『武士の日本史』 (岩波新書) 高橋 昌明 著

  • 2018.06.11 Monday
  • 09:24

『武士の日本史』 (岩波新書)

  高橋 昌明 著

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   武士という存在を広い歴史的視野で考える

 

 

「〈常識〉vs〈史実〉」という帯を見ると、本書が「一般常識と違って史実はこうだった」ということを書いた本だと思えますが、

実際に読んでみると、もっと内容の深い手強い本だとわかります。

わかりやすい軽い本という印象がセールスに結びつくという発想は理解できますが、

デキの悪い本ならまだしも優れた本であっただけに、

こんな宣伝しか思いつかないのか、と岩波書店には少し失望しました。

 

著者の高橋は中世史が専門で、平清盛の政権を「六波羅幕府」とすることを提唱している挑戦的な学者のようですが、

本書は武士の全体像を描き出そうという試みであるため、

その視野は広範に及び、三島由紀夫の切腹事件までもが扱われるのですが、

専門性に依存しない教養ある冷静な筆致には矜持が感じられて好感を持ちました。

 

第1章は「武士とは何か」をその発生に立ち戻って考えます。

高橋は武士が武芸の技に秀でた芸能人として誕生したと考えています。

それが家業として受け継がれたので、武士は特定の家柄の出身者に限られるというのです。

つまりは歌舞伎の家みたいなものとして成立したということです。

高橋は武士と侍は違うと言うのですが、このあたりも説明が専門的でとっつきにくさがあります。

侍というのは家の格を表すらしく、六位クラスの下級貴族にあたります。

侍の中で武芸で身を立てれば武士、文芸であれば文士となるのです。

 

遅くても平安前期には武士は存在したようですが、発生場所については諸説あるようです。

武士が地方で発生したという説に対して、高橋は都で発生したと考えています。

門外漢の僕にはどちらが主流なのかわかりませんが、武具のデザインを根拠にした高橋の説にもそれなりに説得力はあります。

 

細々した情報が難しいのも本書に読み応えがある理由だと思います。

武士の登場と関係が深い「エミシ」征伐について書かれるときに、

高橋は「エミシ」とカタカナで記述しているのですが、

ときに俘囚という字を当てていて、蝦夷じゃないの?と不思議に思っていると、

俘囚には朝廷の支配下に入って一般農民に同化したエミシという説明が加えられています。

しかし、別のところでは俘囚(エミシ)とは律令国家によって東国に強制移住させられた人たちだと書かれていて、

僕にはエミシや俘囚をどう考えていいのか理解が及びませんでした。

 

自力で武力を行使できる武士という存在が社会に許容されたのは、それを認知する権力があってのことです。

そのことを考えなくては武士論としての条件を満たしていない、と高橋は述べています。

そして、今より圧倒的に中央集権が行き届かなかった時代に、

地方で武士がどのように王権(その代理である地方長官)から承認されたかを考えます。

このような王権からの承認を武士の発生の条件とすることで、高橋は武士が王権の近くで発生したことを裏付けたいようです。

62ページまでの第1章だけでも、これだけ多様で濃密な内容です。

 

第2章は源平の争乱から南北朝や戦国時代、江戸時代までの武士の変遷を追いかけます。

この章も盛りだくさんという内容で、高橋の持論である平家政権を「六波羅幕府」と考えるべきだという主張がコンパクトに組み込まれています。

源頼朝や木曽義仲の挙兵など反平家の反乱が拡大したのは、中央に対する地方の不満の爆発であって、

源平の覇権争いに矮小化するべきものではない、というあっさりとした記述にも深い学識を感じました。

 

豊臣政権によって行われた太閤検地が統一権力による現地の正確な把握を進め、その延長に石高制が成立したこと、

秀吉の「身分統制令」や刀狩りによって、武士と百姓が区別されていったこと、

高橋の説明だと江戸幕府の全国支配の基礎をいかに秀吉が作ったかがよくわかります。

 

第3章は武士の武器と戦闘の実情について書かれています。

馬に乗ってどのように弓を射たのかについてや、刀を片手で扱ったりしたこと、

馬を降りたら馬は後方に下げて戦ったなど、ドラマで描かれるのとは違った戦場の実際が述べられます。

僕が印象に残ったのは「旗指」という人々です。

旗は敵味方の区別や自己顕示のシンボルとなるものですが、主人に付き従って旗を持つのが旗指の役目です。

重い旗を持ち弓を持てない上に目立つため、かなりの確率で生きて帰れなかったようです。

 

第4章は「武士道」についてのわれわれのイメージを覆していきます。

戦国時代までの武士は降伏した敵には寛大であったことや、

主人を何度も変えることも珍しくなかったことが示されます。

死の覚悟を武士道とする『葉隠』は江戸時代においてはマイナーな思想でしかなく、

むしろ近代以後に影響を与えたものだと高橋は述べて射ます。

 

面白いのは、東アジアという視点から見ると武士の思想というものが不思議で理解に苦しむものだろうという指摘です。

儒教は本来、武力などの強制による支配ではなく、文の力によって道徳心を高めて社会の秩序を実現することを目的としています。

その背景には暴力的な力への忌避という性質があるため、武人は高く評価されません。

このような文人支配が未確立だったこともあり、日本では武人の支配体制が確立したのですが、

統治者となった武士の役割が官僚的になったところで儒教が取り入れられることになったために、

日本の儒教理解には独特なものがあるというのです。

今も自衛隊のシビリアンコントロールが時々問題になりますが、日本の文人支配の弱さという歴史背景を考慮すると有益である気がします。

 

第5章では明治以後にまで視野を広げていきます。

ここで高橋はわれわれの戦国合戦のイメージが、帝国陸軍の横井忠直の関わった『日本戦史』シリーズによって生み出されたと主張します。

織田信長の桶狭間の奇襲や長篠の合戦の武田騎馬隊の三段撃ちでの撃破の様子は、

この『日本戦史』に描かれたものが通説化したものらしく、実際は事実に反するようなのです。

 

新渡戸稲造の『武士道』は、高橋によると「近世に存在した士道・武士道とはまったく別物である」とのことです。

新渡戸の描く武士道は西洋の騎士道からの類推であって、日本に西洋に匹敵する伝統があるとしたい、

今でも存在する、さもしき日本人の捏造精神の現れであったようなのです。

他にも「そうだったのか!」と思わせる内容が次々に書かれていて、

しっかりと説得力もあって読み応えは十分です。

 

