「2017年1月臨時増刊号 総特集◎九鬼周造 ―偶然・いき・時間― (現代思想)」 (青土社)

  • 2017.03.11 Saturday
  • 21:57

 

「2017年1月臨時増刊号 総特集◎九鬼周造 ―偶然・いき・時間― (現代思想)」

  (青土社)

   ⭐⭐⭐⭐

   千葉雅也の自己宣伝エッセイはいらない

 

 

「現代思想」と千葉雅也には(安倍晋三と籠池泰典よりも?)、
特別に親密な関係があるように感じています。
編集長の栗原一樹はその説明をすべきだと以前レビューで書いたのですが、
いまだその説明がされているようには見えません。
増刊号ならいいだろうと思ったのか、また千葉雅也を起用しているのですが、
必然性に欠ける起用にしか思えませんでした。
(それだけに特別な関係をより印象づけています)

本誌は九鬼周造の特集号です。
僕は遠い昔に『いきの構造』を読んだきりで、九鬼をしっかり読んだことがなかったので、
今回の特集にあわせて『偶然性の問題』と『人間と実存』を読んでみました。
それでも本誌の論考はどれも難しく、僕の理解の及ばない部分も多々ありましたが、
力作ばかりで非常に勉強になりました。

中でも宮野真生子の和辻哲郎と九鬼周造の比較をした論考は興味深いものでした。
人間存在を間柄として把握した和辻に対し、九鬼が人間存在の根源的偶然性をみているというのです。
和辻の間柄「である」は日常性に通じ、九鬼の事実的偶然性「がある」はその根底にあるという整理はあざやかです。

ただ、この問題は個人的にとても難しいものだと感じました。
根源的偶然性は大澤真幸が根源的偶有性と言ったものと同じだと思うのですが、
大澤はその説明をするときに塹壕戦で隣の兵士が射殺された例を持ち出し、
死んだのは自分であってもおかしくない、というような話をしていました。
このように根源的偶然性を認識する非日常の場にふさわしいのは、戦場だったりします。
ハイデガー思想にしてもそうなのですが、存在の根源性を考える場合、
これをどう訴えるかが難しいところです。
下手に全体化すると日常の破壊を肯定することになるからです。
ハイデガーの影響が濃い九鬼の思想を再評価する際にも、
その後の歴史を踏まえてこのことへの注意を促しておく必要があると感じます。

橋本崇の論考は九鬼の偶然性からマルクス・ガブリエルの論を考察しています。
九鬼の「原始偶然」はシェリングに由来するはずなので、
シェリング研究者であるガブリエルが持ち出されるのには必然性が感じられます。
ガブリエル思想の説明も非常にわかりやすく、興味深く読みました。

しかし、九鬼をカンタン・メイヤスーの思想と重ねるのには疑問を感じずにはいられませんでした。
千葉雅也のエッセイというのがそういう内容で、
九鬼の「原始偶然」を取り上げ、世界は別様でもありうるとするメイヤスーと類似する、としています。
僕は九鬼をにわかでしか勉強していませんが、にわかに信用できない論だと思いました。

まず、前述したように「原始偶然」はシェリングの概念です。
それとメイヤスーが類似するなら、
シェリング研究者のマルクス・ガブリエルがメイヤスーを痛烈に批判している意味がわからなくなります。  
また、九鬼の偶然論は時間論と密接な関係を持っていますが、
「祖先以前性」を持ち出すメイヤスーにはメタ的発想があるだけで、時間論があるようには思えません。

また、「原始偶然」が「絶対的形而上的必然」と結びつけられていることの意味を千葉は無視しています。
このことの重要性は、本誌でも他の論考で書かれています。
たとえば古川雄嗣は「原始偶然」についてこう述べています。

 強調すべきことは、原始偶然の概念は「経験の領域にあって全面
 的に必然の支配を仮定」することによって得られるものであると
 いうことである。つまり、彼はここで、因果的必然性に基づく決
 定論の立場に立っているのである。

古川は九鬼の哲学を「因果的必然性と因果的偶然性の矛盾結合」と言っていますが、
僕が九鬼を読んで受けた印象もこちらに近いものでした。
メイヤスーは「偶然性の必然性」と言っていた気もしますが、
その「必然性」は強調のためのレトリックであって、偶然性と対置する意味での必然性を意味しません。
もちろん両者の矛盾結合を意図していることにはならないと思います。

古川の論はそこから九鬼が「運命」を導き出したことを語りますが、
ここには実存の問題が関わるにちがいないので、
人間不在の世界を考察するポスト・ポスト構造主義と類似するはずもありません。
また、本誌では古荘真敬も九鬼周造の運命論を考察しています。
ここでも偶然性と必然性の異種結合が語られています。

これをふまえると、
九鬼を偶然性の面だけでとらえた千葉の主張は僕には強引としか思えないのですが、
本誌の編集後記を読むと、本誌の編集者はこの千葉一人のあやしげな見方を重視していることがわかります。

 世界の非人間性への感度といい、偶然性への照準といい、九鬼の
 哲学は、彼ら(注:メイヤスーとガブリエル)が代表する現代の
 「思弁的唯物論」、あるいは「新しい実在論」との奇妙な近似を
 示しているようにも思える。

本誌ではもう一人、山内志朗がメイヤスーを引用していますが、
ライプニッツと対置しているだけで、
九鬼と類似しているとは全く書いていませんので、
この編集者の認識は千葉雅也によってもたらされた(もしくは偶然気が合った)ものでしかありません。
僕が「特別に親密な関係」と言うのはそのためです。

僕は千葉が九鬼をメイヤスーに近づけるのは自己宣伝が目的だと思っています。
思想的な必然性が薄いのですから、自己利益のためとしか思えないのです。
学問と宣伝の区別がつかない人間に思想をやる資格があるのか疑問ですが、
雑誌「現代思想」がその片棒を担ぎ続けているのは、
読者を軽んじる態度ではないかと怒りを覚えています。
何度も言いますが、そんなに千葉を起用したいのならば、
彼を特別扱いする理由を説明してください。
このレビューのコメント欄を利用してくださって結構です。

〈フランス現代思想〉を現代の真理と考えて、
それと似たことを言っているという視点で過去の思想を掘り返すことに創造性はありません。
ただ、ハリボテの権威を強める保守的な効果をもたらすだけです。
こういう現在至上主義は資本主義だけでたくさんです。
僕は商売気の強い人の「適当」で「笑止千万」なエッセイなど読みたくはありません。

 

 

 

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