『若い読者のための経済学史』 (すばる舎) ナイアル・キシテイニー 著

  • 2018.05.07 Monday
  • 08:07

『若い読者のための経済学史』  (すばる舎)

  ナイアル・キシテイニー 著/月沢 李歌子 訳

 

   ⭐⭐⭐⭐

   若くなくても十分面白い

 

 

イエール大学出版局のLittle Historiesシリーズの経済学にあたるのですが、

著者のナイアル・キシテイニーは学者ではなくて経済ジャーナリストなんですね。

イギリスの有名大の学者は手っ取り早い見取り図など示さないし、

イギリスのジャーナリストは広範な知識を持っていて、大学から認められるような体系的な本を書けるのだと思いました。

 

本書はトピックごとに40の短章で構成され、1章の中で経済学に関わる人物が何人か取り上げられています。

大きく見て時系列に進んでいくため、

原題はECONOMICS(経済学)でしかありませんが、「経済学史」と名付けても違和感がない内容です。

一冊で手っ取り早く経済学の流れを追いかけたり確認したりするには、

読者の年齢にかかわらず有用な本だと思います。

 

たとえば2章ではプラトンやアリストテレスが取り上げられます。

そこではアリストテレスが貨幣を交換のためではなく、

貨幣自体を増やすため、つまり利子を取って利益を得ることを批判していたことが述べられています。

 

6章ではアダム・スミスが登場します。

ここではスミスの主著『国富論』の内容をサッカーの喩えで説明しています。

サッカーでは個人の利益を追求すると全体の利益を害するので、全体の利益に貢献する選手が求められます。

しかしスミスの発想は全く逆で、人々が自分の利益を追求することで多くの人の利益になるとするのです。

サッカーには全体を統括する監督がいるが、経済にはそういう存在が見当たらないことを、

スミスが「見えざる手」と呼んだのだという説明はなかなか秀逸です。

 

10章ではK・マルクスの思想をコンパクトにまとめています。

商品を生み出す資本とは「権力」であり、財産を持つ者と持たない者との分断に依存しているなど、

教科書的な一通りの記述ではない、より身近に感じられる説明の仕方をうまく選んでいると思います。

 

16章では社会主義の中央計画経済の欠陥を、L・ミーゼスの論によってわかりやすく説明します。

資本主義では市場の価格変動によって自然と需要のある商品の生産が増えていくのですが、

社会主義ではこれをすべて政府が決めるため、非合理的だとミーゼスは考えました。

 

18章ではJ・ケインズのセイの法則批判を、浴槽とホースの喩えで説明しています。

僕は過去にセイの法則の説明をいくつか読みましたが、こういうアプローチは初めてでした。

19章ではJ・シュンペーターのイノベーションによる「創造的破壊」を取り上げて、

シュンペーターがどのように資本主義が終焉すると考えたのかが書かれています。

 

21章ではミーゼスの弟子F・ハイエクが登場します。

ハイエクは戦後の経済が資本主義と社会主義の「混合経済」と考え、

政府の経済統制が個人の自由を奪うとして『隷属への道』を書きました。

ハイエクからしたらアベノミクスなど問題外もいいところですが、

今の経済学者の多くはハイエクの考えには懐疑的であるようです。

 

アベノミクスのことを考えるなら、29章のM・フリードマンの「マネタリズム」が役立ちます。

フリードマンがノーベル経済学賞を授与されるとき、抗議者が現れて会場から閉め出されたという話は初めて知りました。

貨幣供給を増やすことでインフレ率を上げるというやり方が、短期的な効果として考えられていたこと、

M・サッチャーとR・レーガンが実行してうまくいかなかったことなどがよくわかります。

 

このような有名人以外にも、いろいろな経済学者の理論が紹介されています。

23章に登場するシカゴ大学のゲーリー・ベッカーは、経済原則を社会や人間の行動を分析するのに用いました。

たとえば、多くの時間を要する行為を「時間集約型」と呼んで、その間に働いて得られる費用によって表す方法などです。

ベッカーによって経済学は汎用性を増したのですが、一方で経済学の範囲が広がりすぎたとも言われます。

「人的資本」という考えを提唱したのはベッカーです。

 

