『トム・ストッパード(4) アルカディア』(ハヤカワ演劇文庫43) トム・ストッパード 著

  • 2018.03.08 Thursday
  • 12:39

 『アルカディア』(ハヤカワ演劇文庫43)

  トム・ストッパード 著/小田島 恒志 訳

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   即座に二度読みした深い作品

 

 

ストッパードはチェコ生まれですが、ナチスから逃れてイギリスに移住した経歴を持ちます。

映画『恋に落ちたシェイクスピア』の脚本も彼が担当したものです。

作品が知的で難解なため、テーマがどこにあるのかわからなかったりするのですが、

人物や台詞が魅力的でグイグイと読み進んでいけます。

 

僕は週6日労働のため演劇を観に行く時間がなかなか得られません。

演劇ファンですらない素人読者です。

ハヤカワ演劇文庫で出ているストッパードの作品はすべて読んでいますが、

舞台は一度も観ることができていません。

そのため、読みながら自分の脳内で舞台を再現しています。

 

本作はある貴族の館を舞台にしていますが、2つの時代を行き来する構成になっています。

ロマン派の詩人バイロンがその館に滞在した19世紀初頭と、

バイロンの周辺人物を研究する研究者や作家がその館を訪れている現代。

観客は2つの時代をめぐりながら、過去の出来事を現在の舞台上の人物とともに謎解きをしていきます。

 

過去場面ではバイロン本人は肉体として舞台上に登場しません。

館の持ち主であるカヴァリー伯爵の娘で数学の天才トマシナと、

その家庭教師で女好きのセプティマスを軸に、

館に呼ばれた植物学者で詩人のチェイターと庭師のノークス、トマシナの母などが出てきます。

劇はトマシナがチェイター夫人の不倫話をセプティマスに始めるところから始まるのですが、

その不倫相手が実はセプティマスで、それを知ったチェイターが決闘を申し込みに飛び込んできます。

この出来事が現代場面に持ち越されていくことになります。

 

現代場面では館の主であるヴァレンタイン・カヴァリーのところに、

この館の庭にある隠者の庵に住んでいた人物を研究する作家ハンナが滞在しています。

そこにチェイターのことを調べにきた伊達男バーナードが現れます。

ヴァレンタインの妹クロエはバーナードを気に入り、その弟で寡黙なガスはハンナを思慕しているという関係です。

情熱家バーナードと冷静なハンナは意見が対立しがちで、ヴァレンタインは科学者の立場に立っています。

 

バーナードはバイロンがチェイターと決闘して殺したと考えています。

ただ、観客はチェイターが決闘を申し込んだのがセプティマスだと知っていますので、

その後の展開がどうなったのかが気になってきます。

トマシナが書き残した方程式をヴァレンタインが解明していくあたりもミステリアスな展開になっています。

 

「訳者あとがき」で小田島恒志が指摘しているように、

この作品はエントロピーの増大をテーマのひとつとして取り扱っています。

劇では過去と現在が交互に展開するのに、舞台となる部屋に置かれた小物は2つの時代を通じて増え続けます。

ストッパードはこのようなエントロピーという不規則性の増大と、芸術が古典主義からロマン主義へと移行する過程を重ねます。

過去パートにノークスという庭師が登場するのも、

イギリス庭園がフランス的幾何学図式と異なる不規則性(ピクチャレスク・スタイル)を重視していたことを関連させたいからでしょう。

 

ストッパードは規則的・可逆的なニュートン力学を神の象徴と捉え、

熱力学に属するエントロピーによって世界が不規則的・不可逆的であることを示すのですが、

この劇に感動を呼び起こされるのは、エントロピーを生み出す熱を人間の情熱へと読み替えているからです。

バーナードの遠い過去の事実を知りたいという情熱、トマシナのセプティマスを恋い慕う情熱、

これらが不規則性を生み出していく要因だとストッパードは暗に示しています。

(ここには示しませんが、注意深く読めば台詞に根拠をみつけることができます)