終章では武士に対するさらに面白い見方が述べられています。

武士はモノノケや邪気を祓う「武」という呪力を司る、陰陽師などと似た存在であったというのです。

「従来歴史研究者は、武士のこうした機能にはまったくといってよいほど関心を持たず」と高橋は述べるのですが、

いやあ、それはそうでしょう、あなたの説は刺激的すぎますから、と思いました。

高橋が魔除けとしての武士について、源頼政の鵺(ぬえ)退治のエピソードを取り上げているのですが、

僕はこの話を読んだことがあるので、実は高橋説に少し信憑性を感じています。

なかなか支持されにくそうですが、個人的にはこの人はすごいのではないか、と感じてしまいました。

 

本書は単なる武士論にとどまらず、視野の広さから日本論とでも言うべき内容に達していると思います。

広い興味を持ったマニアックな人にこそオススメします。

 

 

 

『後醍醐天皇』 (岩波新書) 兵頭 裕己 著

  • 2018.05.06 Sunday
  • 10:05

『後醍醐天皇』  (岩波新書)

  兵頭 裕己 著

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   建武の中興から「国体」の問題まで浮かび上がらせる知的興奮に満ちた一冊

 

 

本書を読み始めてすぐに、わずかな違和感を感じました。

歴史学者らしくない書き方だな、と思って著者略歴を確認すると、

兵頭は『太平記』の校注を担当した文学畑の学者でした。

ちょっとだけ心配しましたが、厄介な歴史的事実が過剰に記されることもなく、読みやすいと感じました。

その上、先行研究もしっかりと紹介してくれるので、おそらく歴史マニアから見ても不満のない内容だと思います。

 

兵頭も何度か触れていますが、

『太平記』は法勝寺の円観恵鎮が足利直義のところに持ち込み、そこで修正が加えられて成立しているため、

室町幕府寄りの記述になっていて、後醍醐天皇側には批判的です。

(たしか『梅松論』も幕府寄りの内容だったはずです)

 

さすがに専門家だけあって、兵頭が『太平記』と史実との違いを明らかにしていくところは読み応えがあります。

たとえば、後醍醐天皇が中宮禧子のお産の祈禱を行なったことについて、

『太平記』ではお産は隠れ蓑で、実は幕府の調伏を狙っていたことにされています。

その影響で幕府執権の金沢貞顕の書状の解釈が正反対になってしまう論があったりするのですが、

その代表が網野善彦『異形の王権』です。

兵頭は後醍醐天皇が重用した真言僧の文観弘真を、網野が邪教の祖としていることにも反論します。

『太平記』で文観が悪く描かれているのは、その後任で足利尊氏に仕えた三宝院賢俊を持ち上げたい事情があったからだと述べています。

『太平記』の成立事情を考慮しないと誤った解釈が生まれることを指摘した部分は、

まさに兵頭の本領発揮という感じがしました。

 

本書を読むと、後醍醐天皇がいかに宋学に通じたインテリであったかがよくわかります。

『太平記』にも宋学で根本経典とされた『孟子』の語句が多用されているのですが、

この時代に宋学など儒教の影響力があったという兵頭の指摘は、

文学畑の発想ということでは片付けられない真実味があります。

この後醍醐天皇の宋学教養が「新政」に失敗をもたらしたと兵頭は見ているのですが、

日本人が海外の権威を単純反映して失敗することは、確かによくあることに思えます。

 

ちなみに後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕を考えたのは、持明院統と大覚寺統との天皇交代制という「慣習」から、

中継ぎ天皇として一代での退位を余儀なくされていたため、

その世話役をしている鎌倉幕府を倒して自分の天皇の地位を盤石にしたいと考えたからのようです。

 

また『太平記』本文で「楠」正成と表記されているものが、現在「楠木」正成となっているのは、

明治に官選国史の編纂をした川田剛がそれまでの記述をひっくり返したことによるそうです。

兵頭は川田説を支持していないため、記述を「楠」で統一しています。

 

このように、本書の読みどころはいろいろあるのですが、

僕が最も感心したのは、建武の新政の考察から天皇の直接統治である「国体」の持つ意味を掘り下げたことです。

 

兵頭は後醍醐天皇が「無礼講」という官位や家柄の上下関係を無視した場を設けたことを重視しています。

後醍醐天皇は天皇に権力を集中させる「新政」(天皇親政)を行うために、

既存の序列(ヒエラルキー)を無視した抜擢人事を行いました。

宋学に通じた日野資朝や日野俊基がその代表ですが、

楠正成はもちろん足利尊氏よりだいぶ格下の新田義貞もそれに含まれています。

兵頭は後醍醐天皇の「新政」が失敗に終わった原因が、

宋学イデオロギーによる既存のヒエラルキーの破壊にあるとしています。

現代までさほど変わらないことですが、多くの日本人は閉鎖的な世界をこよなく愛しているため、

中国的な実力主義にはなじめず、門閥、家柄などの縁故主義を強く維持しようとするのです。

 

興味深いのは、後醍醐天皇の天皇親政のあり方が後世の「国体」に影響したという兵頭の考察です。

建武の中興において、天皇親政は「無礼講」に見られるような既存の権力序列を無化することを意味しました。

そのため、後世に天皇親政による身分社会の解体という「幻想」が育まれるようになったと言うのです。

 

政治思想史のうえでは、後醍醐天皇の「新政」の企ては、出自や家柄、門閥に根ざした身分制社会にたいするアンチテーゼとして、この列島の社会における「王政」への幻想を醸成することになる。

 

既存の身分社会や世俗の序列を解体し、神の前で万人が等しく平等であるように、

天皇がすべての民に等しく君臨する統治形態が「革命のメタファー」となったという兵頭の考察は、

すべて納得できるわけではありませんが、非常に面白い説ではあると思います。

 

天皇の絶対的権威に基づく国家を表す「国体」という言葉は水戸学のキーワードなのですが、

兵頭は「足利時代以降に失われた「国体」を回復する思想運動が、水戸学の尊王攘夷論である」として、

「国体」という観念が武家社会の序列を無化する力を持ちえたことに、

後醍醐天皇の建武の中興が影響しているとするのです。

 