「情報経済学」という新分野を切り開いたジョージ・アカロフが、

売り手と買い手の間に情報の不均衡があることを指摘したことを説明する33章も興味深く読みました。

読む人によって興味深い章はそれぞれ異なるかもしれませんが、

全部で40章もあるのでおもしろく感じるところに当たる確率は低くない気がします。

僕は順番に読みましたが、読みたいところを拾いながら読んでも問題ないと思います。

 

ただ、一つだけ不満を言えば、「若い読者のため」とするならば、

ソフトカバーで手軽に持ち歩ける大きさにして、価格を抑えてほしかったです。

何年後かにどこかで文庫版として出るならば、その時にはもっとオススメできる気がします。

 

 

 

『エッセー 正・徳・善― 経済を「投企」する』 (ミネルヴァ書房) 塩野谷 祐一 著

  • 2018.04.22 Sunday
  • 21:23

『エッセー 正・徳・善― 経済を「投企」する』

  (ミネルヴァ書房)

  塩野谷 祐一 著

   ⭐⭐⭐

   モラル・サイエンスとしての経済学を哲学的に考える

 

 

一橋大名誉教授で経済学者の塩野谷が、経済哲学の基本的な問題を、

短い「エッセー」という読みやすいかたちでまとめたのが本書です。

 

「正・徳・善」という書名でも想像できる通り、

塩野谷の考える経済哲学は、倫理的価値が関心の中心になっています。

経済学といえば数学的モデルの構築に熱意を燃やしているイメージが強かったので、

塩野谷の視点が少し「意外」で興味を持ちました。

 

塩野谷は3つの倫理的価値に「正」>「徳」>「善」の順位をつけていますが、

重要だと強調するのは個々の人間存在の「徳」だとします。

「正・徳・善」はそれぞれ「正義・卓越・効率」の3つの要素から成立します。

このようなあるべき理念を制度の中に定着させようとすることを、塩野谷は「経済を投企する」と表現しています。

 

塩野谷は「正」の倫理をJ・ロールズの「無知のヴェール」によって説明します。

「無知のヴェール」とは、現実社会での社会的地位や能力、知性、年齢など人々の個体差を示す情報を覆い隠し、

自分の立場を離れた公正な視点を仮定することで、

自分が社会で最も不遇な立場に置かれたとしても同意できる「正義」の原理の成立を目指す考えです。

ロールズの正義原理は社会環境による不平等のない公正な機会均等を求めるだけでなく、

社会で最も不遇な人々の便益を高める社会保障制度の構築をも要求することができるのです。

 

塩野谷の語る「徳」の倫理は、M・ハイデガーの哲学に依拠しています。

ハイデガーの死の本来性とは、死については誰にも代わってもらえない「人格の置換不可能性」を意味し、

置換できない「かけがえのない人格」を実現する生き方を「卓越」と捉えています。

これはアリストテレス以来の伝統に立ち戻る視点であって、

人間が本性を発揮して良く生きるための共同体を考えていくために必要になるものです。

 

「善」は「正」と「徳」の倫理的制約のもとで人間が追求する行為のことです。

「善」を最大にする制度が「正」であって、「善」を最大にする性格が「徳」となります。

「善」は利己心と効率性において経済活動をするわけですが、

塩野谷が主張したいのは、その経済活動が正義や卓越のもとで行われなければならないということです。

倫理観の導入により、人間的な経済というものを成立させるため、あるべき未来像を描くべきなのです。

 