 

残念ながら、バーナードもトマシナもその情熱のために破滅の運命をたどることになります。

しかし、『アルカディア』は決して悲劇でも喜劇でもありません。

この短期的な失敗も長い人間の歴史の中で引き継がれ、道を成すというのがストッパードのメッセージです。

彼は劇中でセプティマスにこう言わせています。

 

我々は何かを拾うと何かを捨てる。両腕いっぱいに荷物を抱えて歩く旅人のように。そして私たちが捨てた物は後から来る誰かが拾います。道は長いが人生は短い。私たちは道の半ばで死んでしまう。しかし、何一つ道からはみ出すことはない、だから失われるものは一つもありません。

 

不規則な情熱によって何かを失っても、それを後から来る人が拾ってくれる、

そのため、われわれは道を踏み外すことも、何かを失うこともない、

この美しいテーマが劇のまとめに置かれるのではなく、中盤より前にあるのが憎いところです。

僕は本書を読み終わってすぐに二度目の読みに取りかかったのですが、

最初に読んだときはこのセリフに注目できませんでした。

 

トマシナを失ったセプティマスは誰にも知られない隠者となりますが、

時を経てそれをハンナが後から拾っていることになります。

 

劇の後半は2つの時代が舞台を変えずに同時に展開していきます。

ラストは時代を超えてトマシナとセプティマス、ガスとハンナの2つのカップルが同時にダンスを踊る美しいシーンで幕を閉じます。

時間の不可逆性を超えて一致を見る瞬間、道を踏み外さず失われるものない境地、これぞアルカディア(理想郷)というところでしょうか。

 

ストッパードは科学を扱いながら、演劇の芸術性でそれを超えてみせます。

科学が専門のヴァレンタインにも、ストッパードはこのようなことを言わせています。

 

予測できないことと予め決まっていることが一緒になって展開して、何もかも今ある状態になっていく。こうして自然は自らを創り上げている、それもあらゆるレベルで──ひらひら舞う雪も、吹雪も。そう考えると僕は幸せを感じるんだ。最初の、何も分かっていなかった頃に立ち返るみたいで。

 

神の意志と人間の不規則性が一緒になって形成されるのが自然だとヴァレンタインは考えます。

考えてみれば、演劇というのもそういうものかもしれません。

作者の意志と役者の不規則性によって構成される舞台、それが演劇ですから。

機会があったら一度この舞台を実際に見てみたいと思いました。

 

 

 

『能 650年続いた仕掛けとは』 (新潮新書) 安田 登 著

  • 2017.09.24 Sunday
  • 09:14

『能 650年続いた仕掛けとは』 (新潮新書)

  安田 登 著 

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   能にチョット興味がある人にピッタリ

 

 

僕自身は能楽堂に何度か能を見にいったことがある程度で、
とりたてて能のファンではありません。
(なぜか世阿弥の『風姿花伝』は読んだことがあるのですが)
たいした知識もなく見ていたので、心地よいトランス感と眠気の間を行ったり来たりした覚えがあります。
本書はそんな素人同然の人に向けられて親切に書かれているので、
予備知識などなくても安心して手に取ることができると思います。

本書には「組織づくりに役立つ」「健康長寿になる」など、能でなくても良さそうな効能も多少は書かれていますが、
ほとんどの内容はしっかりした能という文化の紹介になっています。
能という閉鎖的な世界に生きる人の話は難しそうに思えますが、
筆者の安田は高校教師から能楽師へと転身した経歴を持つので、
わからない人に教え伝えることが非常に上手いようです。

まず第二、三章で能の歴史をさらいます。
世阿弥が後継者問題で苦労したこと、
能の詞章を謡う「謡(うたい)」が江戸の庶民に親しまれたこと、
明治維新が能の最大の危機であったことなど、
なかなか興味深い能の歴史がスラスラと読めます。

