

「中心を欠き、歴史性の欠如した脱中心化する風景は、何を生み出すのか。
それは、暴力の噴出である。いじめ自殺が起こるのは、脱中心化する風景がある場所なのである」
風土の特殊性が消滅し、抽象的で個性を欠いた脱中心化する空間では、
身体と空間の分断が生じ、身体から遊離した風景が表象としてコード化される、と荻野は述べます。
そこに消費文化が入り込んだ後に、暴力が生まれるのです。

脱中心化する風景は所有=消費の欲望を醸成します。
その欲望は合成素材を特権化する美意識によってさらに強まります。
こうした過程で育つ子供は、勤勉な労働者を育てる学校という規律に従う面と、
大人同様の消費者として扱われる消費空間に積極的に参加する面の両面を持つわけですが、
生産に従事しない子供は、「今すぐ」に欲望を充足させる消費の時間だけに縛られやすくなります。
そして、「今すぐ」欲望を実現できない場合、暴力を用いるようになり、それがいじめにつながるのです。

さらに荻野はフランスでも使用されるという「かわいい」という形容詞を分析します。
「かわいい」は「キモかわいい」などのように否定性を包含していく特徴をもち、
反対語が存在しないため、あらゆる対立軸を無にする効果がある、と荻野は言います。
消費社会の進展とともに浸透した「かわいい」は、多様性を包摂しつつ、
消費文化のコードとして、暴力の噴出を抑える秩序を生み出すのです。
荻野はかわいいの秩序が徹底できれば暴力を抑えられるかもしれないが、
子供には学校があるためそうなっていないとしています。

この荻野の考察はネット上の「いいね」の氾濫にも当てはまると僕は考えます。
SNSでは「かわいい」のように反対語の存在しない「いいね」が否定性を駆逐しています。
僕自身にもAmazonレビューでの批判を中傷のように受け取られた経験があります。
ネットでは「炎上」という現象が時折見られるわけですが、
これはいじめの一種と言ってもいいものです。
僕は「炎上」は「いいね」によって抑圧された否定性が行き場を求めて集中したものだと思っています。
その意味で、「かわいい」の秩序を徹底しても、いじめがなくなるとは思えません。

表層的にポジティブな感情を垂れ流して、表面的に多様性を共存させたとしても、
人間の負の感情や否定すべき要素というものは抑圧されたまま消えることなく、
どこかで吐き出す場所を探しているものなのです。
消費資本主義に依拠しただけの表層的な多様性を称揚したポストモダン思想が隆盛したのちに、
ヘイトスピーチや自国の否定的側面に開き直る保守思想が露出したのも、
このようなメカニズムだと考えれば腑に落ちます。

荻野は最終章で消費空間が死を消滅させることを取り上げ、
死や暴力に対する怖れの感覚の欠如が問題だと指摘します。
あっさりとした記述なのですが、非常に重要な指摘だと感じました。
死の追放は開発空間だけの問題ではありません。
むしろ大都市の方が徹底していると言えると思います。
「死の怖れを知り、暴力を制御するしくみ、新たなかたちでの追憶の秩序を、
高度消費社会はいかに築いていくのかが、問われているのである」
という最後の一文が、読後に何とも言えない重みを残しました。

 

 

 

評価:
荻野 昌弘
新曜社
¥ 2,808
(2012-03-20)
コメント:『開発空間の暴力―いじめ自殺を生む風景』(新曜社) 荻野 昌弘 著

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