アリストテレスは「家政術(オイコノミケー)」と「貨殖術(クレマティスケー)」を区別し、

共同体倫理のもとで必要な財の獲得を意味する「家政術」を重視しました。

一方で貨幣利得の獲得を自己目的化する「貨殖術」を非難しました。

このオイコノミケーはエコノミクスの語源と言われています。

倫理に規制された経済という観念はアリストテレスからスコラ哲学のトマス・アクィナスに引き継がれ、

中世の利子を禁止する教義として維持されました。

これが破壊されたのが近代ですが、18世紀には社会に関する学問はモラル・サイエンスと呼ばれて、

有徳かつ幸福な正のあり方を最高の規範としていました。

経済学を広義のモラル・サイエンスとして捉え直すために、塩野谷はJ・シュンペーターとJ・M・ケインズを取り上げます。

本書の後半ではとりわけシュンペーターのイノベーション理論が取り上げられています。

 

そのほか功利主義という訳語についての話や、セイ法則と失業問題についての話、

ソーシャル・キャピタル論についての話も興味深く読みました。

 

経済に倫理的視点を導入するという課題は、もはや果てしなき夢にも思えますが、

このような本が出版されたのは2009年という出版時期と大きく関係していると思います。

2008年のリーマンショック直後にあたるからです。

インチキな格付けを受けたCDOなどの無軌道な金融商品が暴落したことを受けて、

経済に倫理の見直しが迫られた時期であったわけですが、

あれから10年経って少しはあの時の反省が活かされているのでしょうか。

学生ローンの返済ができずに破産する人が続出していたりすることを考えると、

大枠では経済のあり方が変わったとはあまり思えません。

その意味では塩野谷のような倫理的視点は、経済学においてはいつまでも「意外」であり続けてしまうのかもしれません。

 

 

 

『お金2.0』 (幻冬社) 佐藤 航陽 著

  • 2018.02.27 Tuesday
  • 11:54

『お金2.0』 (幻冬社)

  佐藤 航陽 著

 

   ⭐⭐

   よくあるIT長者のIT万能論

 

 

佐藤は早稲田大学在学中に起業し、オンライン決算事業で年商100億円以上を実現した若きIT長者です。

経済のプラットフォームの変化に乗って、起業家として成功したのは立派ですが、

本書の内容にはそれほど感心するところはありません。

インターネット技術が社会の構造に大きな変化をもたらすという、今までにも何度も目にしたものでした。

 

本書の主眼は第2章の題名にある通り、

「テクノロジーが変えるお金のカタチ」にあります。

インターネットに代表されるネットワーク・メディアが、貨幣を物質から電子データに変えるというのです。

 

佐藤はビットコインなどのブロックチェーンで流通するトークン・エコノミーによって、

国定通貨のように国の中央管理を必要とすることなく、

企業や個人が手軽にトークンを発行して独自の経済ネットワークを形成できるとします。

 

今後、シェアリングエコノミーやトークンエコノミーも進化していくと、中央に一切の管理者が不在で自動的に回り、拡大し続ける有機的なシステムとして存在するようになることが予想されます。

 

佐藤はネットワーク・メディアによる「分散化」は経済の民主化をもたらす、と述べます。

佐藤は若いのでご存知ないのでしょうが、草創期というのは、いつもそういう気分になるんですよ。

ネットが一般化し始めたころ、同じような言説がたくさんありました。

ネットで自由な言論が生まれる、とか、より民主化が進む一般意志2.0だとか、数えきれません。

しかし、それらはすべて草創期の夢でした。

既得権を持つ者にただ技術革新だけで対抗できるはずがないのです。

(当然彼らの方がその技術革新を利用して自らの利益を拡大するからです)

 

ビットコインが国家管理を脅かしかねない広がりを見せたら、

必ず国家が規制に乗り出します。

そのとき佐藤が国家権力と貨幣の民主化を求める戦いを繰り広げるかといえば、どうせ簡単に屈するに決まってます。

国家による中央管理が自然となくなるという発想は夢物語だと感じます。

 

