『ローティ: 連帯と自己超克の思想 (筑摩選書) 冨田 恭彦 著

  • 2017.02.15 Wednesday
  • 14:52

『ローティ: 連帯と自己超克の思想  (筑摩選書)

  冨田 恭彦 著 

 

   ⭐⭐⭐⭐

   ローティ思想をわかるのは大変だとわかる本

 

 

ローティはパース、ジェイムス、デューイなどの古典的プラグマティズムと、
20世紀後半のネオ・プラグティズムをつなぐ位置にある思想家です。
著者の冨田は長らくローティと実際に交流があったことを明かしています。

帯文には「その思想の全貌を明らかにする」と書かれていますが、
ローティの哲学的視野は広大なのですべてを書き表すのは大変です。
冨田は広く表面的な記述を避けて、内容を生涯と重要なトピックにしぼっています。

第1章はローティの生涯を紹介しています。
ローティの父は反スターリン主義の左翼ジャーナリスト・作家で、
トロツキーの秘書を自宅にかくまったりしていたようです。
第7章でローティは自らを「改良主義的左翼」と称して、
革命よりも富の再分配を重視したことが書かれていますが、
彼の生涯を知るとこうしたことの理解がしやすくなります。

第2章と第3章では、ローティの「言語論的転回」批判について書かれます。
批判の意義について理解するには、まずその批判対象を理解する必要があります。
つまり、ローティの批判の意義を理解するには、「言語論的転回」へと向かった分析哲学の理解が欠かせません。
冨田は丁寧にも第2章をすべて批判対象となるラッセルやヴィトゲンシュタインなどの分析哲学の説明にあてました。
必要な手続きであるのはわかるのですが、
ローティへの興味で読んでいる読者には前置きが長すぎるのは苦痛でした。

ローティは言語についての分析を哲学と見なす考えを「言語論的転回」と呼んで批判します。
しかし、肝心のローティの考えはなかなか紹介されず、
理想言語に関わるベルクマンの論の紹介が長すぎたりして、
素人読者の僕にとっては相対主義の迷子に突入する気分になりました。

ローティは言語論的転回が概念を認めないある種の「唯名論」だと捉えているようです。
概念についての考察は、言語表現の考察によってしかできないからです。
冨田は「この唯名論こそ、当の言語論的転回の自己解体を促すものだった」と書いています。
言語が言語外の何かを忠実に捉えることを否定する「唯名論」は、
「観念」や「表象」への純粋なアプローチが無意味であることを示します。
そうなると、認識論哲学も言語論的哲学も意義を失うというのです。
これを「自己解体」と表現する冨田の意図は、くりかえし読んでもイマイチわかりませんでした。

第4章はローティの『哲学と自然の鏡』を中心に、
ロックとカントの「認識論」に対する批判を取り上げています。
ローティが言語論的転回の上位にある認識論への批判へ向かうのはわかりますが、
ここでもクワイン、セラーズ、クーンの思想が前置きとして紹介され、
今何の話をしているのか迷子になりかけますが、
ようやくローティの「解釈学的循環」という考えにぶつかりました。

解釈学的循環はクーンのパラダイム論と歩調を合わせ、 
世界の理解の仕方はその都度のものであり、
ことあるごとに全体を見直し、整合性を図ろうと質的変化を遂げていきます。
つながりにくいものをうまくつなげていく努力のくりかえしを循環と捉え、解釈学的循環と呼んでいます。
認識論が特定の特権的な考えであらゆる文化を整えようとするのに対し、
解釈学は質的変化によって新たな見方を探り出すのです。

解釈学へ向かうとなると、ハイデガーが登場するのも納得です。
第5章はハイデガーと連帯について取り上げます。
ローティはある共同体へ貢献することで人生の意味を実感することを「連帯への願望」と考え、
人間ならざるものに直接関わることで人生の意味を実感する「客観性への願望」よりも重視します。
ローティが「自文化中心主義(エスノセントリズム)」の主張に至るのは、
連帯との関係によるものだということが本書でよくわかりました。

冨田はローティの「自文化中心主義」を、
自らの言明はさしあたって自分の属した共同体を基準にするしかない、
という態度だと説明していますが、
この考え方には相対主義という批判が避けられません。
冨田は批判を「誤解」として退けますが、イマイチ説得力が足りない印象でした。

ローティは転回(ケーレ)以後の後期ハイデガー思想を評価しているようです。
ローティはフッサールの現象学とカルナップに代表される実証主義的分析哲学が、
「あらゆるものの相互のつながりを見ることのできる視点にまで昇りつめたいという伝統的なプラトン的希望」を共有し、
非歴史的な絶対性をもつ「形式的図式」を探求していると言います。
これを「詩的」な立場から「数学的なもの(タ・マテーマタ)」と呼んで批判したのがハイデガーです。
ローティは後期ハイデガーを援用して、科学主義的哲学観を批判したのです。

第6章はロマン主義的感性について書かれています。
ローティにとってプラグマティズムの核心は表象主義批判にあります。
ロマン主義というのも、想像力が理性よりも優位に立つという意味で言われています。

僕は冨田の説明がまとまりを欠いていてわかりにくい、と書きましたが、
自分のレビューも思いのほか長くなって、まとまりに欠けていると感じます。
ローティの思想内容についてまとめるという作業の大変さの一端がわかった気がします。
冨田が論文でローティを扱いたいという学生にやめるようアドバイスしていた、
と本書で書いていますが、身をもって納得した次第です。

 

 

 

 

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