『第七回 田中裕明賞』 (ふらんす堂)

  • 2017.05.05 Friday
  • 06:55

『第七回 田中裕明賞』 (ふらんす堂)

 

 

   ⭐⭐

   こんな田中裕明賞を田中裕明ははたして喜ぶのだろうか

 

第七回田中裕明賞については、
最高点を獲得できなかった北大路翼『天使の涎』の逆転受賞という過去に例のない事態によって、
実際にどんな審査が行われたのか興味のある人も多かったことだと思います。
もう一度審査員の点数を確認してみましょう。

村上鞆彦『遅日の岸』
石田1位(3点)小川1位(3点)岸本2位(2点)四ッ谷圏外(0点)
北大路翼『天使の涎』
石田3位(1点)小川2位(2点)岸本圏外(0点)四ッ谷1位(3点)

トータルでは村上8点、北大路6点で村上が最高点でしたが、それが逆転する事態となったわけです。
四ッ谷を除けば村上8点、北大路3点となることから、
その原因が四ッ谷であることは選考会の内容を見る前から想像がつきました。
そのため僕は第六回のレビューで四ッ谷龍が北大路を「ゴリ押し」したと推測しましたが、
実際に読んでみると、四ッ谷が最高点の村上鞆彦を「ゴリ落とし」していたことがわかりました。

まず、四ッ谷は村上の句集について語り始める時に、すでにこんなことを言っています。
「村上鞆彦さんについては、技術的に、基本的なところで問題があると思いました。
詩としての新鮮さもあまりないし、私としては高く評価できません。
ですから点数順は村上さんということですけれども、私としては今日は徹底的に頑張って議論したいと思っています」

この発言から四ッ谷が最初から村上には受賞させたくないという意図で選考会に臨んでいることがわかります。
もちろん本当に「技術的に、基本的なところで問題がある」のであれば、
それも納得のできることなのですが、
その後の議論で四ッ谷の主張は他の審査員をほとんど納得させることができていません。

 放課後のプールしばらく揺れ残る
 鴨撃つて揺るる日輪水にあり
 五月雨や掃けば飛びたつ畳の蛾
 ギョーザ焼く音雨に似て夏旺ん

これらの村上の句を取り上げて、四ッ谷は「ベタ付きの句」などと批判するのですが、
石田も小川もこれらの句を「取り合わせ」と解釈することに首をひねります。
「石田:これってただ単に実感という風に捉え、私の場合だとこれ、取り合わせとかって全然思わなくて」
「小川:まあでも情景としてはね、一体をなしてますよね。渾然一体をなしていて」
と、二人とも四ッ谷が「取り合わせ」と捉えていること自体に違和感を表明しています。
実際、僕もこれらの句を「取り合わせ」として批判するのはお門違いな読み方だと感じました。
どうにも四ッ谷は村上の句を冷静に読んではいないようなのです。

このような四ッ谷の意味不明な否定感情を、石田は「好き嫌い」だと理解しようとします。
それはそうですよね、批判が強引なんですから。
それに対して四ッ谷はこんな発言をしています。
「四ッ谷:いや、やっぱり僕は俳句は飛躍が必要だと思うから、飛躍がない句は嫌なんですよ。
好き嫌いの問題じゃないんですね」
自分で「僕は〜嫌なんですよ」と言っておきながら、
「好き嫌いの問題じゃない」とするのは支離滅裂です。
完全に論理破綻しているところから、
いかに四ッ谷の批判が感情的なものかよくわかります。

「何かこの人はね、同じことをベタベタ言うのがいいと思ってるんじゃないか。
これは俳句としてはダメだと思うんですよ。根本的なところで勘違いしてるんじゃないか」
四ッ谷はこう言って村上を批判するのですが、
「俳句としてはダメ」とか「根本的なところで勘違い」とか、全否定するような表現をすることに不快な気持ちが起こります。
言いたくはありませんが、実作者としての実績では四ッ谷龍は他の審査員と比べて劣っていると僕は思っています。
(四ツ谷の句集について僕は別のところでレビューしています)
自分の実作を棚に上げて、よくもここまで言えるものだと審査員という権力の恐ろしさを感じます。