第四章は能の基本的な仕掛けが紹介されています。
能のレパートリーから「序破急」という能の構造や能面について、
能楽堂の図解なども載せられています。
舞台の周囲に玉石がひかれた「白州」は能楽堂が外にあったことの名残りであるとか、
演者が入退場する通路である「橋掛り」は、世阿弥の時代は斜めでなく奥にまっすぐについていたとか、
能楽堂自体の中にも歴史があることがよくわかります。

僕がはじめて能を見にいった時、舞台を4本の柱が囲っているのを見て、
どの角度から見れば柱が邪魔にならないのかを考えた記憶がありますが、
安田によると4本の柱によって周囲を囲まれた能舞台の構造は、
神域の象徴であることを暗示していて、
そこに立つ役者を神の化身として人々に見せるというのです。

僕が面白いと思ったのは、
天気やそれに伴う客の状態によって演じ方を変えるという能の方法論が、
楽器のしくみによって自然と実現できるようになっているということです。
大鼓と小鼓はそれぞれ得意とする気候が違うため、気候によってどちらの音が中心になるかが自然と変わります。
晴れた日には大鼓がよく響き、それが全体の進行をゆっくりにしますが、
雨天や曇天や夜には小鼓が軽快にリズムを刻み、スピードが速くなります。
こういう自動化されたシステムで能は観客と寄り添っているというのです。

第六章では能が夏目漱石や松尾芭蕉に与えた影響を掘り起こします。
安田は芭蕉の『おくのほそ道』が能と同じく敗者への鎮魂を目的としていたと考えます。
『おくのほそ道』がRPGであり、芭蕉が「ワキ」として旅をすることでパラレルワールドが出現するなどという記述は、
正直読んでいてイマイチ理解できない感じがしました。

第七章「能は妄想力をつくってきた」で安田は、
能が自らの妄想力で「見えないものを見る」という「脳内AR(拡張現実)」だと述べます。

 あの簡素な能舞台こそが、「見えないものを見る」装置として最適な
 のです。いま自分の目に見えているものに、幻の風景を重ねる。この
 目的のためには、枯山水と同じく背景はなるべく単純な方がいい。だ
 から、あるのは松だけです。そして、能舞台はそのためにある。もし
 くは、そのために邪魔なものが「ない」。

僕にはここで書かれている「脳内AR」こそが、文学や俳句との共通点であるように思えます。
ただ目に映るものを見せるなら映像文化で十分でしょう。
しかし、目に映るものが同時に大事なものを隠してしまうことがあるのです。
(もちろん、神が目に見えないことは言うまでもありません)
簡素なものを借りて「見えないものを見る」ことを日本人は大切にしてきました。
「個人的には、本来日本人が持っていた脳内ARの力、妄想力が弱くなってきている気がします」と安田が語るように、
視覚文化の専制によって、このような文化が忘れられてしまっています。
単に妄想力なら失われても問題ありませんが、
このような「見えないものを見る」想像力は共感力つまりは倫理にも関係するものだと僕は思ってます。
能で社会の方向性が変わるとは思いませんが、せめてこのような文化が失われないことを願っています。

 

 

 

評価:
安田 登
新潮社
¥ 821
(2017-09-14)
コメント:『能 650年続いた仕掛けとは』 (新潮新書) 安田 登 著

『タロットの秘密』 (講談社現代新書) 鏡 リュウジ 著

  • 2017.05.14 Sunday
  • 07:26

 『タロットの秘密』 (講談社現代新書)

   鏡 リュウジ 著 

 

   ⭐⭐⭐⭐⭐

   タロット紹介本としては申し分ない

 

 

僕自身タロットカードで占いをするので、
いくつかタロット本を読んでいますが、
鏡リュウジの専門は占星術だというイメージが強かったからか、
これまで彼の著作を読んだことがありませんでした。

鏡は一般向けの新書ということを意識して本書を書いたと思うのですが、
素人とマニアの両方を満足させるようなバランスのとれた内容もさることながら、
文章そのものがうまいことに感心しました。

