『40歳からの「認知症予防」入門 リスクを最小限に抑える考え方と実践法』 (ブルーバックス) 伊古田 俊夫 著

  • 2016.11.18 Friday
  • 22:06

『40歳からの「認知症予防」入門 リスクを最小限に抑える考え方と実践法』 (ブルーバックス)

 伊古田 俊夫 著

   ⭐⭐⭐

   40代向けとはいえない

 

 

僕は40代なので、「40歳からの」という釣り文句に誘われて購入しました。
2025年には3人に1人が高齢者となり、深刻な医師不足も懸念されています。
国家が医療費の削減に勤しんだり、TPPで薬代が上がったりすると、
もはや病気になっても満足な医療を受けるのは難しくなるかもしれません。
そうなると、病気にならないよう予防することが大事になってしまうのです。

本書はまさに予防をテーマとしているわけですが、
1章2章は認知症予防のために何をすべきかが書かれていましたが、
3章の予防のための運動は高齢者がやるようなものが紹介されていましたし、
4章以降は完全に高齢者向けの内容で、実際のところ40代向けといえるのは半分以下という感じです。

伊古田は認知症は治せないが、発症を遅らせることはできると言います。
遺伝的要素もあるのですが、半分は生活習慣に影響されるようです。
そのため、実際の予防策は脳卒中の予防など成人病の予防が効果的ということで、
ごくごく当たり前の健康的な生活が推奨されます。

塩分制限、喫煙をやめる、アルコールを控える、十分な睡眠、適度な運動などは、
とりたてて本書を読まなくてもわかるようなことに思えます。
特に40代はいわゆる働き盛りで生活に余裕がないので、
わかっていても十分な睡眠はとれず、適度な運動もできず、外食をしてしまいます。
伊古田にはそのような浮世の生活がわからないのか、
単に医師の立場から当然のことを言うだけなのであまり参考になりません。

要するに、余裕のある慎ましい生活をするべきだということです。
まずは適度な金持ちになって過剰労働から解放されることが必要だということでしょう。
「40歳からの」と言うのならば、40代のリアルな生活を考えて執筆してほしいと思いました。

 

 

 

『不要なクスリ 無用な手術 医療費の8割は無駄である』 (講談社現代新書) 富家 孝 著

  • 2016.11.10 Thursday
  • 22:00

『不要なクスリ 無用な手術 医療費の8割は無駄である』

  (講談社現代新書)

  富家 孝 著

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   視野が広くて非常に参考になる

 

「医療費の8割は無駄である」とアオる副題がついているので、
過激で一面的な内容ではないかと疑うところもあったのですが、
著者が病院経営をしていた医師であり医療ジャーナリストだけあって、
専門的な知識が豊富な上に視野も広くて、しっかりした良書でした。

先頃僕は父を亡くしたのですが、医療費の支払いの多さには辟易しました。
65歳以上の年間医療費は70万と書かれていますが、これからさらに増える見込みもあります。
僕はまだ40代ですが、薬や保険、人間ドックなどについても書かれているので、
本書を興味深く読みました。

第2章では病院経営の視点から、医者や病院の稼ぎ方が書かています。
そこでは悪い医師や病院がどのような手を使うかも紹介されています。

第4章では生活習慣病の薬について飲み続けるべきかを考察します。
著者の富家自身が自らの服用薬を明らかにしているのも信頼できますし、
僕の父も降圧剤でトラブルを体験したことがあるため、話がよくわかりました。

第5章ではがんの治療費について触れています。
5大がんの治療費は約50〜70万円で、それほどではないとのことです。
(まあ、一度ですめばというところではあると思いますが)

第6章では部位別にがんの10年生存率を見ていきます。
それとともに、どのがんに手術が必要か考えるのですが、
それは不要な手術をしたためにかえって命を縮めることがあるからです。
僕の父も直腸がんの再発のときに手術をするか判断に悩みました。
手術に踏み切ったことがよかったのかどうか、今も時々考えます。

章末にあるコラムも非常に充実しています。
がん検診をどう受けるべきか、歯の治療やインプラントなどについて、
専門的な視点からフェアに書かれているように感じました。