佐藤の言う「分散化」が起こるとしたら、それは中央管理をしのぐかたちで「拡大し続ける有機的なシステム」という擬似一神教ではなく、

ローカルな領域に多数形成される多神教的なシステムでなければ話が合いません。

一神教的なシステムと中央管理は絶対に切り離せません。

つまり、ビットコインのようなものが国定通貨を脅かすためには、

ある程度以上に拡大しないローカルなトークンが、複数並立して存在する必要があるのです。

 

佐藤の言う「分散化」とは特定の管理者が存在せず、ネットワーク内で自律的に運用されることのようですが、

問題なのは「全体性」を志向することを手放していないことです。

佐藤は「自律分散」ということを説明するところでこう言っています。

 

「自律分散」とはあまり聞き慣れない言葉ですが、全体を統合する中枢機能を持たず、自律的に行動する各要素の相互作用によって全体として機能する仕組みと定義されています。

 

このように、「全体として機能する」ことが目指されているのです。

これでは分散化されているのは権力の在処でしかありません。

僕には株主資本主義とあまり変わりがない仕組みに思えます。

 

しかし、思い出してください。

権力を特定の一者ではなく、多くの同志によって分散化する仕組みって何か思い当たりませんか?

そう、ソヴィエトです。

ソヴィエトは特定の一者に権力を集中せずに、労働者議会のメンバーによる共同統治を目指し、権力の分散化を目指しました。

その結果どうなったでしょうか。

村ソヴィエトが拡大し、最高ソヴィエトとして国家権力へと移行して、

官僚制をベースとしたスターリンという独裁者を生んだわけです。

権力を分散化しても、全体化を手放さない限り、中央集権として機能するのは歴史が証明しています。

(佐藤のギロチンが市民の娯楽として用意されたという記述を読んでも、彼が世界史の教養に乏しいことはよくわかりますが)

 

第3章で佐藤は資本主義から「価値主義」へと社会が転換するとか書いています。

こんなことを書くくらいなら、先に『資本論』を読んで勉強した方がいいと思いました。

貨幣こそが価値を創造し可視化してきたものですよ。

佐藤の主張していることは資本主義の乗り越えでは全然なく、

貨幣を不可視化して「価値」そのものを焦点化する「資本主義1.2」でしかありません。

お金にカタチがなくなるだけで、お金が必要なくなる社会になる話ではないのです。

 

佐藤は内面的価値がこれから重要になる、などと言うのですが、

結局その価値とは多くの人に共有されるものであることが大前提です。

たくさんのフォロワー、たくさんの「いいね」のことを価値と言っているだけです。

そんなものはその人の商品価値が高いというだけです。

佐藤は「他者からの注目」が貨幣換算が難しい価値だと書いていますが、

むしろ、そういう「社会的」な要素を価値として可視化したのが貨幣なのです。

佐藤は価値によって多くの人に影響を与えることが、お金をたくさん持っているより良い、という論法でくるのですが、

多くの人にネットで影響を与える人はたいていお金も持っているはずだと思うのですが、違うのでしょうか?

誰にも共有されない内面的価値が金になりますか?

佐藤は「価値」という言葉でその裏側をごまかし続けています。

 

この本はIT長者をさらに長者にするための本です。

(僕も貢献してしまいました)

読んだあなたは中身のない甘い言葉に酔って、「これから新しい時代が来るんだ」といい気分になる以外に得るものはありません。

 

本書でひとつだけ良いことを書いていると思ったところがあります。

 

内面的な価値が経済を動かすようになると、そこでの成功ルールはこれまでとは全く違うものになり得ます。金銭的なリターンを第一に考えるほど儲からなくなり、何かに熱中している人ほど結果的に利益を得られるようになります。つまり、これまでと真逆のことが起こります。

 

金銭のリターンを動機にしていると支持されず、そのものを追求する方が評価され、

「結果的に」利益が得られるというのは真理です。

ただ、これは「これまでと真逆」では全然なく、これまでもそういう人や会社が成功してきました。

これは新しいルールではなく、資本主義の基本ルールなのです。

ただ、不況下になると、このような基本ルールを守れない会社が増えてくるだけのことです。

 