縁遠いことを持ち出すようですが、

最近出版された白井聡『国体論』で、白井は国体の批判を展開しています。

天皇の権威に依存した体制を批判するのに、なぜか白井は冒頭とラストで今上天皇の「お言葉」を持ち出します。

僕にはこのような矛盾が不思議でしたが、

今でも既存体制の変革を訴える時に天皇が必要になってしまうのは、

兵頭が指摘する天皇についての日本人の根深い「幻想」が、今でも生き続けている証拠と言えるでしょう。

白井聡にも本書を読むことをお勧めしたいものです。

 

 

 

『兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実』 (中公新書) 小川 剛生 著

  • 2017.12.07 Thursday
  • 16:34

『兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実』  (中公新書)

  小川 剛生 著

 

   ⭐⭐⭐

   兼好は吉田家の人ではなかった

 

 

『徒然草』の著者として知られる兼好法師は、教科書で吉田兼好や卜部兼好と記されていました。
卜部姓であることは問題ないようなのですが、どうやら「吉田」氏であることは捏造なのだそうです。
室町時代の吉田兼倶という人物が歴史を大きく歪曲したことが現在にまで影響している、
と小川は指摘しています。

歴史資料を検証する本を読んでいると、
家系図が捏造されたり、後で書き加えられた文があったり、偽書があったりと、
どれが信用に足る資料なのかを判断することは大変なようです。
小川は通説となっている安良岡康作による徒然草の二部三段階成立説に批判的ですが、
僕は安良岡の論を読んでいないので、どちらが正しいのか判断する立場にありません。
そのため、歴史関係の本は数多い説のひとつであると承知して読むようにしています。
(その意味で、本書の副題に「真実」とあるのには抵抗があります)

朝廷の神祇官に仕えた公家の卜部氏を出自として、
吉田神社の神主となりやがて出家した、というこれまでの兼好像が、
検証に耐えるしっかりしたものでないことは確かなようです。
本書は信頼できる資料をもとに、兼好の生涯にできるかぎり迫る試みをしています。

まず小川は兼好が公家の出身ではなく武家の出身だと考えています。
三浦半島付近の六浦に所領をもつ金沢流北条氏と深い関わりがあったことが、
金沢文庫の書状から確認できるのです。
京都を治める六波羅探題の職を務めた金沢貞顕の書状に兼好の名があることから、
小川は兼好が貞顕の部下であったと推察しています。
(この古文書は断片的なので推定説にすぎないとする研究者もいるようです)

ただ、六波羅探題の金沢貞顕の家来であれば兼好が京都に居を置いたことが説明しやすくなるのも確かです。
小川は六波羅という空間が、東の鎌倉武士と西の京都文士が交差する文化の創造的な場だと述べていますが、
兼好の教養がそのような空間で育まれたという視点はなるほどと思わせます。
ちなみに兼好は不動産を所有していたようです。
その土地は売却されるのですが、小川はそれで生活できるほどの金額ではないとしています。

しかし、公家ではなく武士であったとなると、
兼好が朝廷の内情に詳しいことの説明が難しくなります。
そこで小川は、兼好が朝廷と関わる侍品の職である検非違使庁の業務をしていたと考えます。
説得力があると感じるかどうかは、読む人次第かもしれません。
その後は『太平記』にも描かれているように、高師直の家に召し抱えられていた、
というのが小川の見解です。

個人的には歌人としての兼好を追った第六章を面白く読みました。
藤原定家の血筋である二条為世門下の四天王の一人として兼好は数えられています。
兼好の生涯とは直接に関係はないのですが、
小川が二条派の古典和歌について書いていることに、なるほどと膝を打ちました。
和歌には題材の限定や着想のパターンなどの束縛があり、
個人の感動をあるがままに自由に読むことは困難でした。
この一見不自由な制約が、
異なる地域や階層の人と絶望的にコミュニケーションがとれない前近代においては、
「他者」とのコミュニケーションを円滑にする役割を果たしたというのです。
異なる人々をつなぐ共有圏を作ることに古典文学の制約が働いていたのですね。

兼好といえば『徒然草』ですが、本書では第七章になるまで『徒然草』についてまとまった取り上げ方はされません。
『新版 徒然草 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫)の解説で書いているからという理由ですが、
兼好の生涯でなく『徒然草』に興味が強い方は、失望しないように内容をチェックしてください。

 

 

 

『蒙古襲来と神風 - 中世の対外戦争の真実』 (中公新書) 服部 英雄 著

  • 2017.11.27 Monday
  • 15:56

『蒙古襲来と神風 - 中世の対外戦争の真実』  (中公新書)

  服部 英雄 著

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   権威に挑む気骨ある研究者に拍手を送りたい

 

 

本書は蒙古襲来の定説に挑む気骨ある研究者の本です。
最大のポイントは日本史の教科書でも書かれている、
蒙古が一夜にして台風で全滅したという「神風史観」の検証です。

服部はあとがきで「最近は学界の定説を疑問視すること、
通説を実証的に否定していくことが自分の使命ではないか、
と思うようになった」と書いているのですが、
それというのも、ろくに検証もせずに無批判な孫引きをする研究が多く、
教科書にまで書いてあったりするからなのだそうです。

定説をひっくり返すのがいかに大変かは、素人でも想像がつきます。
(Amazonレビューですら権威に批判的だと風当たりが強かったりします)
こと歴史に関しては事実をめぐる争いなので、資料による実証しか手がありません。
そのため、本書の大部分は資料による実証的な事実追求になっています。
第5章はまるまる全部が、竹崎季長が描かせた『蒙古襲来絵詞』の検証に当てられています。
読んでいて、かなり専門的、学術的な内容という印象を受けましたが、
僕はたかぎ七彦のマンガ『アンゴルモア 元寇合戦記 (1) (カドカワコミックス・エース)』で元寇に興味を抱いていたので、
いろいろ面白くて一気に読んでしまいました。

クビライの元軍(蒙古・高麗軍)は1274年の文永の役と1281年の弘安の役の二度攻めてきました。
服部はまず文永の役に来襲した元軍の実際の戦力を考察します。
これまでは九〇〇艘4万人が定説だったようなのですが、服部は三〇〇艘3万人が妥当ではないか、と述べます。
それから、文永の役は台風によって1日で終わったわけではない、と通説を覆します。
嵐は吹くには吹いたが時期的に台風ではないし、それで蒙古・高麗軍が撤退したのでもなく、
実際は戦いの末に日本軍が敵を退けたとして、

 