第8章では終末医療について触れていきます。
「死に方」について考えることが重要だというのは、
多くの人がすでに感じ始めていることではないかと思います。

僕の印象に残ったのは、がんで死ぬことは幸運だと富家が述べたところです。
がんは老化現象なのだから、ある程度の年齢でがんと診断されても落ち込む必要はない、
むしろ今後どうがんとつきあっていくかを考えるべきだと彼は言います。
がんの発見によって、人生最期の過ごし方を考えることができる、
その点でがんになることは幸福と捉えることもできるというのです。
なるほど、と感銘を受けました。

 

 

 

『死すべき定め――死にゆく人に何ができるか』 (みすず書房) アトゥール・ガワンデ 著

  • 2016.08.28 Sunday
  • 08:04

『死すべき定め   死にゆく人に何ができるか』

  (みすず書房)

  アトゥール・ガワンデ 著/原井 宏明 訳

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   医学は終末期と向き合えるか

 

 

著者のガワンデはハーバード大学教授ですが、現役の外科医でもあるので、
現代アメリカの医療現場をよく知る人です。
「ニューヨーカー」誌のライターとしての活躍し、
すでに評価を得た著作もあり、非常にすぐれた書き手です。

本書は医学的に完治する見込みのない終末期患者が、
自らの充実した生活を持続するためにどのように苦闘し、
どのような挫折を味わいながら亡くなっていったかのルポになっています。
最後にはガワンデ自身の父親(彼も医師)の終末期の苦闘が生々しく描かれ、
父を看取る息子という視点から問題が捉えられているために、
自然と読む者の心を揺さぶってきます。

表面的には終末期患者のルポというかたちで読むことができますが、
ガワンデが本書の随所で投げかけている問題提起は明らかです。

 現代の科学技術の能力は人の一生を根本的に変えてしまった。
 人類史上、人はもっとも長く、よく生きるようになっている。
 しかし、科学の進歩は老化と死のプロセスを医学的経験に変え、
 医療の専門家によって管理されることがらにしてしまった。そ
 して、医療関係者はこのことがらを扱う準備を驚くほどまった
 くしていない。

医療の発達によってわれわれは病気は治るもの、治すものと認識するようになりました。
それが「死」を不可視にし、「絶望」の先延ばしとして現れます。
しかし、「死」はやはり人間の「定め」なのです。

ガワンデは西洋医学が病気の治療だけを対象とし、
避けられない死を前にしても患者に治療の努力を強いることで、
かえって患者を死に至るまで苦しめることになっていく現状を、
変わりつつあるものとして捉えています。

 新しいやり方は、どうやって死すべき定めに直面するか、忠誠
 と個人の尊厳を伴う有意義な人生の細い糸をどうやって保つか
 を、みなが一緒になって考え抜くことである。

本書ではナーシングホームという寝たきり患者の介護福祉施設が、
いかに患者の自由を損なっているかについても詳しく書かれています。
その改革の試みについても触れていますが、問題は簡単ではありません。
現状ではホスピス治療が患者にとってマシな選択肢ですが、
それも身近なものとは言いがたいのではないでしょうか。

個人的なことですが、僕は3年前に母を、先月に父を癌で亡くしました。
本書は父が死の間際に読んでいた本でもあります。
母が難しい部位の癌治療を強行して副作用による死を迎えたため、
父は体調悪化を感じると早々と抗癌剤治療を中止しました。
(両親に関しては抗癌剤の効果はまったく実感できませんでした)
最期は緩和ケア病院へ入院しましたが、そこに入るのも大変でした。
(父は緩和ケア病棟の順番待ちをしている間に一般病棟で亡くなりました)

現代社会は消費の欲望を喚起するために、
楽しいことばかりを前面に押し出し、「死」を見えない領域に追放しています。
そのため、「死すべき定め」という本来は人類全体に背負わされた原罪を、
死に直面した一部の人々だけに負わせすぎているのではないでしょうか。

ただ死んでいくだけの存在はもう労働力としては期待できない、
という資本主義社会の事情に引きずられて、
僕たちは自分自身の「定め」を見失ってはいないでしょうか?
ガワンデ一家のルーツはインドにあり、ガワンデの父の遺骨の一部はガンジス川に散骨されました。
西洋外部の価値観に連なるガワンデだからこそ、西洋医学の問題点を指摘することができたのかもしれません。

 

 

 

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