『大伴家持 - 波乱にみちた万葉歌人の生涯』 (中公新書) 藤井 一二 著

  • 2017.07.22 Saturday
  • 20:41

『大伴家持 - 波乱にみちた万葉歌人の生涯』

  (中公新書)

  藤井 一二 著 

   ⭐⭐⭐

   万葉歌人の官僚としての生涯

 

 

『万葉集』を編纂したと言われる大伴家持は、父の旅人とともに歌人として有名です。
『万葉集』に採録された大伴氏の歌だけで700首以上になるので、
いかに大伴氏が和歌に秀でた名門一族であったかがわかります。
本書はそんな大伴家持の生涯を描き出すことを目的としているのですが、
藤井の重点はあきらかに宮廷情勢をふまえた官僚としての大伴家持の生涯にあります。
家持の歌も紹介されますが、現代語訳もなく、鑑賞には適していません。
文学より歴史に対する興味に応える本だと言えます。

最初に家持近辺の人物の説明があるのですが、
家持と旅人くらいしか知らない僕にとってはマニアックな上に、
なにぶん奈良時代のことなので事実も不明瞭なことが多いので把握するのが一苦労です。
家持と30年来の付き合いである大伴池主は、家持の交友関係の中でもかなりの重要人物なのですが、
誰の子なのかもハッキリしません。
(藤井は旅人の実弟の田主の子ではないかとしています)

最初の頃はどの役職に昇格したとか、宮中の位階の話が多いので、
当時の官職にピンとこない一般読者には退屈かもしれません。
家持は746年に越中国守に任命されるのですが、幸運にもそこの国司が親交のある池主でした。
そう言われても、実は国守と国司がどう違うのかが僕にはわからないので、なんとなく居心地が悪くなりました。
官職の話が多いわりに官職システムの丁寧な紹介はされないのです。

前半は読み進むのがけっこう苦痛だったのですが、
後半になると、ようやくおもしろくなってきました。
家持40歳の時に橘奈良麻呂の変が起こり、家持にも激震が起こります。

その当時、中央では左大臣の橘諸兄がトップに立っていたのですが、
藤原仲麻呂がだんだんと台頭していきます。
家持は橘諸兄と親交があって、仲麻呂とは派閥が違うわけですが、
橘諸兄という強い後ろ盾があったので安泰でいられました。
しかし、756年に諸兄が引退し死亡してしまうと、藤原氏の力が巨大化します。
孝徳天皇と親密な関係にあった藤原仲麻呂が権力を振るうようになり、
それに対抗しようと橘諸兄の息子の奈良麻呂が打倒仲麻呂の計画を練るのですが、
それが発覚して仲麻呂の反対勢力が弾圧される事件が起こるのです。

この橘奈良麻呂の変には大伴一族も多く関わっていました。
特に親交の熱い池主が関与していたのは家持にとって衝撃だったにちがいありません。
(この後の池主がどのような処罰を受けたかについての藤井の記述が見つけられませんでした。
不明なら不明と書いてほしいものです)
家持がこの計画を知らなかったのか、知っていて参加しなかったのか、
そのあたりは想像によるしかないのですが、藤井も家持の婚姻関係などから考察を行なっています。

その後、家持は藤原宿奈麻呂の謀略との関係を疑われたりしながらも、
藤原仲麻呂と道鏡の争いの後で、親交ある中臣清麻呂のおかげで出世します。
氷上川継の謀反に協力したとされて官職を失うこともありましたが、すぐに復職します。
しかし、家持死去の直後に藤原種継暗殺事件が起こり、またも家持の関与が疑われて除名されます。
家持の息子の永主も連座して流罪になってしまいます。
このように、宮廷政治の場面で家持の生涯を追っていくと、
藤原氏の勢力拡大を背景に、他の有力氏族が権力争いに敗れていく時期にあたることがわかります。
家持自身も何度か危険な立場に立たされているのですが、
幸運にも官僚生活をギリギリ全うすることができたわけです。
いつの時代も政治闘争は大変だし、文学などの文化もその影響から自由ではいられないのだと感じました。

 

 

 

評価:
藤井 一二
中央公論新社
¥ 886
(2017-06-20)
コメント:『大伴家持 - 波乱にみちた万葉歌人の生涯』 (中公新書) 藤井 一二 著

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