『スタンツェ―西洋文化における言葉とイメージ』 (ちくま学芸文庫) ジョルジョ・アガンベン 著

  • 2016.07.08 Friday
  • 11:49

『スタンツェ―西洋文化における言葉とイメージ』

  (ちくま学芸文庫)

  ジョルジョ・アガンベン 著 

   ⭐⭐⭐

   アガンベンの処女作はポスト構造主義色が強い

 

 

本書は1977年初版のものが1993年に再版されたものです。
アガンベンが34歳くらいの著作なので若書きと言えると思いますが、
読後の印象は〈フランス現代思想〉(特にポスト構造主義)っぽいという印象でした。
アガンベンは自国イタリアよりフランスで評価された人なので、
本書を読むとその現象が非常に納得できます。

「スタンツァ」とは13世紀の詩人が自らの詩の本質を表現した言葉で、
「住まい、隠れ家」を意味するようです。
アガンベンはそこに「場なき場」というトポスを見出し、
西洋の言葉がつくり出す分離(対象の美的表象=詩と表象しえない真理=哲学)を連結する地点を描き出します。

アガンベンは最初に「怠惰」の両義性について考察します。
怠惰は欲望の対象に到達できないのに、その欲望の対象になろうとするものであり、
その両義性のために、否定と欠如という在り方で対象との交流を成し遂げます。

ついでアガンベンはメランコリーの考察にも同様の弁証法を見出します。
喪失の現実を探索せずに喪失対象に固執するメランコリーは、
所有できない対象を喪失した対象として示そうとする想像的な能力だというのです。
メランコリーの両義性をアガンベンはこう表現します。
「メランコリーにおいても、対象は同化されるのでも、失われるのでもなく、同時にそのどちらでもある」

フロイトのフェティシズムにも同様の両義性を指摘したあと、
アガンベンはボードレールのパリ万博の記事を取り上げ、
彼が商品が商品としての使用を否定することで芸術に近接することを発見し、
経済の専制や進歩的イデオロギーに対抗するために、
価値の無用さによって使途が不可侵性そのものにあるような芸術作品の究極の商品化を提案したと述べます。

伝統による対象理解を可能にする権威と使用価値を否定することで、
とらえどころのないものを生み出し、そこに新たな権威を与えるという
ヘーゲル的な自己否定、自己解体が近代の芸術の宿命となったのです。
否定を通して不在を存在に変えるフェティシズムがその助けとなったとアガンベンは言います。

その後、13世紀の詩の言葉のファンタスマや記号論の考察へと向かいます。
プネウマ(精気)とファンタスマ(表象像)の結合という概念に支えられながら、
閉鎖的な詩法によって不可能な愛の対象を失われた対象として取り返すことが、
認識の対象を完全に所有できないという西洋文化の不可能性を乗り越える試みとなるのは、
最初に書いたとおりです。

もとは77年に書かれた本なので仕方ないのかもしれませんが、
詩的言語によってアポリアを両立させるという発想は、
ポスト構造主義色が強くて、それほど新鮮には感じませんでした。
特に記号論のところではシニフィエとシニフィアンの話やグラマトロジーや「原痕跡」などの話になり、
わりと読み飛ばし気味になってしまいました。

イタリア人なのでイタリア哲学と言えなくもないのですが、
アガンベンが〈フランス現代思想〉の延長にいる思想家だという印象を強く感じる一冊でした。

 

 

 

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