『終わりなき対話 I 複数性の言葉 (エクリチュールの言葉)』 (筑摩書房) モーリス・ブランショ 著

  • 2017.03.12 Sunday
  • 09:07

『終わりなき対話 I 複数性の言葉 (エクリチュールの言葉)』

  (筑摩書房)

  モーリス・ブランショ 著/湯浅 博雄/上田 和彦 他訳

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   ようやくの邦訳登場

 

 

ブランショといえば文学の人でまちがいはないはずですが、
思想家としての面に注目するなら、本書を読むべきでしょう。
本書を読めば、デリダはもちろんですが、
ブランショがドゥルーズにも影響を与えていることがわかると思います。

フランス語ができない僕は邦訳を探して現代詩手帖特集号を入手しましたが、
ほんの一部の訳でしかないことに失望したものです。
すべてを翻訳で読むことはあきらめていただけに、
今回の出版は涙が出るほどに喜びを感じています。

ただ、『終わりなき対話』は全体が三部構成になっています。
そのため3冊に分けて出されるようです。
本書だけで4500円を越えるだけに、相当な出費を覚悟しなくてはなりません。
250ページという量からすれば値段設定が高くないですか?
喜び勇んで値段を見ずにレジに持って行ったので驚いてしまいました。
もちろん、待ち望んでいた僕に不満があろうはずはありませんが。

僕個人はデリダもドゥルーズも好きではないのですが、
久々に読んでも、やはりブランショは興味深くおもしろいと感じました。
〈他なるもの〉もしくは他なる言語を追い求めるブランショの言葉が、
哲学に着地しない文学的な問いとしてなされているからでしょうか。

『終わりなき対話』という題名の通り、
章のいくつかは二人の人物の対話のようなかたちで進みます。
ブランショが対話に置く意味に関しては、
二種類の「中断」として述べられています。
一方では統一性をめざし、他方は異邦性と関係を結ぶエクリチュールの言葉を導くという
話すことの二重化を対話による「中断」が可能にするのです。

ブランショの思想はアポリアのかたちをとっています。
「現前的=現在的であることのありえないものの現前」とか、
「内に立つこと=近づいていることの内奥性であると同時に〈外〉の拡散=錯乱」
などは、言語が持つアポリア(言語化することで失われるものが言語にとって重要であるということ?)
を考えているからではないかと僕は安直に言語化したりしてしまうのですが(笑)

ドゥルーズ思想にも接続と切断の両面があるらしいのですが。
こと哲学となるとアポリアに耐えられず、片面だけの世界に陥りがちです。
(他への逃走=切断ばかりに偏って人間不在になったメタ的発想などが典型です)
最近は文庫などでヘーゲル本の新刊が出るようになっていますが、
弁証法の発想を見直す必要があるという動きであれば納得できます。

訳者あとがきを読むと、
この本を書いている間にブランショはレヴィナスの『全体性と無限』に出会ったらしく、
その前に書かれたものと後に書かれたものを追うことで、
ブランショがどのようにレヴィナスに応じたのかがわかるようです。
僕にはついていけそうもない観点ですが、一応参考までに。

 

 

 

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