村上鞆彦は結社「南風」の主宰であるはずです。
いくら若いとはいえ、結社の主宰をして会員をあずかっている人に対して、
説得力のない批判しかできないのに、
根本的に俳句がわかっていないみたいなことを発言するのはやりすぎではないでしょうか。
四ッ谷の態度は俳句界全体に対しての影響を考えない自己中心的すぎるものです。
僕はそこに権力者の横暴しか感じませんでした。

結果、四ッ谷はまったく他の審査員を納得させることができないまま、
村上には受賞させないという態度を最後まで貫きます。
「四ッ谷 :私から申し上げると、私は村上さんの受賞には反対です。良くない句集だと私は思いました。
今まで私が一位に推した作品が受賞しなくても、そこまで強硬に言ったことはないんですけども、それは受賞した句集もそれなりにいい句集だなと思ったからです。
今回は良くない句集だなと思うので、この句集が受賞することには反対です」
いくら審査員でも二人の審査員が最高点をつけた句集を、
説得力のない指摘に立って「良くない句集」とまで言うのは異常だと感じます。
四ッ谷がここまで頑なな態度を取ることが、石田や小川には不思議だったのではないでしょうか。

議論では「該当者なし」という選択肢も考慮されましたが、
出版社の要望で「該当者なし」を避けたいとのことで、石田が譲って北大路を支持することで決まったのですが、
直前の四ッ谷の発言は見逃せません。
「四ッ谷 :該当者なしとは思いません。私は北大路さんと矢野さんだったら文句ありません。
どちらが取っても。まあ藤井さんが取ってもいいかなと思います。『遅日の岸 』はちょっと反対です」
四ッ谷が点数を入れたのは、北大路と矢野と藤井の三人なので、
これは実質、自分が推した句集しか受賞を認めないと言っているのと同じことです。
こうなると合議の意味はほとんどないようなものではないでしょうか。
四ッ谷龍が審査員にふさわしい人格なのか、非常に疑問の残るところです。

ただ僕自身は四ッ谷が自分の意見だけを正当だと思う「俳句の神様」気取りで、
人の意見を聞かない専制的な人間であることは意外ではありませんでした。
実は四ッ谷は自分が最高点を入れて選んだ句集に批判的なレビューがあると、
「オルフェウス」という匿名で反論レビューを書くような人物なのです。

ちなみに岸本尚毅の態度にも信用できないものを感じました。
本書のいたるところで岸本は実は村上をそれほど評価していないし、
北大路をひそかに評価していたような発言をしているのですが、
岸本のつけた点数とはあまりにそぐわない発言であるだけに、
後から書き加えたものではないかと疑っています。
「岸本:『遅日の岸』は積極的に推すとまでは思いませんが、
今回の句集の中で相対的にいいというか、……ただ過去の『未踏』とか『六十億本の回転する曲がつた棒』とかありましたね。
今年この句集を採るとハードルを下げた印象は避けがたい」などと書いていますが、
それならどうして北大路翼はいいのか、という話になりますし、
そもそも岸本は第三回で『六十億本の回転する〜』を2位の評価に留めていました。
なんか信用に足る言い分とは感じられないのです。

村上の「ゴリ落とし」問題と関係すると思いますが、
四ッ谷の俳句観が非常にねじまがっていることにも問題を感じました。
北大路翼を評価しているところでも気になる発言があります。
「四ッ谷 :はい 。まずこの句集、徹底的にですね、反抗しようとする意志が貫かれていますね。
これまでの俳句とは違うものを作るんだ、という倫理的な意志が全体を貫いています。
そこがいいと思いました。だから強い風刺精神がありますね 」
これまでの俳句と違うことを「倫理的」と捉えるのは極端な思想の持ち主であることを示しています。
逆にいえば、これまでの俳句をやると、非倫理的だということになるのですから。
これまでと違う俳句をやるのは結構だと思いますが、
それを「倫理的」とまで言うのは、反動的な思想の持ち主であることを示すだけです。
わかりやすく言えば、四ッ谷は反動主義者だということです。
それなら、村上の作品の受賞に反対することも倫理的行為だと感じていても不思議はありません。
しかし、このような人に審査されるのはどうなのでしょう?
俳句らしい俳句をやっている人は田中裕明賞に応募するのはやめた方がいいのでしょう。