すなわち神風史観の骨格をなす、文永の役における、嵐によって一夜で殲滅なるものは、幻想・虚像にすぎない。けれども信じられやすかった。

 

と結論づけます。

弘安の役については、さらに詳細な検証が行われます。
驚いたことに、これまで不動の定説とされていた池内宏の説というのが、1931年(満州事変の年!)なのだそうです。
服部はにおわせるだけなのですが、おそらく「神風史観」なるものは、
皇国史観の亜種として侵し難い聖域となっていたのでしょう。
(服部が終章で神風特攻隊の美化を批判につなげるのも、そう考えると唐突には感じません)
第三章はこの池内説に対する反証がメインになります。

僕は池内の『元冦の新研究』を読んでいないので、一方の言い分しか聞いていないわけですが、
それでも服部の主張には大いに説得力がありました。

たとえば元軍(実質は東路軍=高麗軍と江南軍=降伏南宋軍)の進軍日程について、
池内説では高麗から対馬まで19日もかかったことになっています。
通信使の使者は1日で必ず来るだけに、疑問なく受け入れるのが難しいのは確かです。
服部は出発した日のうちに対馬に到着したと考えています。
戦争なのですから、ダラダラしているのは不自然ですよね。

また、『高麗史節要』にある「日本世界村大明浦」を池内は対馬としているのですが、
80年前までは常識であった志賀島と考えるべきだという見方も納得です。
どうも対馬説にはたいした根拠もなく、池内説の権威によってまかり通ってきたようなのです。

元軍に台風の被害はあったのですが、それで全滅したというのはまちがいで、
台風後にも死闘がくり広げられたというのが服部の考えです。
では神風という発想はどこから来たのでしょうか。
服部はこう述べています。

 

さて、みてきた通り、当事者誰一人、神の戦いとはひと言もいっていない。神の戦いで決着がついたのなら、嵐が吹いた一日には終戦になるはずだが、彼ら日本軍はなおも戦いつづけ、それも多くの参戦者が負傷するほど、激しい戦いを強いられた。一方の貴族たちは、一日夜に決者がついたとし、神のおかげだと手放しで喜んでいる。

 

現場にいない貴族たちが神のおかげと騒いでいたのです。
このように服部が定説を実証的に覆していく作業はスリリングです。

このあと、海底遺跡や前述した『蒙古襲来絵詞』の検証をしていきます。
ここでは、どうやって信頼できる記述と後世の創作とを区別するのか、
歴史学の専門的な手続きを知ることもできます。
蒙古襲来後の日元関係にも触れます。

みんなが従っている定説なんだから正しいだろう、と「思考停止」をしてしまう人が多いのは、
学者の世界でも同じようです。
「通説=多数派を批判すれば、たちまち一人となる」と服部はもらしていますが、
たとえ孤独になっても正しいことは主張する、という気概には見習うべきものを感じます。

 

 

 

『折口信夫 - 日本の保守主義者』 (中公新書) 植村 和秀 著

  • 2017.11.07 Tuesday
  • 22:08

『折口信夫 - 日本の保守主義者』 (中公新書)

  植村 和秀 著 

 

   ⭐⭐⭐⭐

   ナショナリズム研究者による折口論

 

 

折口信夫は多面的な顔を持っています。
國學院大と慶應大で教鞭を取った国文学者であり、
釈迢空という歌人であり、柳田國男に師事した民俗学者であり、
『死者の書』という難解な古代小説も残しています。

本書は「マレビト論」などの折口思想に踏み込むのではなく、
植村がナショナリズムなど政治思想史の専門家であることから、
折口の生涯を追いつつ、折口の社会に対する視線を取り出していくという試みをしています。

本書の副題に「日本の保守主義者」とあるように、
植村は本書で折口を保守主義者としているのですが、
これまであまり折口を保守主義の枠にはめ込むような見方をした人はいなかった気がしますし、
本書で植村は「近代日本の保守主義にはわかりにくさが生じた」と述べるだけで、
「保守主義」をしっかり定義したと思われる部分も見当たらなかったので、
少なからず違和感を感じずにはいられませんでした。
帯文の背には「真の保守主義とは何か」と書いてあります。
どうやら「保守」と書けば本のセールスが上がる世の中になっているようです。

しかし、よくよく考えると、「真の保守主義」とあることから考えると、
「真ではない保守主義」が存在しているということになります。
そういえば最近は権力におもねることを「保守」と勘違いする人が増えている気がします。
彼らは反体制的な異物を「左翼」として「排除」することで、自らを「保守」と位置づけています。
そのような人には権力と排除対象の両方に依存する「甘え」の心理機制が見られます。
一見、保守とか左翼とか政治的イデオロギー的な言説を弄しているように見えますが、
彼らの目的は、権力と同一化して批判分子を「排除」することで、
自分のナルシシズム(メタ的全能感=甘え)を維持することにあります。
要するに、日本で見慣れたイジメの構図です。
(この構図を隠すため、彼らは「大手マスコミはみんな左翼だ」「低評価レビューを書く人は基本アホだ」などという虚言を弄して、
自分が少数派や反権力であるかのように偽装することになります)

ハッキリと書くことを避けていますが、植村は本書でそんな〈権力代弁保守〉を批判したいのだと思います。
そのことは折口が二・二六事件や戦時体制への批判を描く筆致に現れています。
植村は折口が政治的なものから距離をとって文学に集中し、
社会生活や人間の心情に関心を注いだ、としてこう述べます。

 折口にとって社会とは、全体を抽象的に考えるべきものではなく、
 あくまでも、一人ひとりの人間が集まって成り立つものであった。
 政治よりも社会を重視し、抽象性よりも具体性を重視する折口は、
 人間と人間との心のふれあいによって、社会の維新を実現していこ
 うと考えたのである。

植村は折口が「一人ひとり」の共感を重視したとするのですが、
ここで批判されているのは、「左翼」とか「非国民」という抽象性に寄りかかり、
具体的な対面関係を厭う「人間嫌い」の精神の権力化です。

また、折口が戦後に神道と天皇との距離をあえて広げようとし、天皇の人間宣言を支持したことについて、
植村は「みこともち」を利用した下克上を問題視したためだと述べます。
折口は天皇の役割を神の言葉(みこと)を伝達する「みこともち」とするのですが、
天皇に仕える者が天皇に近い代弁者とふるまう下克上を「悪化せる日本本来の思想」と戦時中に批判しているのです。
これはまさに〈権力代弁保守〉と同じ構造です。
植村が折口を「真の保守主義者」と呼びたいのは、
〈権力代弁保守〉のような「真でない保守主義者」を批判する意図があってのことだと考えると納得がいきます。