前半はタロットの成立の歴史を丁寧にたどっています。
タロットカードが何を起源として成立していったか、
いろいろな種類のカードがどのように生まれていったか、
代表的なものを逃さずまとめています。

「黄金の夜明け団」についての説明は欠かせないところですが、
「ウェイト=スミス版」の生みの親アーサー・ウェイトはもちろん、
「トート・タロット」の作者アレイスター・クロウスリーにもしっかりページを割いています。
「マルセイユ版」と「ウェイト版」では「正義」と「力」のカードの順番が入れ替えられているのですが、
それは占星術と関連を深めたい「黄金の夜明け団」の教義の影響のためであるとか、
短い紙幅でユダヤ神秘主義のカバラーのセフィロトを紹介したりと情報は盛りだくさんです。

鏡はタロットとユング心理学の関係に興味が強いらしく、
そのあたりの記述も充実しています。
現代アーティストのニキ・ド・サンファルの作品「タロット・ガーデン」については本書ではじめて知りました。

後半はタロットカードの図柄を紹介しています。
ちょろっと鏡がリーディングのヒントを書いていることも興味深いところです。
鏡自身「占いは「希望」のためにあることを忘れてはならない」と述べているように、
全体的にポジティブなメッセージを出そうとする人であることがよくわかります。
(鏡はカードの逆位置を採用しないかたちで書いています)

ただひとつ僕が気になっていることは、
タロットカードの並べ方(スプレッド)の紹介で、
ケルティッククロスの位置に関してなんですが、
鏡が書いている「近い過去」と「近い未来」のポジションが、
僕が持っている本のポジションと逆になっているのです。
こういうものって、いろいろな解釈があるのでしょうか。

もともとは占い目的ではなかった遊びのカードが、
世界(もしくは自己)の真理を映し出す「鏡」として、
人間の「深読みの欲望」を吸い上げることで多様に発展したのがタロットカードです。
そのようなタロットの全体像を確認するのに本書はうってつけだと思います。

 

 

 

評価:
鏡 リュウジ
講談社
¥ 929
(2017-04-19)
コメント:『タロットの秘密』 (講談社現代新書) 鏡 リュウジ 著

『早慶MARCH 大学ブランド大激変』 (朝日新書) 小林 哲夫 著

  • 2016.08.18 Thursday
  • 22:30

『早慶MARCH 大学ブランド大激変』 (朝日新書)

  小林 哲夫 著

 

   ⭐⭐

   ネットで調べられそうなデータをまとめた本

 

 

よっぽど大学事情に疎い人か、進路指導にデータを役立てたい人には向いているかもしれませんが、
大学の内実を知るには圧倒的に踏み込みが足りない本という印象でした。
並べたランキングデータからの考察ばかりという一面的な内容で、
手間のかからないインスタントな作りだと感じずにはいられませんでした。

たとえば「女子学生のおしゃれ度」というところでは、
女性誌4誌の読者モデルの数のランキングで語られてしまいます。
青学は青山にあるからオシャレだというのはともかく、
立教大はミッション系の高所得者の娘が多いからオシャレだという分析には首をひねります。
あげく早稲田は帰国子女の国際教養学部のおかげでオシャレだと、
早稲田で何人かの女子学生に取材した結果で決めてしまいます。
実際には地方出身者が大学デビューでオシャレに邁進するケースなどよくあるんですけどね。

大学の学者がナントカ賞を受賞しているとか、
OBの政治家とか、ネットで調べればすぐにわかる程度のデータです。
知っている内容が多く、つまらなすぎて読み飛ばしました。

これだったら経済誌の特集の方が突っ込んだ記事を書いているように感じます。
そもそも大学自体への取材がほとんど見られないのはどうなのでしょう?
一番不思議なのは、題名にある「ブランド大激変」にあたる内容が見当たらないことです。

この程度の内容なら、もっと価格を下げた方が良心的だと思います。

 

 

 

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