まあ、佐藤の認識はともかくとして、この部分の内容に限ってはそのとおりだと思いますので、

金銭的リターンばかりを考えている企業がどんどんと淘汰される社会を僕も望んでいます。

 

 

 

『消費大陸アジア: 巨大市場を読みとく』 (ちくま新書) 川端 基夫 著

  • 2017.09.12 Tuesday
  • 17:50

『消費大陸アジア: 巨大市場を読みとく』 (ちくま新書)

  川端 基夫 著 

 

   ⭐⭐⭐⭐

   その土地の「価値づけ」を探ることが成功の鍵

 

 

日本企業がアジア市場に進出していくときに、
日本の商品をそのまま世界へ持ち出す「標準化」をするか、
現地のニーズに応えた商品へと転換する「適応化」をするかという中で、
企業は適応化を重視する流れへとなっているようです。

それに対し川端は現地の人がその商品をどう「価値づけ」するかが大切だとします。
同一の商品でも、土地によって人々が認める価値は異なります。
本書ではその実例が豊富に紹介されています。
たとえばポカリスエットは日本ではスポーツや入浴後の水分補給という「価値づけ」(要は商品イメージ)がなされますが、
インドネシアではデング熱発症時の治療用として現地に受け入れられました。
中国人がイメージする「日本の味」は、醬油味ではなく豚骨であって、
豚骨ラーメンこそが日本ブランドとして「価値づけ」されているのです。

このようなギャップの実態を経験的に知るだけで僕は面白いのですが、
川端は市場論の研究者なので、この現地とのギャップを「地域暗黙知」として、
理論化して提示することに主眼があるようです。
そのため、川端はいろいろな専門用語(「フィルター構造」「市場のコンテキスト」など)を編み出してくるのですが、
一般人にはその辺りは面倒に感じるだけかもしれません。
僕は正直にいって、そんなにたいそうな用語を用いるほどの内容ではないと感じてしまいました。

ただ、実際のアジア市場の具体的な話は非常に面白く、
川端はそれを文化論ではなく「地域暗黙知」の研究だとするわけですが、
それが現地の文化や現地人が何を価値と考えるかを知ることにつながることは間違いありません。

アジアの途上国では大型ディスカウントショップが小売店を圧迫するのではなく、
小売店の仕入先となって共存することになっているとか、
客が自分の目で食材などを確認できる屋台が、熱帯地方では合理的であるとか、
アジア市場では家電購入などはローンが当たり前になっているため、
中間層が所得以上の購買力を持っているとか、
日本を相対化するのにも役立つ情報が得られます。

川端は最後に「各市場に存在する地域暗黙知の次元の研究こそが、究極の市場研究になるといえる」
と述べて本書を終えるのですが、それが究極であるかといえば怪しさを感じないではいられません。
「地域暗黙知」も時代の変化にさらされるはずなので、
なんとか理論化したとしてもギャップが完全に埋まるとは思えません。
現地に進出して実地経験をもとに試行錯誤を繰り返せばいいのではないでしょうか。

 

 

 

評価:
川端 基夫
筑摩書房
¥ 841
(2017-09-05)
コメント:『消費大陸アジア: 巨大市場を読みとく』 (ちくま新書) 川端 基夫 著

『資本主義の終焉、その先の世界』 (詩想社新書) 水野 和夫/榊原 英資 著

  • 2016.02.07 Sunday
  • 19:55

『資本主義の終焉、その先の世界』 (詩想社新書)

 水野 和夫/榊原 英資 著

 

   ⭐⭐⭐⭐

   大きな課題

 

 