折口が保守主義者だという断言への違和感を除けば、
植村が描こうとする折口像は、一面的すぎるきらいはありますが、
それほど悪くないと感じました。
「折口は、民族性から文学が生じるのではなく、民族の生活から文学が生じてくると力説する」
と述べる植村は、折口が文学の基盤を「生活」に置いていることを強調します。
折口は文学と社会との関係を強烈に意識し、社会を支えるのが文学の使命だと考えました。
文学の目的は美ではなく、生活の形をつかむことだ主張するのも、そのような考えの現れなのですが、
折口の文学や民俗学に欠かせない古来の生活への関心には、日本社会の存続に対する危機意識があると植村は言います。

しかし、文学の発生を異界からの声に由来するとする「まれびと」論に代表される、
「外部からの言葉」による「社会の活性化」をめざす折口の思想を、「保守」と定義するのは妥当なのでしょうか。
植村が自分の専門である政治思想史に引きつけて折口を理解しようとしたことで、
大きな歪みが生じているのではないでしょうか。
「あらゆるものが政治化していく時代に、折口は政治化していかない」と、
植村自身で折口の非政治性を強調しておきながら、
政治的な視点から折口を語るのはどこか矛盾しているように感じます。
そのため、「真の保守主義」を考える素材として、
文学人である折口がふさわしいのだろうか、という疑問が残りました。

 

 

 

評価:
植村 和秀
中央公論新社
¥ 886
(2017-10-18)
コメント:『折口信夫 - 日本の保守主義者』 (中公新書) 植村 和秀 著

『斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史』 (中公新書) 榎村 寛之 著

  • 2017.10.01 Sunday
  • 10:25

『斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史』 (中公新書)

  榎村 寛之 著 

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   伊勢斎王という日陰の歴史

 

 

南北朝の後醍醐天皇に至るまでの間、天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王という存在がありました。
その斎王の住まいのことを斎宮と呼びならわしているようです。
(古代は場所と人の呼び名の区別が不明瞭でしたので、明確に区別されていたかはわかりませんが)
天皇の代替わりごとに未婚の皇族女性が選ばれて神に仕えるため、伊勢神宮に滞在するのですが、
女性として花の咲く時期に恋もできずに親元から伊勢へと赴き、
帰京できたとしても、内親王は皇族としか結婚できないという規定があるので、
元斎王は独身で終わることも珍しくありません。
そのため最近は恋愛ものの漫画などで題材にされていたりします。

榎村は伊勢斎宮についてすでに多くの著書を書いているので、
斎宮の歴史的成立や制度的基盤についての専門知識は豊富にあるのですが、
本書では学問的な話は最初と最後に軽くまとめているだけで、
多くは歴史に名を残している斎王たちの人生ドラマを紹介しています。
歴史に強い関心がない人でも興味が持てる本になっていると思います。
(榎村は「何の役に立っているかわからない」斎王制度の話は「それほど面白くない」ので、
斎王の生き様を紹介した第2章「七人のプリンセス」から読むことを勧めています)

斎王は崇神天皇のときのトヨスキイリビメ(豊鋤入姫)に始まるとされています。
歴代斎王記である『斎宮記』や『日本書紀』の記述にそうあるのですが、
本書を読むと、天武天皇期の大来皇女からが信頼できる記録のようです。
伊勢神宮が制度的に整備されたのが文武朝と言われるので、そのあたりから斎宮は制度として機能するようになったのでしょう。

第2章では7人の斎王が紹介されます。
天武天皇の娘の大来皇女は、謀反嫌疑で殺された弟の大津皇子を思う歌が有名です。
榎村は大来皇女が斎宮で最新の歌の教育を受けていたと推測しています。
元明から聖武期に斎王だった井上内親王は、帰京したのち夫が光仁天皇となったため皇后になった人物です。
しかし、天皇やその娘を呪い殺そうとした罪で幽閉されて死去します。
桓武天皇の娘である朝原内親王は、藤原薬子を寵愛した平城天皇との離婚が記録されています。
朱雀期の徽子内親王は、村上天皇の女御となって歌人として名声を得ました。
950年以降になると、天皇の娘である内親王に適合者がいないため、
親王の娘である女王が斎王に選ばれることが増えていきます。
後一条天皇期の嫥子女王もその一人です。
彼女の父の具平親王は、紫式部と親しい関係だったと想像されるために、
光源氏のモデルとも言われています。
その斎王嫥子は荒祭宮の神に憑かれた状態で、朝廷を糾弾する託宣を告げる事件を起こします。
斎宮寮の長官の藤原相通が地位を利用して私腹を肥やし、伊勢神宮の権益に害をなしていることが問題だったようです。
金の問題で神様を担ぎ出すのは、いつの時代でもありそうなことではあります。

次の斎王は良子内親王ですが、伊勢への旅(群行)の様子が同行者の日記に残されていて、
彼女の気持ちやファッションを窺い知ることができます。
媞子内親王は3歳から9歳まで斎王だっただけなのですが、
その後結婚することもなく中宮になるというミラクルが起こります。

第3章も斎王たちについてのエピソードが満載です。
『伊勢物語』で在原業平との秘密の恋が描かれた恬子内親王や、
花山天皇と斎王済子をめぐるドタバタ、
杉田圭の漫画『うた恋。』で有名になった当子と藤原道雅の話、
源頼朝が意外にも斎王制度復活に助力していたことなどが書かれています。

第4章は斎王をめぐる少しマニアックな話が展開します。
第5章は「斎宮とは何だったのだろう」と題され、斎王制度を歴史的視点で考察します。
『日本書紀』に「斎」という職名が出てくることはなく、『続日本記』になって見られるようです。
斎王が制度として確立するのはいつなのか、
祭祀とその役割は何であるのか、
仏教との関係はどうだったのか、
このあたりは伊勢神宮にまつわる専門的な内容であるため、
少ない紙幅のわりに情報量が多く、僕には理解が及びませんでした。
興味のある方はじっくり読むことをお勧めします。

とにかくボリュームのある一冊ですが、
斎王がなぜ必要だったかという肝心な点に関しては、榎村は明確な答えを出していない気がします。
もともとは神に仕えるということですので、人身御供の延長だと考えることもできます。
そのあたりには触れたくないのでしょうが、まったく触れないというのも不自然な気がしました。