ちなみに北大路翼の作品がそれほど「これまでの俳句と違う」かと言えば、
僕はまったくそうは感じませんでした。
むしろ高浜虚子の『虚子五百句』の流れに置くことができる日常詠だと思いました。
このような指摘は他の審査員からも出ています。
小川は「旧仮名遣いで、無季の句もなかには混じってますけれど、
基本的には季語を使うというスタンスで詠まれていて。
そういう意味では歌舞伎町で詠まれているけれど、花鳥諷詠になっているところ、
歌舞伎町と花鳥諷詠がドッキングした面白さというところにまず全体的には惹かれました。
虚子の花鳥諷詠って別に花や鳥だけを詠うわけではなくて、
人間社会の何でも詠めるように生活の季語とかものすごく増やしたわけですけれど、
ある意味その恩恵を思い切り受けて、歌舞伎町で花鳥諷詠をしている、
そのちょっと奇妙な句の姿というものに惹かれるところがありました 」
石田は「それをね、一応有季定型を踏まえていて、調べは俳句であって、季語はなくても季感はあったりする。
俳句からそんな外れてないというところも、私は非常に好ましくって、
そこを小川さんは、新しさがない、「新しいっていうわけじゃないけど」っていう風にまとめられたので、はっとしたんですね。
意外とこの方は、何て言うか ……ちゃんと俳句に仁義を通してるかなって思って(笑 )」

個人的な感想ですが、今さら歌舞伎町の風俗を描いて「新しい」というのは、
相当に流行遅れな感覚だと感じました。
椎名林檎が「歌舞伎町の女王」をリリースしたのはいつだったのでしょう?
(答え:1998年です)
歌舞伎町ではないかもしれませんが、その影響下にあった金原ひとみ『蛇にピアス』だって2003年の作品です。
歌舞伎町が尖った存在だったのは石原都知事の政策以前です。

こうして発言を検証していくと、
四ッ谷の俳句鑑賞眼は審査員をやれるレベルではないと感じざるをえません。
自分の思い込みだけで他人を説得できていないのに、
やたらと我だけは通そうとする人間性にも問題があります。
正直に言いますが、
僕は本書を読んで何度も不快な気分になりました。
四ッ谷の発言は本当に審査が目的なのか疑わしいものが少なくありませんでした。
田中裕明賞の審査員という権威を利用して、
若手に自分の支配力を伸ばそうとでもしているのではないか、
実作での実力不足を政治的に補おうとしているのではないか、
そのような疑惑が浮かぶのを禁じえませんでした。
実際、四ッ谷は田中裕明賞を受賞した若手と懇意な付き合いをしているようです。

田中裕明賞がこのような人物を利するだけの賞に成り下がったのは残念です。
僕には田中裕明が村上鞆彦の句集を受賞させまいなどと考える人だったとは思えません。
本当に田中裕明の名を借りるにふさわしい賞にできるかどうかは、
審査員の実力と謙虚さ次第だと思います。

ただ、僕個人はもうこの賞には期待するものはありません。
「これまでの俳句とは違う」倫理に基づいて審査をすれば、
俳句の外のものを持ち込むだけの不勉強な人が受賞者になるのは目に見えています。
芸能人が初めて書いた俳句が賞をとる日も遠くないことでしょう。

 

 

  (注)このレビューはAmazonに不当に消去されたため、掲載日が変わっています。

       同内容で再度掲載ができているので、何が理由で消されたのか全く不明です。

       問題点について情報開示を要求すると、Amazonは「これ以上回答することはない」

       と返答を拒みました。

 

 

 

評価:
田中裕明賞事務局
ふらんす堂
¥ 3,340
(2017-04-17)

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