『資本主義の終焉と歴史の危機』でヒットを飛ばした水野和夫と、
元大蔵官僚で「ミスター円」と呼ばれた榊原英資の共著です。

題名では「資本主義が終焉」という言い方をしていますが、
正確には「資本主義の限界」というべきかもしれません。

資本主義は成長のために周辺(フロンティア)を必要とします。
フロンティアがほぼ消滅し、
人口減少によりインフレも期待できず、
ゼロ金利が現実化している状態は、
近代の資本主義が機能不全に陥っていることを示しています。

水野はその経緯を超マクロ的に語り、
榊原は実務家らしく多くのデータによって示しています。
ただ、二人の論考は軽い読み物程度のものなので、
概要を知る以上のことを求めるのには向きません。
短いですが、最後に二人の対談があるのが見所です。

水野の主張していることで印象に残ったのは、
これまでの近代資本主義が「より遠く、より速く」を求めていたが、
これからは「より近く、よりゆっくり」に
成長のない社会へと移行していくべきだということでした。

ゆず(北川悠仁)がデビュー曲「夏色」のサビで、

 この長い長い下り坂を 君を自転車の後ろに乗せて
 ブレーキいっぱい握りしめて ゆっくりゆっくり下ってく

と歌ったのが1998年。
そのとき僕は若者が「ゆっくり」衰退社会を生きる発想を、
無意識に肯定したのだと感じたものでしたが、
そのゆずもいつの間にかテレビ出演に勤しむようになり、
「希望」という曖昧な語を歌詞に用いる存在になっています。

もはや「ゆっくり」を実現する方が大変なのかもしれません。

 

 

 

『信じていいのか銀行員 マネー運用本当の常識』 (講談社現代新書) 山崎 元 著

  • 2016.01.25 Monday
  • 18:30

『信じていいのか銀行員 マネー運用本当の常識』

 (講談社現代新書)

 山崎 元 著 

   ⭐⭐⭐

   銀行員を問題にするだけでいいのか?

 

 

2016年明けて間もないというのに、株価が急降下。
週6日働いて貯めた1年間の貯金額以上の金を、数週間で失いました。
その失敗を考えていたら、この本を買ってしまいました(笑)

僕は銀行員の勧める投資信託を買っていたので、
著者の言葉がいちいち胸に突き刺さりました。
たとえば、銀行で売る投資信託はダメな商品ばかりだ、
銀行員と会ってはいけない、など
「ああ、僕はダメなことをしていたのだ」と反省しきりでした。

著者の山崎は金融関係の仕事を転々としてきただけあって、
豊富な金融知識で素人の陥る罠に注意を促しています。
その上で、あるべき投資の仕方をアドバイスしているのですが、
要は銀行は手数料を取り過ぎているので、手数料の少ないネット証券に口座を開け、
ということでした。

現在の山崎は楽天証券に勤務しているので、
結局は自社宣伝じゃないか、と思う人がいるのは理解できます。
ただ、僕が問題にしたいのは別のことです。

インデックス・ファンドや10年物国債が筆者のおすすめ商品のようですが、
それでも今回のような暴落ではどうにもなりませんよね。
こういう事態は銀行員を信じる信じないではどうにもなりません。
金融など、すべてが不透明な予測に基づくものですから、
手数料が低かろうが不透明な商品を売っていることに変わりはありません。

家電製品などは、買ってすぐ使えなくなれば交換します。
金融商品はすぐに損したからといって交換はできませんよね。
だから僕は金融はバクチだと思っています。
商品と言いながら、その品質はかぎりなく不透明であるというのが、
金融商品の本質ではないでしょうか?