 

 

 

評価:
榎村 寛之
中央公論新社
¥ 994
(2017-09-20)
コメント:『斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史』 (中公新書) 榎村 寛之 著

『観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』 (中公新書) 亀田 俊和 著

  • 2017.07.30 Sunday
  • 20:47

『観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』 (中公新書)

  亀田 俊和 著 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   歴史の奥にある人間ドラマに迫る

 

 

室町幕府の初代将軍である足利尊氏とその血を分けた弟である足利直義、
この二人の兄弟喧嘩ともいうべき争いを「観応の擾乱」と呼んでいます。
(この名称は意外にも最近になって使われるようになったようです)
ただでさえ南朝と北朝で争っていた時期に、幕府でもトップの二人が争っていたわけですから、
どれだけ混迷した時代であったかがよくわかります。
本書は観応の擾乱の主役格二人、『足利直義』と『高師直』という著書を出している亀田が、
出来事の一部始終を遺憾なく描き出したものです。
混迷期の状況を詳しく描いているので、抜群に読み応えがあります。

観応の擾乱は歴史上の出来事なので、歴史事実の積み重ねで描くことはできるはずなのですが、
室町幕府という組織内部の権力争いという面が大きいので、
組織内の人間関係と組織の制度論の両面からの考察が必要になります。

恩賞を司る尊氏と所領安堵を司る直義の二頭政治のシステムや、
裁判制度の変化などの制度面からの歴史学的なアプローチに加えて、
どうして尊氏と直義が争うことになったのか、
尊氏は実の息子の直冬をどうして忌み嫌ったのか、
直義が高師直と対立した理由はどこにあったのか、
尊氏と嫡子の義詮との関係はどうだったのか、
というような人間関係や人物の内面についても、
亀田ができるかぎり踏み込もうとしているのが本書の魅力だと思います。

僕は足利尊氏の人間性に興味があります。
尊氏は南朝の後醍醐天皇を慕っていて、本心では対立したくはなかったようです。
周囲の要望に押されて幕府を作ることになってしまいましたが、
それもどこか不本意であったのか、政務のほとんどを弟の直義に任せてしまいました。
室町幕府がこのように消極的に始まったということは、僕は最近まで知りませんでしたが、
不本意とはいえ、権力を手にしながら行使することに興味がない人物というのは、
あまり例を見ないのではないでしょうか。
このような尊氏の常識ではかりにくい人間性が、観応の擾乱を理解することの難しさにつながっている気がします。
(本書には尊氏が精神障害だったという説を唱えた人もいることが書かれています)

亀田は観応の擾乱の後半になって、消極的だった尊氏が別人のように政治力を発揮したと解釈し、
人生後半で人間がこんなに変われることに勇気がもらえると書いているのですが、
僕はもともと足利尊氏は傑出した政治力と人望を持った人だったのではないかと思っています。
本人に積極的な気持ちがないのに将軍として君臨できたのは、それだけ周囲に支持される人間だったからではないでしょうか。
そんな尊氏が積極的に能力を発揮するようになったのは、息子の義詮を託した執事の高師直が殺されたためでした。
義詮の後ろ盾がいなくなれば、尊氏は隠居している場合ではありません。
そこで積極的に自らが動く気持ちになったということも考えられるような気がしています。

その意味で、本書で紹介されている『梅松論』にある夢窓疎石の尊氏評は興味深いものがあります。

/瓦強く、合戦で窮地に立っても怖れなかった。
∋悲天性で、人を憎むことがなかった。多くの怨敵も我が子のように寛大に許した。
心が広く、武具や馬などを惜しまずに人に与えた。

『梅松論』が中立的でないにしても、尊氏の人間性の一端は想像できます。
このように、観応の擾乱は歴史人物の内面への興味を掻き立てる事件でもあります。
本書は読者が自分なりの観点で読んだとしても、それに応えるだけの視野の広さを備えた良書だと思います。

 

 

 

評価:
亀田 俊和
中央公論新社
¥ 929
(2017-07-19)
コメント:『観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』 (中公新書) 亀田 俊和 著

『大伴家持 - 波乱にみちた万葉歌人の生涯』 (中公新書) 藤井 一二 著

  • 2017.07.22 Saturday
  • 20:41

『大伴家持 - 波乱にみちた万葉歌人の生涯』

  (中公新書)

  藤井 一二 著 

   ⭐⭐⭐

   万葉歌人の官僚としての生涯

 

 

『万葉集』を編纂したと言われる大伴家持は、父の旅人とともに歌人として有名です。
『万葉集』に採録された大伴氏の歌だけで700首以上になるので、
いかに大伴氏が和歌に秀でた名門一族であったかがわかります。
本書はそんな大伴家持の生涯を描き出すことを目的としているのですが、
藤井の重点はあきらかに宮廷情勢をふまえた官僚としての大伴家持の生涯にあります。
家持の歌も紹介されますが、現代語訳もなく、鑑賞には適していません。
文学より歴史に対する興味に応える本だと言えます。

最初に家持近辺の人物の説明があるのですが、
家持と旅人くらいしか知らない僕にとってはマニアックな上に、
なにぶん奈良時代のことなので事実も不明瞭なことが多いので把握するのが一苦労です。
家持と30年来の付き合いである大伴池主は、家持の交友関係の中でもかなりの重要人物なのですが、
誰の子なのかもハッキリしません。
(藤井は旅人の実弟の田主の子ではないかとしています)

最初の頃はどの役職に昇格したとか、宮中の位階の話が多いので、
当時の官職にピンとこない一般読者には退屈かもしれません。
家持は746年に越中国守に任命されるのですが、幸運にもそこの国司が親交のある池主でした。
そう言われても、実は国守と国司がどう違うのかが僕にはわからないので、なんとなく居心地が悪くなりました。
官職の話が多いわりに官職システムの丁寧な紹介はされないのです。

前半は読み進むのがけっこう苦痛だったのですが、
後半になると、ようやくおもしろくなってきました。
家持40歳の時に橘奈良麻呂の変が起こり、家持にも激震が起こります。