そもそも不透明な品質の商品を売るのですから、
そのセールスマンが信用できないのは当然です。
つまり本来は「信じていいのか金融商品」という本を書くべきだと思うのです。

この本を読んで胸に去来した疑問がありました。
1年分の稼ぎがすぐに消えてしまうような投資というものは、
僕のようにたいした稼ぎのない人間がするべきことなのか、という疑問です。
老後の資金を運用する人も同様です。
「資産を守る」という発想なら、投資はやめた方がいいのではないでしょうか。

問題は、それまで元金を守ってきた銀行という商売が、
「あるとき」から突然不透明な商品を顧客に売り始めたことにあります。
年配者にはそれまでの信頼できる銀行というイメージがありますから、
銀行員の言うことを信じてしまうのでしょうし、それは責められません。

NISAとか不透明な名称で煽って、不透明な商品を売る。
商売を変えたのなら、看板も掛け替えればいいのです。
証券は証券会社、預金は銀行という方がわかりやすかったですよね。

ただ銀行員が信用できないという話にすると、
なんだか人間性の問題に思えてしまいます。
「私の担当の人はいい人だから」とか思う人もいるかもしれません。
それは問題の矮小化ではないでしょうか。

それよりも、
「あるとき」から銀行自体が変わってしまったことを説明する方が、
現在の状況を啓蒙することに役立つと思うのですが、
どうして山崎はそうしないのでしょうね。

 

 

 

『資本の世界史』 (太田出版) ウルリヒ・ヘルマン 著

  • 2015.11.20 Friday
  • 08:39

『資本の世界史』 (太田出版)

  ウルリヒ・ヘルマン 著/猪股 和夫 訳

 

   ⭐⭐⭐⭐

   出費こそが資本の勝利を導く?

 

 

ドイツの元銀行員だった経済ジャーナリストが書いた本です。
本国で読みやすいという評判があったようなので、
手にとってみましたが、実際に読みやすく感じました。

資本主義がどうして中国で成長せず「よりによって」イギリスで隆盛したのか、
という興味深い話から本書は始まります。
ヘルマンはそれをイギリスの賃金が高いことによって説明します。
人間を雇う賃金が高いために、機械化を進めるしかなかった、というのです。
ヘルマンいわく「資本主義を駆動するのは低い賃金ではなく、高い賃金なのです」

またイギリスの貴族が企業家として投資に力を入れていたことも語られます。
この辺りの考察はラストのドイツ経済への提言にリンクしている気がします。
ヘルマンはドイツ人が貯蓄を好んでいることを問題視していて、
投資にもっと積極的であることを求めているからです。

また、ドイツは賃金を上げるべきだとも主張しています。
そうしないと商品を買う者がいなくなるという理由ではありますが、
ここにもイギリスから学ぶことがあったのかもしれません。

第2部では市場経済は虚構だという主張がなされます。
その意図はミルトン・フリードマンなどの新自由主義への批判にあるようです。
新自由主義は国家の介入を嫌いますが、
ヘルマンは経済成長には国家の力が欠かせないと考えています。

グローバル経済になっても国家の支出が成長の鍵だと語るヘルマンは、
借金をしてでも国家の支出を増やすよう提言します。
僕には彼の結論が妥当なのか判断できませんが、
それが正解なら日本は成長へ向けて王道を歩んできたのかもしれません。

彼は経済危機の中で資産を守る方法についても語っています。
金融危機が起きたらどうやっても資産を守るのは難しいので、
金融危機が起きないように回避に全力を挙げろというものです。
(そりゃそうですが、なんか腑に落ちません)
結果、貯蓄より投資を推奨し、
国家にも賃金上昇と財政支出を促します。

要は金は使うものということでしょうか。
この本の原題は「資本の勝利」だそうなので、
資本の視点で書かれた結論なのだろうと納得しました。

 

 

 

評価:
ウルリケ・ヘルマン
太田出版
¥ 2,700
(2015-10-15)

『金融史の真実: 資本システムの一〇〇〇年』 (ちくま新書) 倉都 康行 著

  • 2014.06.05 Thursday
  • 07:05

『金融史の真実: 資本システムの一〇〇〇年』

  (ちくま新書)

  倉都 康行 著

   ⭐⭐⭐

   金融史から現代の危機を考える

 

 