その当時、中央では左大臣の橘諸兄がトップに立っていたのですが、
藤原仲麻呂がだんだんと台頭していきます。
家持は橘諸兄と親交があって、仲麻呂とは派閥が違うわけですが、
橘諸兄という強い後ろ盾があったので安泰でいられました。
しかし、756年に諸兄が引退し死亡してしまうと、藤原氏の力が巨大化します。
孝徳天皇と親密な関係にあった藤原仲麻呂が権力を振るうようになり、
それに対抗しようと橘諸兄の息子の奈良麻呂が打倒仲麻呂の計画を練るのですが、
それが発覚して仲麻呂の反対勢力が弾圧される事件が起こるのです。

この橘奈良麻呂の変には大伴一族も多く関わっていました。
特に親交の熱い池主が関与していたのは家持にとって衝撃だったにちがいありません。
(この後の池主がどのような処罰を受けたかについての藤井の記述が見つけられませんでした。
不明なら不明と書いてほしいものです)
家持がこの計画を知らなかったのか、知っていて参加しなかったのか、
そのあたりは想像によるしかないのですが、藤井も家持の婚姻関係などから考察を行なっています。

その後、家持は藤原宿奈麻呂の謀略との関係を疑われたりしながらも、
藤原仲麻呂と道鏡の争いの後で、親交ある中臣清麻呂のおかげで出世します。
氷上川継の謀反に協力したとされて官職を失うこともありましたが、すぐに復職します。
しかし、家持死去の直後に藤原種継暗殺事件が起こり、またも家持の関与が疑われて除名されます。
家持の息子の永主も連座して流罪になってしまいます。
このように、宮廷政治の場面で家持の生涯を追っていくと、
藤原氏の勢力拡大を背景に、他の有力氏族が権力争いに敗れていく時期にあたることがわかります。
家持自身も何度か危険な立場に立たされているのですが、
幸運にも官僚生活をギリギリ全うすることができたわけです。
いつの時代も政治闘争は大変だし、文学などの文化もその影響から自由ではいられないのだと感じました。

 

 

 

評価:
藤井 一二
中央公論新社
¥ 886
(2017-06-20)
コメント:『大伴家持 - 波乱にみちた万葉歌人の生涯』 (中公新書) 藤井 一二 著

『江戸時代 恋愛事情 若衆の恋、町娘の恋』 (朝日選書) 板坂 則子 著

  • 2017.07.14 Friday
  • 21:50

『江戸時代 恋愛事情 若衆の恋、町娘の恋』

  (朝日選書)

  板坂 則子 著 

   ⭐⭐⭐⭐

   江戸時代の「性事情」研究

 

 

江戸の「恋愛事情」と題されているので、軽く楽に読めるのではないかと油断していましたが、
実際は江戸時代の「性事情」を学問的に研究した硬派な本でした。
板坂は専修大学教授で江戸期のジェンダーを研究しているのですから、それも当然かもしれません。

読み慣れない江戸時代の物語が数多く紹介されるので、
その内容を把握するだけでも情報量が多くて処理が大変なのですが、
多くの作品に触れることはそれだけでも勉強になります。
軽く読み流すことはあきらめて、一章ずつじっくり読んでいきました。

前半は江戸時代の男色文化を中心に取り上げています。
男性同士の恋愛は対等な関係ではなく、
年長の男性「念者」が十代の美少年「若衆」を恋慕する固定的な上下関係で成立しています。
板坂は男色は武家の文化として語られ、女色よりも高貴なものとして捉えられていたことに注目し、
その理由を仮名草子の作者が知的エリートの男性であることに求めています。

第2章は井原西鶴の『男色大鑑』を取り上げてくわしく紹介しています。
『男色大鑑』にはいくつもの話が収録されているのですが、
若衆が受け入れる相手である念者が、
武芸に秀でながらも地位に恵まれない下層の人だというのが興味深いところです。
板坂は西鶴が若衆を理想化していることから、
男色の世界の底流に強い女性嫌悪の存在を指摘します。
「本来的に女性を忌む姿勢が、若衆を聖的な者として崇める下地として必要」なのです。

さらに板坂は江戸の男色をギリシャの少年愛と比較しています。
古代ギリシャの美少年が、地位も財力もある保護者として相手を選ぶのに対し、
武家の若衆はあえて権威ある者を避けて不遇の者の熱意に応じることから、
若衆は年者に対して身分の上下関係を逸脱した優位性を持つことになり、
主君に仕える小姓とは違う神聖な存在という権威づけがなされると言うのです。

第三章では性愛の描かれ方を扱っています。
ここでは数多くの図版を掲載して、
絵巻や浮世絵によっていかに性行為がヴィジュアルとして先行していたかが示されます。

第四章は春画や春本に見られる若衆の性愛に迫ります。
ここでも多くの図版によって実例が示されるのですが、
男性同士の性愛図がけっこう存在していることにまず驚きます。
板坂は図に描かれた若衆が職業的な売色でしかなく、主導権を握らない受動的立場であることに注目し、
年長者との間に固定した上下関係が見られる点で武家の男色と異なるとし、
若衆の肉体的地位が「女性の代替物に近い存在」に下降したと考察します。

次に女性を相手とした若衆の性愛図も取り上げられます。
男性である若衆よりも女性の側に主導権があるように描かれ、
女性が性交の主体として上下関係を流動化させる楽しみ方をしていたことがわかります。
板坂は、このような女性主導の性行為は実際になされたものではなく、
女の夢として描かれたものだと考えているのですが、
こういうところから現代のジャニーズ文化やBL文化との関連を考えることもできそうです。

後半は戯作に描かれた色男像や浮世絵に描かれた女性像や男性像などのヴィジュアル的なアプローチ、
江戸期の少女や身体についての考察などが続きます。
ボリュームが多く読み応えも十分ですが、僕には前半の方が興味深かったです。
帯文には「江戸と現代は、こんなにそっくり⁉」と書かれていますが、
全体に江戸の性愛や男女の身体に対するジェンダー的な研究がしっかりなされていて、
現代との類似性が取り上げられている気はしませんでした。

 

 

 

評価:
板坂則子
朝日新聞出版
¥ 1,836
(2017-06-09)
コメント:『江戸時代 恋愛事情 若衆の恋、町娘の恋』 (朝日選書) 板坂 則子 著

『足利尊氏』 (角川選書) 森 茂暁 著

  • 2017.04.26 Wednesday
  • 21:10

『足利尊氏』 (角川選書)

  森 茂暁 著 

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   古文書による実証研究で描く尊氏像

 

 