題名はいかにも金融史の本という感じですが、
それは第1部だけで、あとの2部は現在の資本システムの考察です。

筆者は金融史を大きく民間資本と公有化の交代と捉え、
現在を第三期公有化の時代と位置づけます。

金融機関への公的資金投入、住宅金融の国有化などに加え、
量的緩和への依存も公有化の特徴となります。

資本システムは金融危機を乗り越えることで強化されてきた、
というのが倉都の見方です。
ナシム・タレブの主張する「アンチ・フラジャイル」と同様に
システムを鍛えるには危機がそれなりには必要だとし、
景気低迷を嫌う成長主義や過剰なリスク管理が、
逆に資本システムを脆弱にしていると言います。

つまりは民間資本がリスクを計算して金融資本を運用するのが、
あるべき姿だということなのでしょう。

その意味で、倉都の懸念は先進国(特に日本)の国債にあるようです。
国債の購入がもはやエンドレスなゲームと化している現在、
人々の危機意識も麻痺しかけていますが、
依然として国債市場の混乱が大きなリスクであるのは間違いありません。

それに対する秘策として、
国債償却案や金融抑圧案や国債のエクイティ化(返済期限なし)が紹介されますが、
現実性に乏しいという結論でしかありませんでした。

結局、金融史1000年を概観した倉都の結論は、
ここまで無防備に積み上げた負債の修復コストは払わざるを得ない、
という苦いものでした。

残念ながら僕にも妥当な結論に映ります。

 

 

 

『変わった世界 変わらない日本』 (講談社現代新書) 野口 悠紀雄 著

  • 2014.04.24 Thursday
  • 16:16

『変わった世界 変わらない日本』 (講談社現代新書)

  野口 悠紀雄 著 

 

   ⭐⭐⭐⭐

  保守とは問題の先送りでしかない

 

 

テレビによって「アベノミクス」という言葉が一人歩きしていますが、
本当にみんな内容がわかってんのかな、と疑問を感じることがあります。
(「集団的自衛権」もそうですが)

この本で野口はアベノミクスが効果的でないと批判します。
その理由を、1980年代からの世界経済の変化をたどりながら、
広い視野で説明してくれます。

 

現状のアベノミクスは、
日銀にお札をじゃんじゃん刷らせて(量的緩和)、
円安と株価の上昇をもたらしています。
(野口によると円安は別の要因であるようですが)

しかし、それが実体経済の改善につながるかというと、
非常に難しいと野口はいうのです。

90年代以降、世界経済は流動性の高い英米型が優位となった上に、
中国の製造業が台頭してきたことで、
かつての日本型経済が通用しなくなっている、
つまり、世界経済の変化に日本が対応できていないことが、
長期にわたる経済不振の理由だというのが野口の見方です。

日本は変化に対応して産業の基本構造を変えるべきであるのに、
保守的な発想でそれを避け続け、
安易な(痛みの少ない)金融政策(アベノミクス)で一時しのぎを続けています。

野口の主張には目新しいものは全くありませんでしたが、
これは悪いという意味ではなく、
当たり前のことを言っていて納得できたということです。

たとえば、野口は量的緩和がマネタリーベース(日銀が発行したお金の総額)を増加させても、
マネーストック(実際に経済活動で動いている金額)を増やさないため、
実体経済の改善に役立たないと説明しますが、
このような量的緩和批判は、
かつて自民党の塩崎恭久が日銀の量的緩和を批判したときに、
僕が耳にした説明と同じです。

(ちなみに、塩崎は第1次安倍晋三内閣の官房長官で、
安倍と同期だったため「お友達内閣」と揶揄されましたね。
その塩崎が批判したことを安倍がやっているのは皮肉です)

野口は日本がモノづくりで復活するのは不可能だといいます。
だとしたら、
変化への対応をやり過ごし、
製造業を圧迫する中国を悪とみなして、
問題の本質をごまかす、という保守の発想が理解しやすくなります。

保守的で現状を否認する量的緩和だけではなく、
野口が言うような、
「痛みを伴う」経済的な構造改革が行えるかどうかで、
安倍の経済政策を評価するべきでしょう。

 

 

 

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