室町幕府を開いた足利尊氏は、源頼朝や徳川家康にくらべて不当に悪く扱われてきました。
その原因は明治44年に南北朝のどちらが正統かという南北朝正閏論にあるようです。
論争の結果、南朝が正統ということで教科書記述が統一されたため、
足利尊氏は「逆賊」という扱いをされるようになりました。
僕自身も野蛮な武者の画を足利尊氏像として教えられてきた世代です。
政治的な思惑を離れて、歴史的に妥当な尊氏像を描き直すことは非常に意義深いことだと思います。

森はこれまでの尊氏研究とは異なり、古文書などの一次資料の活用した実証的アプローチをとります。
これまでの研究は『太平記』『梅松論』『神皇正統記』などの物語、史論に偏っていたため、
書き手の主観的な見方に影響されるという問題がありました。
そんな二次資料だけでなく袖判下文や御教書などの古文書によって、
森は新たな足利尊氏像を描き出すことを試みています。

尊氏の人生を考えるといくつかのターニングポイントがあります。
源氏の一員にもかかわらず、後醍醐天皇の倒幕運動に加担したこと、
その後醍醐天皇と袂を分かって北朝を立てて幕府を開いたこと、
二人三脚だった弟の足利直義との抗争(観応の擾乱)に至ったことなどです。
森は尊氏の和歌や古文書などを読み解きつつ、この辺りの成り行きを描き出していますので、
興味のある方はぜひ読んでいただきたいのですが、
全体として森は尊氏像を「逆賊」イメージから解放する方向で考えています。
しかし、それも決定的という印象ではなく、まだ多くの説が出てくる余地がありそうに感じました。

また、尊氏が庶子だったため父が死去するまで家督を継げなかったことや、
足利直冬が実際は尊氏の息子であったことなど、
新しく知ったことも数多くありました。

本書は足利尊氏の人物像を描くことが中心になっているので、
細かな歴史背景や武士の土地統治のあり方や幕府の制度史的なことなど
政治的な面についてはあまり触れていません。
そのぶん歴史マニアでない僕にも読みやすい本でした。

 

 

 

『日本古代呪術 陰陽五行と日本原始信仰』 (講談社学術文庫) 吉野 裕子 著

  • 2016.06.05 Sunday
  • 08:03

『日本古代呪術 陰陽五行と日本原始信仰』

 (講談社学術文庫)

 吉野 裕子 著

   ⭐⭐⭐⭐

   異質の思想を融合する日本パワー

 

 

僕は民俗学より古代呪術への興味で本書を購入しましたが、
さすがに陰陽五行説自体の内容はアッサリ触れた程度でした。
しかし吉野裕子はすごい人みたいですね。
主婦をしながら在野で研究をするうちに、民俗学の大家になるのですから。

本書だけでも吉野の学説の核は窺い知れます。
彼女は日本の原始信仰に中国伝来の陰陽五行説が融合したと主張しています。
本来、異質な思想の融合など不可能なのですが、古代日本人はそれを可能にしてしまったのです。
ただ、それが正しいのかどうかは証明が難しく、
こじつけとしか思われずに悔しい思いもしたようです。

吉野は学者めいたレトリックを好まず、簡潔に自説を述べるスタイルなので、
文章の面で損をしている印象もありますが、
蛇や穴などの原始信仰についての考察はもちろん、陰陽五行説との関係も十分に説得力を感じました。
「私見」とつけて大嘗祭を2つの説の融合から考察した論考も刺激的です。

古代には女陰が信仰の対象であったことなど、
女性の研究者が書くとウエットな印象が出そうなものですが、
吉野にはそういう面がまったく感じられないことにも好感を持ちました。
単に真実への興味が強い人なのでしょう。

難点を言えば、陰陽五行説の理解が難しいために、
門外漢は吉野の主張にただついていくだけになりがちだということでしょうか。
そのため、腑に落ちるというところまで達しないで、
「ふーん」という感じで終わってしまうのが惜しまれます。

 

 

 

『鎌倉幕府と朝廷〈シリーズ日本中世史 2〉』 (岩波新書) 近藤 成一 著

  • 2016.04.06 Wednesday
  • 21:56

『鎌倉幕府と朝廷〈シリーズ日本中世史 2〉』(岩波新書)

  近藤 成一 著 

 

   ⭐⭐⭐⭐

   幕府と朝廷の並立体制の成立

 

 

日本中世史シリーズの第2巻の本書は、
鎌倉時代幕府の成立から滅亡までを扱う鎌倉時代の通史です。

通史といっても題名にある通り、政治体制に焦点が集中しています。
庶民生活や鎌倉仏教については取り扱っていません。
モンゴル戦争については一章を割いていますが、
素人が全貌を知るには外交に重点がありすぎて不向きです。

新書サイズなので政治体制に限定しているのは理解できます。
そのため、買う方は自分の興味に合致しているか気にした方が良いでしょう。

鎌倉時代は幕府と朝廷の並立体制が始まった時代です。
明治になるまでこの体制が維持されるほど日本人には浸透したものです。
(現在の日本政府とアメリカ政府との関係にも影響しているかもしれませんね)

源氏将軍が三代で絶たれた後は、九条家の摂家将軍、皇族の親王将軍と続くことで、
二つの権力がダイレクトに関係を保っていたことがわかります。
面白いのは、幕府は北条家の得宗、朝廷は院政とどちらも「影」に実権があるということです。
これは僕個人の感想ですが、この構造の上位に、
朝廷の「影」で実権を握る幕府という構造が成立したのかもしれません。

本書は鎌倉時代の裁判についても詳しく書かれています。
荘園の管理は従来、荘園領主(本所)のもとで下司が行っていたのですが、
源頼朝が地頭を設置したために、下司が地頭に置き換わっていきました。
それまでは本所は下司に不満があれば解任などで解決できたのですが、
それが地頭となると幕府に訴えなくてはなりません。
そのため所領をめぐる裁判が数多く起こったようなのです。

『十六夜日記』を書いた阿仏尼が裁判のために鎌倉に向かったのは有名な話ですが、
鎌倉時代の裁判の重要性は直接に政治体制の問題に端を発したのだとわかり、
非常に勉強になりました。

その地頭の設置を朝廷が認めたことが幕府成立の基盤になったわけですが、
どうやら源義経の討伐時の期限付きの臨時処置だったみたいです。
緊急事態の一時的処置が常態化するというのは、
本当に権力者の常套手段だなと感じました。

 

 

 

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